第12話 偽物①
集中治療室に運ばれた早瀬さんは、直ぐに医師によって死亡が確認された。霊安室へと運ばれる彼女の後を、ご両親が泣きながら追いかけている。
僕は暫く病院の待合室で座ったまま立ち上がれなくなった。間宮さんも立ったまま顎に手を置き、考え込んでいて心無しか顔色が悪い。
人が目の前で死ぬ所を見れば、誰だってそうなるだろう。
隣に座る梨子の横顔も暗く沈み、唇も血の色を失っている。僕は立ち上がると彼女の目線に合わせ、気遣うように言った。
「――――梨子は、君はもうこの件から手を引いた方が良いよ。この悪霊は危険すぎる。君に何かあったら僕は……自分を許せなくなるから」
どう思われてもいい、克明さんが行方不明になった原因は、あの女性が描かれた絵画だ。早瀬さんもあの霊を探ろうとして、悪霊に殺されたようなものだ。彼女を救えなかった腹立たしさと、梨子を危険にさらしたく無いと言う気持がせめぎ合っていた。
だが目を伏せて無言だった梨子が、突然言葉を発した。
「健くんはどうするの?」
「え?」
「健くんは、克明さんを探して……悪霊を浄霊するんでしょ。一人で行動して、何かあったらどうするの? 相棒がいなくちゃ」
梨子は僕をしっかりと見つめて答えた。
その瞬間、背後のばぁちゃんが、感心したように拍手をしたので心臓が飛び出るかと思った。
『うんうん、やっぱり梨子ちゃんは思った通りの子やね! 頼もしいわ〜〜。それに、もうあちらさんはあんた等に気付いてるからねぇ。あの時あんたの隣にいたのは、目の無い怪物みたいなもんさ。あんたの事は見えないけど、気配だけは感じてる。嗅覚で感じてるんだ。こっちがあの魔物に近付けば近付くほど、あいつもこちらを認識するんだよ』
ばぁちゃんの言葉に、僕は背筋が寒くなった。少しでもあの悪霊に触れたら最後、僕も梨子も間宮さんも手遅れだと言うことだ。梨子を守ってやりたいが同時に彼女は頼りになる相棒でもある。
「分かったよ。だけど、絶対一人で行動したり危険な事はしないでくれ。いいね? 護符は渡しておくから」
僕は、梨子の意思を尊重する事にした。疲れ切った表情の彼女が少し微笑むと頷く。僕達の様子を見ていた間宮さんが声をかける。
「君たち、疲れただろう? 今日はもう送ってくよ。明日にでも克明のご両親に会おう」
僕は頷いた。どのみち、早瀬さんが残した大学ノートがある。今時、USBに保存してないのは珍しいが、電子機器が霊障を受けやすい事を彼女は知っていたのだろうか。
彼女の貴重な情報を無駄にする事は出来ない。
✤✤✤
梨子を先に自宅まで送り届けて貰い、最後に僕は間宮さんの車の助手席に移ると僕は流れゆく景色を見ていた。
今日の出来事がショックで、口数が少ない間宮さんが、突然僕に声を掛けてきた。
「雨宮くん、あのね……。実は早瀬さんから聞きたい事があるって言われてたんだよ」
「え、それは……克明さんが行方不明になった件でですか?」
僕は彼の横顔を見つめた。運転しながらも、言葉を選ぶように目を泳がせている。何か言い難い事を、僕に伝えたがっているようにも思えた。ハンドルを切ると、間宮さんはぽつりぽつりと話し始める。
「いや、その事じゃない。芽実ちゃんは頭の回転が早い女性でね。克明がずっと心の奥に閉まっていた……、香織ちゃんの事件の事も気にかけていたんだ。それで、ご両親との……、特にお義母さんとの関係を僕に聞きたがっていた」
「それは、以前から調べてたんですか? どうしておばさんの事を……?」
僕は早瀬さんの行動力に驚いて目を見開き、同時に彼女がどれだけ、婚約者を大切に思っていたかも知る事になり胸が痛んだ。
克明さんが、言葉を濁すのは幼馴染の手前、家庭環境を赤の他人の自分の口から話すのがためらわれたからだろうか。
「うん。僕は幼馴染だけど、克明の手前、あまり言えなかったけど……、何度か探ろうとした。香織ちゃんと克明は本当の兄妹みたいに仲が良くてね。それを、おばさんはどうやら変に勘繰っていたみたいなんだ。
元々、子供への干渉が酷くてそれが嫌で克明は早めに家を出たんだけど。ほら……あれだよ」
「――――毒親ですか?」
間宮さんは、頷いた。幼かった僕には香織ちゃんのご両親の印象はあまり無く、正直に言うと殆ど覚えていない。異性の連れ子同士、仲が良いとそんな風に思われるのだろうか。
「そう。だけど、克明の名誉に誓って、義理の妹と関係を持ったり恋人同士なんてことは無いよ。香織ちゃんも中学生だしね。
だけど、おばさんはそう考えなかった……酷い言葉の暴力を浴びせたり、時には手を上げていたみたいなんだ」
僕は内心ショックを受けた。だが、香織ちゃんが家に帰らず僕を構って遊んでくれていたのも、義母との折り合いが悪かったせいなのだろうと考えると説明がつく。だが、早瀬さんはどうして義母を調べていたのだろうか。
「もしかして、早瀬さんは、香織ちゃんを殺した犯人が、義理の母親じゃないかと疑ってたんですか?」
「――――僕には分からない。だけど、ご両親が島を離れたのは、被害者としてだけでは無くてそう言う噂を立てられていた事も、理由の一つになっているよ」
殺人事件の多くは身内間で発生する事が多く、警察もマスコミも被害者を疑うような風潮はある。もし、香織ちゃんへの虐待が学校やご近所に薄っすら知られていたなら、そんな噂を立てられてしまうかも知れない。
だが、中学生の子供を相手にするとはいえ、女性の力で滅多刺しにするなんて事は、可能なのだろうか? そして、義理の妹を殺したかも知れない母親と、自立したとはいえ家族としていられるのだろうか。
「どうして、僕にそんな話をしたんです?」
「君の話を聞いて、僕も同じ気持ちになったんだ。僕もずっとあの事件を忘れたくて、香織ちゃんを記憶から消そうとしていた。彼女の霊が彷徨っているなら、僕も何か出来ることをしたい。――――それに、おばさんに香織ちゃん事を聞いてもヒステリーを起こすから」
つまり、明日、有村家に行っても香織ちゃんの話は出さないほうが良いという警告だろうか。
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