第32話 僅かな痕跡①

 間宮先生の車に乗って、私はかつては遠山家の私有地だった廃ラブホテルまで来ていた。運良く、この車に予備を含めて、懐中電灯が二個あったのが救いだ。

 夏の終わりといっても、まだこの時間帯は蒸し暑く感じてしまうけれど、この廃ラブホテルは住宅街から離れ、廃業後生え始めた雑草や木々が隠してくれたお陰で、とても涼しく感じられた。

 

「今日は先客も居ないようで良かったよ。心霊スポットでは、人に逢う方が恐ろしいからね」


 ラブホテルの入り口付近で、車を隠すように駐車させた間宮先生が、ラブホテルを外観を懐中電灯で照らすと安心したように言う。

 そう言えば以前、心霊配信をしていた友人が、心霊スポット巡りをしてる時は、本物の幽霊、陽キャの大学生や心霊マニアの人と遭遇するより、不審者や管理人、パトロール中の警察に出会う方が恐ろしいと言っていたのを思い出した。

 霊より不法侵入で捕まるほうが恐ろしいと言うのだ。


「そうですね……警備会社の警報もつけてないようだし、本当はだめですけど、中に入っても大丈夫そうです」

「冷静に建物の状況を把握するなんて……天野くん。かなり怖がりだった君が、随分と成長したね」


 成長したというより、前回の廃村があまりにも怖すぎて恐怖の沸点が低くなってしまったんだと思っている。

 でも、心霊スポットに来るのは今でも嫌だし、怖い気持ちは十分ある。私は手がかりを探すためにきているだけで、ここの霊たちをからかいに来たんじゃない、と何度も頭の中で呟いて予防線を張っていた。


「こ、怖いですよ! でも……私達はラブホテルの幽霊さんも旅館の幽霊さんもからかう気はなくて、遠山家の痕跡を探しに来ただけだからっ」


 霊感のない私は自分に言い聞かせるため、そしてこの場にいるであろう霊たちに言い聞かせるように、思わず口に出して言った。

 間宮先生はそんな私を笑って私の肩をポン、と叩く。


「邸の見取り図があればよかったんだけど、さすがにそこまでは残されていなかった。全焼してから直ぐに、関東大震災があって、戦争も起きたから遠山家の詳しい事はほとんど残ってない。ただ家族の遺体は、地下室にあったという新聞記事はあったんだ」

「それなら、たぶん階段の近くですよね? だけど……どの辺りかな」


 私は絵画を見た記憶を巻き戻すようにして頭の中で、再生ボタンを押す。窓辺に手すりのようなものが描かれていたはずだ。

 ラブホテルの建物とは全く違う構造だけど私も、健くんを見習って額に神経を集中させる事にした。


「……だめ。全然視えない……」

「天野くん、早く行こう」


 すでに間宮先生は入り口まで歩いていた。私は恥ずかしくなって後ろをついていく。

 この廃ラブホテルは、平成の半ば頃に廃墟になっていて、所々スプレーで壁に大きな落書きがされていた。思ったよりも中は広く、置き去りにされた布団や訪問者が捨てていったであろうペットボトルが規則正しく置かれている。

 

「このラブホテル、二手に別れているね。僕たち二人で左右から出発してぐるっと探索してみようか。それから、このホテルは裏手に駐車場があるみたいだから、そこで落ち合おう」


 この廃ラブホテルは、不思議な造りでコの字型になっており、両方の駐車場出入口からも入店ができるようになっていたようだ。


「は、はい……」


 私は顔を強張らせると、頷き勇気を出して左側を歩き始めた。それから、間宮先生が右側へと遠ざかって行く足音を聞くと注意深く懐中電灯を照らした。

 今にも心もとない小さな光の中に髪の長い女が浮かび上がってきそうで怖い。

 けれど、がむしゃらに隅々まで目を凝らした。

 硝子を踏みしめる音と湿気が鼻をつく。

 荒れた部屋を覗くたびに、本当にこの場所に来て良かったんだろうか、遠山家の痕跡なんて少し考えれば残っているはずなんてないと分かるのに、間宮先生まで巻き込んで、一体何をしているんだろうと言う自己嫌悪の気持ちでいっぱいになった。


 ――――私にもっと霊感があったら、健くんを救えるのに。


 私は悔しくて唇を噛み締めた。一度立ち止まって健くんのおばさんに神社で教えて貰ったことをもう一度思い出した。

 額に意識を集中させて、視たいものを念じる。そうだ、遠山家じゃなくて……、健くんを霊視したら何か視えてくるかも知れない。

 遠い過去の記憶や、霊を視るんのではなく身近な人に神経を集中させたら、霊力の低い私でも何か感じられるかも知れないという根拠の無い確信が、私の心の中に湧き上がってきた。

 今、私はあの絵画のモデルとなった邸跡にきている。

 健くんは、あの世とこの世の間にいて普通の霊より力はあるはず。


「――――健くん、どこにいるの」


 私は静かにそう呟くと、目を開いた。

 すると廃ラブホテルの朽ちた廊下に、薄っすらとレトロな洋館の床や木の扉が浮かび上がってくる。

 それはまるで、ホログラムのように、重なって映し出されると私の後ろから、健くんと楓おばあちゃん、そして二人に支えらるようにして克明さんが小走りに走ってくると、私の体を貫通し、廊下を走り抜けて行くのが視えた。

 無音で、健くん達が何を話しているのかわからない。でも、何かに追われるように逃げている事だけは分かった。


「待って! 健くん!」


 私は足元に気をつけながら、三人を追い掛けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る