父との思い出

椅稲 滴

父との思い出

 父はこれこれこういう人だった、と語るのは簡単だ。だが、実際のところ、私には父のことがよく分からなかった。私は父を恐れていなかったが、怖がってはいた。それは条件反射的に、身体的に、の意で、心理的には恐れていなかった。父は、私のことを真剣に考えてくれていた、感じるし、感じていた。私の将来を、本気で慮ってくれていた。仲は、良くも悪くもないと感じていた。比較対象がなかったものだから。そして、すべての人間関係にそうであるように、齟齬はあった。ただ、私の場合人間関係それ自体がほとんどなかったから、その齟齬は大きく

 そのとき、私は学校の生徒手帳に、その表紙に付着していた紙をはがしていた。没入していた。付着していたのは、文庫本のカバーだった。50年以上前に(その当時からみて、だ)発刊された川端康成の『山の音』だ。数か月前、気がついてはがしたときから、表紙の表面だけが、ぴったりとくっついて残っていた。

 「何かはがしているよ」

 父が、母にそう言った。

 ちなみにこのとき、私はLDKの東半分、正方形の畳が敷かれてある部分に小さなテーブルを右手にして西向きに座っていて、父は西半分のテーブルのイスに、東向きに座っていた。テレビがこちら側にあるからだ。そしてその父が話しかけた母は、西半分の南側、ガスコンロやらシンクがあるやらする場所に向いて、南側に向いて、晩御飯を作っていた。うんとか何とか、何かしら返事はしたかもしれない。

 私は、「ああ」とも「うん」とも聞ける音に続けて、

「前にくっついた表紙をとってるんだ」

と、それがついている面を見せた。

「あつさのせいだっけ?」

 母がそう言った。あつさ、厚さ? 生徒手帳の? よく分からなかったので、

「文庫本の表紙だよ」

と答えた。母は、

「うん、だから、あつさのせいで?」

ともう一度訊いた。

 あつさ……、ああ、暑さ。

「よく分からない」

 正確には、よく分からない。カバー自体、古かったせいかもしれない。もしくは、圧力プレス

 と、そこに、父が、いつの間に取りに行ったのか、黒いフォルムのスプレーのようなものを手にしていて、

「ちょっと貸してみ」

と言って、僕の手から僕の手帳を受け取った。そして、手帳に、スプレーを吹きかけ始めた。塩素系の臭いがした。そして、これまたいつ手に取ったのか、ティッシュらしきもので、手帳をこすり始めた。あぐらをかきながら。

「これでこすればだいたい落ちるんだけど」

と言った。また、

「早く拭かなきゃいけない」

とも言ったし、

「なかなか落ちねえな」

とも言った。

 さてなんとも言えずに、いや、父が作業するときはそう決めている、何とも言わずに見ていると、やがて灰色のがぼろぼろと取れ始めた。

「掃除機用意しといて」

「うん」

 父が言い、僕が答えた。

 掃除機のコードを引っ張りながら考えていたのは、昔何かの本で読んだ、内向型の子どもに関する記述だった。

 その子どもは、図画工作の授業中、なかなか思う通りに進まなくて、作りあぐねていた。そこで、見かねた先生が手を貸してやったところ(その部分をどうにかしてやったところ)、その児童はわっと泣き出してしまった。

 うん、そうだ、ユング心理学を紹介した本で、確かこの部分には、「この子どもは、より良い完成品を目指すことよりも、作る過程を楽しんでいた。この先生は、その歓びを結果的に奪ってしまい、子どもはこのような反応を示した」と解説されていた。「外向型の子どもなら、より良い作品ができたことに対して、そしてなにより先生が気にかけてくれたことに対して、喜んだだろう」とも。大雑把いうとにこんなところだった。別に、内向型と外向型の優劣について書かれていたわけではない。

 それで僕は、今のこの状況とその子どもの状況を重ねていた。要するに、生徒手帳をむく、ということが目的ではなかった。僕はを抜くのが好きだが、それに似ている。をきれいにするために抜いているのではなくて、同じ毛穴から2本生えているところを探し、そのうち1本を抜く、その過程プロセス。そのかすかな刺激。カバーはがしは、それに近かった。

 ありがた迷惑、という言葉が浮かんで、消えた。

 それとまた同時に、弟はこの音を、掃除機をかける音を嫌がるだろうなと、掃除機のノズルに寄りかかり、親父の背中を見ながら思った。

 俺は、どうやら作り笑いらしきものは浮かべていた。浮かべていたと思う。声も、表面だけは意識していた。俺は親父の紫色をしたTシャツを着た背中を見ているから、親父から俺の表情は見えない。俺にもまた、親父の表情は見えない。

 まあ、いいか、と思う。親父にこの楽しみを譲ったと思えば。親父も没入していた。

 やがてその作業は終わり、親父の手にはきれいになった、しかしまだスプレーの液のついた手帳があった。

「おお、すごい」

と言ったのは俺で、おふくろは、「わあ」とか「すごい」とか、何か間投詞を放っていた。

 そして親父はそれを拭くために一度西側にいき、俺は畳の上に掃除機をかけた。ちょうど階下に居るはずの弟に、明後日の日曜日の朝にも同じ音を聞くことになるはずのその弟に、心中で語りかけた。

 なあ、弟よ、と。親父には、俺の抜きとカバーはがしが違うものに見えるらしいぞ、と。俺には同じものに見えるのに、少なくとも感じられるのにな。

 しかしまた、仕方ないのだとも悟っていた。

 親父が手帳についた液をきれいにぬぐい、俺が掃除機をしまうと、必然的にそれは俺に返された。確か、「ありがとう」と言ったはずだ。

 そして俺は、その手帳を、小さい方のテーブルに、ただ置いた。

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