崇が帰ってきてから一週間ほどで畑の収穫は一旦完了し、後は稲刈りだけとなって父親は安堵して居間でビールを飲んでいた。予定よりも早く終わってゆっくりできると喜んでいる。


「崇がおったらやっぱり助かるな」

「ごめんね、長い事帰ってこんで」


 父親にビールを注ぎながら崇は眉尻を下げた。


「ええよ。大学も大変じゃろ。浩輔もよう頑張ってくれとるけぇ、なぁ」


 浩輔はテレビを見ながらご飯を頬張り、ちらりと父親を見たが何も言わずに黙々と食べ続けた。


「ちょっと見んかったらグンと大きなって」

「生意気じゃろ」

「うん」

「はははは」


 そういって父親は笑ってグラスのビールを飲みほしテレビに視線を移した。


「あんなに可愛かったのに」

「可愛いだけでは農作業はできませーん」


 言い返して浩輔は崇の読んでいた漫画を箸で指差した。


「兄ちゃん、あれ読んでしもうた?」

「もうちょっとで終わる。読んでるの?」

「うん。友達と交代で毎月買って回し読みしてるん。終わったらもらってもいい?」

「いいよ」


 優しい微笑みが相変わらず寂しそうに見えた。クラスの泉川も同じようにどこか寂しそうに笑う事が多い。喘息だと打ち明けてくれた時はやっぱりと思った。何か隠している人は愛想笑いをよくする。崇もそうだった。何か訊いても愛想笑いでごまかしてしまう。何をそんなに隠さなければいけないのだろうと浩輔は思うのだが人には人の事情がある。そこを突っ込んで訊くほど浩輔も器用ではない。


「兄ちゃんも、案外不器用なんじゃね」

「何それ」


 泉川の寂しそうな顔を思い出して相談してみようと浩輔は切り出した。


「あんな、学校で本回し読みしてる子が喘息でな。本貸し借りしてる時に鞄の中の吸入器見てしもたから俺には話してくれたんじゃけど、皆には病気の事言わんとってて言われて。ずっと黙ってたんじゃけど、この前クラス中にばれたん」


「喘息やったら移るもんでもないから隠す病気でもないと思うけど、病気の事ってデリケートな事やから嫌やったんかもね」


 崇は自分のグラスを引き寄せて手酌でビールを注いで口を付けた。父親がテレビのリモコンを取れと合図してチャンネルを替える。若い男の子たちがランウェイを歩く姿が映り、男もあんなとこ歩くのかと父親が崇に訊き、崇は肩を竦めて漫画に視線を戻した。


「俺以外みんな知らんかったんじゃけど、すごい咳き込んだから先生が飛んできて病気の事ばらしてしもたらしくて。それからクラスの子らと距離できてしもてな」


「それは、しんどいね……」


 崇は返事をしてテーブルの何もないところをじっと見た。考え込むときにする仕草だ。


「どうしたらまた皆と話せるようになるんじゃろと考えるんが、あんまりいい案が思いつかんで。兄ちゃんやったらどうする?」


 問われて崇はピタリと動きを止めた。こういう時、浩輔はじっと兄の言葉を待つ。崇は昔から気遣いが上手でこういう類は彼に相談するとピタリとはまる答えを返してくれることが多いのを浩輔は知っている。まるでマネキンのように十数秒動かなかった崇は口を開いた。


「病気の事はプライベートな事じゃけど、友達はきっと話してほしかったんやろね。友達じゃからなんでもかんでも話しておかないけんワケじゃないけど、その子の事、みんな好きやから話してくれんで悲しかったんろう。みんなとまた仲良くなるんには壁壊さなあかんのかもね」

「病気の事話すってこと?」

「うん」


 グラスの酒をちびりと飲んで崇はまたテーブルの何もないところを見ていた。


「病気やし父ちゃんもおらん言うてたから色々引け目感じるんかな。俺も母ちゃんおらへんの、可哀そうやとか思われたらなんか嫌じゃったし。あーでも病気の事皆に話してみんかっていうのは俺には言えん」


 浩輔は食べ終わった皿に箸を乗せて台所へと立った。崇が声だけで浩輔を追う。


「にしても喘息って珍しいねぇ。都会やったらまだしもここら辺空気綺麗じゃのに」


 カチャカチャと茶碗を洗う音を立てながら浩輔が返事をする。波田野家は自分の茶碗は自分で洗うシステムだ。


「その子、四月にS市から引っ越して来たん」


「藤原さんとこの子か?」


 父親がテレビを見ながら口を挟んだ。


「そう、うちの北側の田んぼ挟んだ向かい側に住んでる」


 洗い物を雑に済ませてテーブルに着き、浩輔は冷凍庫から取ってきたアイスの袋を破いた。父親が思い出したように言う。


「寄合があった日、学校の先生が車であの子家に連れて帰っとったなぁ。崇が帰って来た日やったかな」


 あの日、浩輔は玄関掃除の当番だったので喘息で苦しむ泉川を見ていない。自分がいたらすぐに保健室に連れて行ってやっただろうと思うと申し訳ない気持ちになってしまう。


「そういえば、お前の古着案山子に着せたぞ」


 父親が思い出したように崇に告げた。


「え? 古着って、部屋に置いてあった段ボールの中のやつ?」

「おお。もうそろそろ案山子の服リニューアルせなカラスや雀も見慣れるじゃろ。要らなそうな古いやつ使わしてもろた」

「何使ったの?」

「え、白いシャツとジーンズ」

「うそ! アレ俺のコレクション!」


 崇は父親の顔を一瞬睨んで自分の部屋へ走った。今日も同じような白シャツにダメージジーンズを履いている。


「コレクションて、どれも一緒じゃろ。同じような白いシャツとジーンズばっかり。シャツの左裾全部伸びてしもてるし」

「思い出がいっぱいあるの! まだ着れるし!」


 部屋から崇が声を張る。


「そやけど段ボールで送り返してくるけぇ、要らんもんやと思うじゃろ。あんな薄っぺらいシャツ置いといても着んじゃろに」

「要らんかったら送らんよ! 捨てんでって言ったじゃろう!」

「捨ててないが。案山子に着せとる」

「案山子に着せたら一緒じゃ!」

「崇は変わっとるの~」


 そう言いながら父親は手酌でビールを注ぎTVを観て笑った。浩輔は気の毒にと思いながら崇の漫画を引き寄せて読みだした。



 押入れの中の段ボール箱は床に置いてあり、蓋部分は開けっ放しになっていた。崇はひっくり返し中身を全部出して確認すると青ざめた。


「ない! ない!」


 昔恋人からプレゼントされたシャツが見当たらない。ジーンズも大事にしていたものが使われたようでなかった。


「なんでよりによって一番奥にしまってたやつを……」


 崇は膝をついてがっくりした。


 昔からシンプルなものが好きで、特に白いシャツとジーンズがお気に入りだった。農作業をすると服に泥がついて汚れるので白い服が着れず中学から高校までずっと青色とも緑色とも言えないくすんだ色のザ・農家のつなぎを着て作業していた。


 大学に入ったら真っ白なシャツを着て過ごしたいとずっと思っていた。

 パッと見いつも同じ服装なので大学で出来た恋人から違う色のシャツをプレゼントされたことがあるが、一緒に洗濯して大事にしている白いシャツに色が移り、数枚台無しにしたことがあった。それを知った恋人がお詫びにと高いブランドのシャツをまたプレゼントしてくれた。その思い出のシャツがなくなっている。


 貰った服が好きで何度も着てしまい、左裾を引っ張ってしまう癖があって裾がすぐに伸びてしまったが、初めて恋人が―――元恋人だけど―――くれたものだから大事に取っておいた。


 散乱した服を畳み終わってから田んぼへと走り、崇は過去を思い返した。





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