あべこべ世界で生きるのも楽じゃない

こたつねこ

第1話 あべこべ世界

 この世界は男の数が少ない。

 具体的なメカニズムは未だ不明だが、何処の国も何処の種族も等しく女が生まれる事が多く、故に希少な男は生まれる場所にさえ恵まれれば蝶よ花よと可愛がられる。


 無論それは人の理から外れた人外――魔族の類であっても例外ではなかった。

 人間離れしたような強大な力を持とうと、寿命がどんなに長くとも終わりはある。終わりがある以上自身の跡を継がせる存在が必要で、その為には男女の番が必要だ。


 よくよく考えると、俺はかなり恵まれている方なのではないかと思う。

 男として生まれ、権力のある家名の下で育ち、種族も生まれながらにして人とは比べ物にならない程の身体能力と寿命を併せ持つハイスペック魔族なのだから、聞くだけだと人生イージーモードもいいとこだ。


 尤も、いざ体験してみると辛いものもあるのだが、人生山あり谷ありとも言うし、何の面白味もなかった前世と比べると今世の方が生きていて楽しい。

 何せ男よりも女の方が多いせいでこの世界は女性優位の、貞操が前世と比べると逆転している事に加えて、様々な種族が生き続ける魔法あり剣ありのファンタジー世界でもあるのだから、前世の科学重視だった世界と比すると新鮮なものだ。


 寝れば自然と身体が沈む程に柔らかいベッドの上から飛び起きて、部屋の中央から周囲をぐるりと見回した。

 

 見るからに高価そうな調度品の数々。

 大理石、黄金、宝石のような天然鉱物がシャンデリアの光に照らされ眩く光る光景は住む者の偉大さを如実に語っているようだが、実際の所この部屋における俺の私物と言えば数えられる程度にしかない。後は全て貰いものだ。


 この世界に生まれてから何百年と経つが、屋敷の中の豪奢な景色に未だ慣れていない自分が居た。

 これも全部たったの三十四年程度しか生きていなかった前世の、自分の自堕落且つ質素な暮らしが色濃く記憶の中にあるせいだ。いい加減、慣れるべきだろう。


 少し手持無沙汰に居ると、突如として部屋の扉がノックもなしに開かれる。

 ノックがないと言う事は、扉を開けたのは侍女ではない。自分の姉も一応は控えめに戸を叩いてから部屋に入るので、姉でもない。父と母は居ない。となると、数は絞られる――。


 俺はすぐさま持ち前の身体能力を用いて素早く近くにあった魔導書を手に取り、出来る兄のような体を装いつつ己の妹の名を口にした。


「――レイチェル。何時も言っているだろう、部屋に入る前にはノックしなさいって」

「いいじゃない、お兄様。私と貴方の関係なんだし」

「親しき仲にも礼儀あり、だ。まぁいいさ、どうしたの?」


 一旦文字をなぞるだけの本の表紙から目を離し、取り敢えずは入室して来た妹を歓迎する。

 彼女は見るも美しい外見をしていた。日に焦がれた事がない程に白く、綺麗な陶器のような肌と長い髪を持つが故に儚い印象を抱きがちだが、血のように赤く、爛々と輝いた瞳を見れば、彼女が捕食者に類するものである事は一目瞭然だろう。


 事実、このスペクター家の魔王。その次女である彼女は残忍さで有名でもある。

 まぁ数年前、魔王領に攻め込んで来た数万にも上る王国軍の兵士を自作の、殺傷力と残酷性にのみ長けた上位魔術を以て全滅させたり、その凄惨な光景を見て無邪気に笑った所なんかを見ると、あながち彼女に対する世間の風聞も間違ってないのだが。


 因みに兵士の殆どは女性の方でしたが、魔術師の中には男性の方も少しばかり混ざってまして。

 女性ではなくその男性らが魔物の慰み物になっている光景は何だか歪でした。長年この世界で生きていますが、やはり女性優位と言うこの世界に対する違和感は未だ根強く自分の中に残っているようで。


 魔族――それも外見上はほぼ人と変わりない、相違点があるとすれば本当に色彩が強い真紅の瞳くらいの我が妹を、部屋のソファにまで案内する。

 言わずもがなこれも超が付くほどの一品である。肌触りも弾力も桁違いだ。普通にここでも眠れるだろう。


 して、レイチェルを座らせたは良いがどうにも距離が近い。

 成人男性が横になってもまだ幅があるこのソファは、外見は少年少女のような俺達二人が座るだけなら大分スペースが空く。


 なのでこんなお互いの肩が触れるまで近くに座る必要もないのだが、小悪魔に微笑む妹を見てると、これが故意なものなのか無意識なものなのか、判断しかねる。

 とは言えこれくらいならと、妹の世間話に軽く応対しつつ距離の近さを受け流すのだが、俺が何もアクションを起こさない事に対し調子に乗ったのだろう。


 肩に重み。具体的に言うと少女の頭一個分の重みくらい。

 視線を隣に移すと、レイチェルが俺の肩口に小さな頭を乗せていた。乗せた上で、犬のように自分の頭をぐりぐりと俺に押し付けて来る。


 それでいて深呼吸するように深く息を吸うものだから、どうにもむず痒い。

 兄妹にしては些か過度なスキンシップだ。流石に彼女の吐息が艶やかな熱量を持った辺りを見計らい、距離を取らせようと肩を掴んで離そうとするが、


 ――逆に押し倒される。

 レイチェルは俺の腕を掴んで上に組み伏せると、今度は俺の胸元に顔を寄せて深く息を吸った。


「……お兄様、いい香りね」

「レイ、チェル。いい加減離れなさい」

「いや。折角あの弱虫も居ない、侍女も居ない、お兄様との二人きりだけの時間なんだから。逃がす訳、ないでしょ」


 組み伏せるレイチェルを力任せに押し飛ばそうと腕に力を込めるが、彼女は岩のようにぴくりとも動く事はなかった。

 筋肉の問題じゃない。人体と言うよりは、この世界の仕組みは俺の居た前の世界とは作りが違う。


 レイチェルの嗜虐的な感情を孕んだ瞳に見下されながら、俺はそっと自分の瞳に魔力を込めた。

 これ自体は普通の、鑑識眼と言われる魔術に精通しているものなら誰でも使えるようなスタンダートなもので、得られる恩恵も相手の身体的スペックを可視化して目視出来るという魔術だ。


 ずらりと並ぶ妹のスペックは殆どが俺よりも上で、兄の威厳に罅が入るような気がしたが、仕方ないのだろう。

 何せ男と女とじゃあ『Lvレベル』の差が生れ付き大きく開いているのが当たり前で、人の身体能力――筋力、俊敏力、果てには魔力等もこのLvの数値に依存している以上、男が女に勝てる筈がない。


 まぁ簡単な話、このLvが上昇すれば身体能力の全てがアップするのだが、人間の男は生まれると同時にLv1の数値が付与されるのに対し、女はどういう因果かLv数十帯からスタートする例が多い。

 加え男よりも女の方がこのLvとやらが上昇する条件が緩く、ここまで来ればこの世界が女性優位と成った理由が何となく判って貰えただろうか。


 一応魔族である俺はLv30からスタートしたが、それに対しレイチェルはLv50から。姉なんかは確か生れ付き80を超えていたと母から聞いた気がする。

 して、俺の現在の年齢は魔族が長寿だと言うのもあり、大体400幾らか。それ程の年月を過ごして今のLvは580くらい。妹は俺よりも6歳年下だが、Lvは700少し。ここまで差が開いていると勝てる訳がない。


 材質の良い俺の服の中に彼女の白い手の平が入り込み、弄るように細い5本の指が肌に触れた。

 その冷たさに小さな悲鳴を漏らすと、レイチェルの紅い瞳に妖しい炎が灯り、彼女の手の平がするすると俺の下腹部の方へ移動して行くのが感じられた。


 これ以上は不味い。

 ウェスタ―マーク効果だか何だかは、長い間同一の生活環境で育った相手には性的興味を持つ事が少なくなると言うが、果たして自身を押し倒し組み伏せる妹にその理論が適応されているのかどうか。


 生憎俺がレイチェルに欲情する事は、彼女が家族だと言うのと、まだあどけなさの抜けない身体だと言うのもあり少ないけど、ここまで好き放題に自分の身体を弄られたら流石に反応してしまう。

 妹に貞操を捧げるのは色々とおかしいだろう。最後の手段ではあるが、やむを得ないと俺は自身の手の平に魔力を溜め、一冊の魔導書を顕現させようとした瞬間、


 ――妹の身体が不意に浮いて、部屋の隅に投げ飛ばされた。

 突然の出来事に目を丸くさせていると、投げ飛ばされた妹に代わり一人の少女が俺を見下ろして来る。


 これまた端正な顔立ちの紅い瞳だったのだけど、能面のように機微の少ない無表情を浮かべ、目付きも吊り目がちな険しいものだから思わず怒っているのかと勘繰ってしまうが、そう言えばこれが彼女のデフォルトだった。


「平気か、ヘレティック」

「……レーヌお姉さま」


 肩口まで伸ばされた、カラスの濡れ羽色のような黒く艶やかな髪が傾げられた首と共に静かに揺れた。

 彼女はこのスペクター家の長女であるが、同時にファンタジー世界にはお決まりと言ってもいい存在――魔族を統べる長、魔王でもある。


 既に前任の魔王である母は死に、その空いた席に由緒正しい血統を持つスペクター家の長女が選ばれたと言う話だ。

 尤も彼女が魔王の座に就いた事を良く思わない連中も居るようだが、そう言った反対勢力の殆どはこの姉の手により無惨な最期を遂げる事となり、現状は魔族の面々も静かなものである。


 年齢は俺よりも四歳年上で、レイチェルとは十歳差。

 Lvは確か780くらい。レイチェルとあまり差がないと思いがちだが、Lvと言うのは上がれば上がる程必要となる経験値の数が高くなるもので、だがそれ故に上昇する身体的スペックも桁違いに強化される。


 だからLv数百帯になると、例え互いのレベル差があまりなくとも実力には大分差があると言った具合で、俺は勿論レイチェルでさえも彼女には勝てないだろう。

 そんな実の姉を、まるで親の仇を見るかのように憎悪の籠った瞳で睨み付けるレイチェルが居た。


 どうにもこの二人、仲が悪い。

 元々折り合いの悪い姉妹ではあったのだが、最近になってそれが加速して来たというか、まぁどちらかと言うとレイチェルの方が一方的に姉の事を敵視しているようなものなので、反抗期なのかもしれない。


「レイチェル、戯れが過ぎるぞ。ヘレティックが怪我をしたら――」

「お兄様、煩わしい蠅が来たから部屋に戻るわ。それと、あまりそいつと仲良くしないでね。嫉妬しちゃうから」


 こちらの方を振り向く際には小悪魔に笑うレイチェルは、そのまま部屋の隅にある闇と同化するように消えて行った。転移魔術か、或いはもっと別のものか。

 場には溜め息を零すレーヌ姉と気まずい自分だけが残る。見慣れた光景だが、家内の雰囲気が悪いのは嫌なものである。


 ましてや自分達を束ねてくれる親はもうおらず、姉も多忙の身だ。妹の反抗期にどうこう口にする余裕もないように見える。

 ここは自分が一肌脱ぐべきか。いや、脱いだら襲われそうなものなので、控えめに注意するだけに留めよう。まぁそれだとあまり効果も薄そうだけど。


「それで、お姉様。俺に何か用ですか」

「ああ。この間、人の居る国に行きたいと頼んで来たろう。その答えを、な」


 胸の鼓動が期待に高鳴るのを感じる。

 前々から家内の長である姉に人の居る国に行きたいと頼み込んでいて、その度に忙しいからとはぐらかされていたのだけど、いよいよ答えを得られるようだ。


 実はこの400年間、その殆どの年月を俺はこの屋敷の中で過ごしていたのだ。

 外出出来たとしても、時折お忍びで魔王領の城下町を見て回れるくらい。それはそれで楽しいのだが、やはりこの世の人の国と言うのも気になる。


 前世も仕事以外は殆ど家で引き籠っていた俺だけど、流石に何百年の時を同じ屋敷の中で過ごすのは退屈でならなかった。

 しかもこの世界は剣と魔法のファンタジー世界なのだ。もう少し楽しむべきだろうに。いい加減屋敷の中で独自の魔術を研究するのは飽きたし、それに――。


(あの、勇者の事もある)


 狂ったような笑い声を響かせながら俺達の親を殺し、自分の姉妹を傷付けた狂人の顔を思い出す。

 長寿とLv格差により身体能力が人間とは段違いである魔族だが、最近はあの勇者と言う存在により、世界の侵攻が順調に進んでいないのだ。それどころか占領した領地を彼等に取り戻されたり、あまり戦況は良くないようで。


 ――あれのLvは確か、840台だったか。

 人間達による化け物がレーヌ姉であるなら、俺達にとっての化け物があの勇者だ。凡そ人が得られるLvじゃない。故に、彼女には勝てない。


 おそらく、俺以外は。 

 授かった能力アビリティを使ってトントンと言った所だろう。だから、唯一勇者に対抗出来得る自分が人の国に潜入して、勇者に対する攻略法を探し、アレに見付かった際にも俺なら対応出来る。


 このような理由付けで姉には外出の許可を申し込んだのだが、彼女はきっぱりと、表情のひとつすら変えずに端的に答えてみせた。


「ダメだ。お前を人の国に行かせる事は出来ない」

「……理由を聞かせて貰っても、良いでしょうか」

「お前は男だろう、争い事とは無縁であるべきだ。必要なものは与えてやる、だがその代わり必要な時以外は外出を控えてくれ」

「お姉様。生憎俺は男ですが、そこいらの有象無象に負けるような者ではありません。それに、いざと言う時にはあの、旧き神から授かった魔導書が――」


「魔導書を使うのは、どのような状況であっても断じて許さん」


 苦しい。呼吸が出来なくなる。

 姉の本来あるべき威圧感に晒され、俺は情けなくも息を詰まらせた。


 何故か彼女達姉妹は、俺が能力アビリティと呼称している魔導書を用いる事を嫌う。

 確かに使う為の制約は悲惨なものだが、その代わりに強大な力が手に入るのだ。悪い話ではない。


 なのに、彼女達はそれを嫌う。まるで恐れるように、あらゆる手を使って魔導書を使う事を阻止して来るのだ。

 ふっと、姉から放たれる威圧感が消えたかと思うと、頬を包み込むように彼女の白い手が伸びて、俺の頭を抱き締めて来る。


「安心して、全部私に任せてくれ。お前を……お前たちを守る為に、私が居るんだ。母様にも頼まれた事だからな。だから、守る為にも、お前は何処にも行ってくれるな。いいな?」


 俺を見据える姉の瞳には、何処か狂気的な感情が孕んでいる――そんな気がしてならなかった。

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