第4話 欲と抑制と死ぬ練習
一か月で時計をみる回数の平均というものを僕は知らないけれど、この二日の間で僕はそれを消化したのではないかと思う。
昨日は時間通りにきた瀬戸内さんは、僕の服装を見るなり僕を服屋へと拉致してはそれを着ることになる僕より熱心に店員ともめていた。やれこれはもう前に出回っているデザインのものでこの価格はおかしいだの、やれこのブランドは偽物ではないのかだの。
そのたびに店員は、口の端を引きつり上げて、僕に救助を要請する目を僕に投げてきた。
僕は一応助けるつもりで口をはさんでみたものの、「こういうのは普通は日ごろから自分で気を使っておくもんだろ」と一喝されてしまって僕は引きずり出されるようにその店を後にすることになった。
二件目。僕は黙って彼女の後に付いた。
どうやら彼女は血の気が引いたようで僕に似合うという服を選んでくれた。その際の支払いはもちろん僕のだけれど、しれっと女の子が着るような服も混じっていたことに僕は口をはさむことはなかった。驚いたけど、今回だけだろうと多めに見てあげることにした。
そうこうしている間に夕方になって、僕はその日の目的の一つのスマホを手に入れることになった。
彼女曰く「このご時世にスマホの一台ももっていないなんてありえない」らしく、またもや店内に引っ張られてはいっていくことになる。
でも、僕らはまだ学生で、親の証明なしには買うことはできないと告げられると「なに安心してるんだよ」と脇腹をどつかれて、僕は苦悶にもだえた。古傷が痛む、といったほうが適当かもしれない。
解放される高揚感ととりあえず一日のミッションを完了したことに対する達成感で、斜陽する街の風景に身を投げ出したはずなのに、そこをたまたま通りかかってしまった叔父さんとおばさんに見つかり、無事に親の証明を獲得してしまったので、買ったその場でせいせいしたという顔の彼女と連絡先を交換することになってしまう。
名前はなんと登録しといてやろうと自室で数分事案した結果、名前で登録するのはなんだか胃に悪いので、嫌味を込めてかぐや姫とすることにした。
白雪姫症候群を患うかぐや姫なんて紛らわしいけど、セミロングにした黒髪はいつも艶やかだったし僕に対しての態度も公達から宝石をせしめる様を連想させたので僕の中ではしっくりきた。
そんなかぐや姫は大幅に遅刻してきたくせに「じゃあ、今日は」と間延びしたセリフを吐きながらくるりと回転して見せる。
それでも禊は今日で終了なのだからと僕は自らに慰めの言葉を心の中で送る。
どうやら今日は何かの買い物ではないらしく、LINEで昨日買ってきたものの中で動きやすい服装を選んで着てくるようにと伝令が来たのでさほど考えることもしないで最初に手に取ったチノパンとシャツを着てきた。
足のつま先から髪の一本まで食い入るように点検をされて「よし!」と二人で歩き出したのはついさっき。
「今日はね、最高に気持ちのいいことをしようよ」
「ボランティアにでも興味があるの?」
「んなわけないでしょ。私はテイクは好きだけどギブは嫌いなの。まぁ、楽しみにしててよ。二人にしかできない最高に気持ちのいいことを体験させてあげるからさ」
何とも要領の得ない回答だけど、その気持ちのいいことをするには電車で移動をしなくてはならないらしかった。
彼女が言う気持ちのいいことは、どうやら心臓に悪いらしい。
「こういうの初めて? 私久しぶりだけど緊張しちゃう」
彼女が言う気持ちのいいことはどうやら僕ら以外にもやりにくる人たちがいるらしい。
「今日は平日なのに家族連れがいるね。まぁ去年までどこにも行けなかったからね」
彼女が言う気持ちのいいことは、どうやら公の場でしかできないことらしい。
着実に頂上に向かってきた僕たちの乗り物は、目的地に着くと嫌な静けさをもって制止した。
溜息なんてつく余裕なんて、僕には。
「行くよ。ここの名物なんだってこのジェットコースター」
物音とと同時に安全バーをぎゅっと握る。同時に加速したトロッコは、音を置き去りに景色を後方へ吹き飛ばしていく。
「きゃー!!!!! っでも楽しいーーーー!!!!」
いつしか彼女が天使に見えた日があった気がする。そしてそれが死神に近い要素を持っていると塚原にも話した気がした。やはり、天使は死神に近い。
大きな円をくるりと回る。実際はかわいらしい比喩なんて嘘のように、現実的な暴力をもって僕の臓物をかき乱す。それまでは何とか意識を保っていられたから、周囲の家族連れの断末魔もよく聞こえたし、隣の彼女の様子も感じ取れていた。
「お、まだまだ耐えられているな。だけど、あともう一周あるから」なんて風が連れてきた冗談がどんどん後方に流れていく景色と混ざって消えた。そして、その言葉を最後に僕は遥か彼方への旅路に出ていくことになった。
首筋に氷のような冷たさを感じて飛び起きる。
「だらしないなぁ。あれぐらいで気を失うなんて今までどうやって暮らしてきたの?」
自分が今、どういう状況に置かれているのか把握するのに数舜。あれからどれほどの時間僕は遥かなる旅路に身を投じていたのか察するのにさらに数舜時間を要した。
目の前でいたずらに笑う瀬戸内さんの後方には、母親と思しき女性に手を握られた子供が赤い風船をもって歩いている。その情報に時計。時刻は13時を過ぎていた。僕はどうやらあれから10分近く現実世界から離れていたようだ。
「びっくりしたんだからね。ゆすっても起きないんだもん。係の人に手伝ってもらって医務室に連れて行ったんだけど、熱中症の人がベッド使ってて、そのうち起きるだろうって私が保護者みたいなかっこでまたここまで連れてきてもらったの」
なるほどね、そういう事か。それなら合点がいく。と、視線をわずかに下におろした。
「あー、心配したらおなかすいた。ご飯ご飯」
ぞっとした。背筋に冷たいものが滝のように流れ、体が凍り付いたように動くのをやめたようだった。
「早く食べないと閉演になっちゃうよ。 まだまだ乗りたいものあるんだから。気持ちよかったでしょ? 死ぬ瞬間ってアドレナリンが大量に脳内に分泌されるから気持ちがいいんだって……ってどうしたの? 嫌い?」
きれいに並べられた脂滴る肉は、食べてしまえば本当に頬が落ちることをイメージで来たし、この快晴の下に映えるみずみずしい色とりどりの野菜に体は歓喜しているようだった。
でも、僕にとって大事なことはそれら味や栄養素に関してのことではない。
きょとんとした表情で僕を見つめる彼女は、僕に構うことなく、一口ぱくりと肉を食らう。
食べなくては、と体に命令をする。ナイフを持て、フォークを掴めと。
「食べるなら早く。次はバンジー行くんだから」
震える手は、僕の口に甘ったるいにおいの肉を運ぶ。その距離が近づくにつれて、心拍数が上がっていくのが僕自身わかる。肉を欲している体は歓喜に震えているはずで、その肉そのものもきっと相当おいしいのも僕はわかっているはずなのに。
感じていた寒気は一気に全身を駆け巡り、僕は持っていた食器を豪快に落とすことになった。
心配して声をかけてくれた重病人の存在で気が付いたのが先か、それに気が付いた店員が先かわからない。
寒かった。
何かを人前で食べようとしている僕が。
怖かった。
何かを欲してまた何かをなくしてしまうんじゃないかって恐怖が。
「……ごめん」と謝る僕は、またしても失態を犯してしまう。
鞄にストックしておいた錠剤を瀬戸内さんの前で開封してしまう。いつのもの流れなのでなんのけなしに開けてしまったので、瀬戸内さんの視線に気づくのが遅れた。
「連君も薬飲んでるんだ。私と一緒だね。なんの薬?」
「……これしか食べれないんだ。食欲がないとかじゃないんだけど、どうしてもこれしか咽喉が通らなくて」
死ぬような体験をしたからといって僕はまだ死んだわけではないらしく、その閊えた言葉をようやく吐き出したとき、僕の体温が徐々に上がっていくのがわかった。
「謝ることないよ。誰にも好き嫌いはあるから。私なんてね、小さいころから牛乳が飲めなくてさぁ。だからかなぁ、いまだに身長が伸び悩むのは」
「そうじゃない、だめなんだ。食べるって行為が」
「じゃあ、さ。練習しようよ」
東家にその僕の体質を話したときは、あきらめてくれた。そのうち治ると。それまで待っててあげると。だから、僕は彼女に関してもどうせ今日までの関係なのだからそれで許してくれるとばかり思っていた。
「そりゃ、最初から肉を食えとか言わないよ? そうだね、最初は癖のない野菜からでも行こうか。本当は食べたいんでしょ? だったら少しでもその方向へ向かわないと。人生損でしょ。意外と人生短いんだから」
グルメ番組でも見ているかのような満面の笑みで「おいしいーー」と顔のパーツを中心に集める彼女。
幸せそうだった。そうやって僕も感情を前面に出せたらいいのにとさえ思ってしまった。
「大丈夫。そのための練習だから。連君も食べれるようになるよ。私も、いつかちゃんと死ねるようになるんだから。あ、そうだ」
ポーチからスマホを取り出した瀬戸内さんは見事な指さばきで誰かにメッセージを送っているようだった。
「あー、来た来た。杏奈、なんだかんだ言って食いつきが速いんだから」見せられる画面に僕は力が抜けていくのを感じた。
「今月末、三人でここに来ようね。それまでに、連君が好き嫌いなくなるようにしてあげるから」
「あ、でもリハビリがてら何が食べたいかは自分で決めてね。そうと決まれば、ホレホレ」
僕に拒否権はないらしく、死神によく似た天使は僕にスマホを出すように催促をして、勝手に予定を入れだした。
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