迷い家と麗しき怪画〜雨宮健の心霊事件簿〜②

蒼琉璃

第1話 プロローグ

「けほ、けほっ……、久しぶりにこの蔵を開けたなぁ」


 祖父が亡くなって一ヶ月程経つがようやく重い腰を上げようと、この島に渡り遺品整理をしにきた。母も父も都会から田舎までくるのが億劫おっくうな様子だったが、尻を叩いて帰省を促した。

 いずれ母屋も、この蔵も取り壊しをして土地を売り出すつもりだ。母屋と離れの片付けは両親に任せて、俺は蔵の方を片付けをする事にした。子供の頃はここで、妹や従兄弟とかくれんぼをした思い出がある。子供にとって蔵は絶好の隠れ場所だったし、骨董品など古い見慣れないお宝のようなものが置いてあって、子供の頃の俺にとって、冒険心を擽らるような場所だった。

 もちろん、貴重な物が保管してある蔵で遊んだ日には祖父に大目玉を食らったのだが。


「大人になって改めて来てみると、本当に貴重な蔵だな。この蔵は文化的価値がありそうだ。何か授業に使えそうなものは……無いかな?」


 転勤し、ようやく自分の担当するクラスを持った。この古い蔵なら歴史の授業で興味を持ってもらえそうなものがあるかも知れない。俺は大人になって久し振りに入った蔵の中を見渡していた。祖父は骨董品を集めるのが趣味で、先に亡くなった祖母に良く叱られていた思い出がある。

 昭和の初めの懐かしいポスター、美術には詳しくないが、誰かの有名な作家の作品であろう壷、水墨画の掛け軸のようなものが置いてあった。本物か偽物か分からないような代物を眺めると、懐かしいような、切ないような気持ちになった。中には見覚えのあるような三輪車や、子供の遊び道具まで、無造作に置かれている。この蔵は祖父母や、自分の記憶が詰まった小さな宝箱のようだ。


「……ん? あれは何だろう。あんなのあったかな」


 蔵の奥に視線を向けると、差し込む太陽の光の中で埃がキラキラと舞い踊るその向こう側に、白いシーツに包まれたキャンパスのような物が見えた。この蔵の様子からしても不釣り合いな位に綺麗なシーツだ。

 俺は、興味本位で蔵の奥にあったキャンパスに手を伸ばした。シーツ越しに額を掴んだ瞬間、御札のようなものが剥がれ落ちた。


「なんだこれ? 曰く付きとかなのか? 爺ちゃんが信心深いなんて初めて聞いたぞ」


 もちろん俺は、霊やら曰く付きやらそんな被現実的な事は信じない。記憶の中の祖父も墓参りをし、神社に初詣に行くが特別信心深い訳じゃない普通の人だった。この御札は蔵の壁にでも、家内安全のお守りのように貼ってあり古くなって落ちたのだろう。蔵の真ん中まで持っていくと胡座をかいて、するするとシーツをとった。


 美しい草原の中にある白い洋館、その前で日傘を差した妖艶な女性がこちらを見ていた。耳隠しに着物、随分とモダンで現代でも美人に思えるような女性だ。年齢は俺とあまり変わらないようにも見えるが、化粧の下は若い娘が背伸びをしているようにも見えるし、年齢不詳の美人油彩画だ。

 俺は食い入るように、彼女を見ていた。色白の肌も赤い口紅も生々しく感じて今にも動き出し、洋館の中へと誘われてしまいそうだ。


『……克明さん……ふふ……』


 絵の中の女が、艶っぽく名前を呼んだような気がした。その声を聞いた瞬間、彼女の虜になってしまった。こんなにも美しい女がこの世にこの絵の中に閉じ込められている。


「ああ、分かってるよ……もちろん、君を置いていかないよ」

「克明、いるの? もう夕方よ。携帯に何度も連絡したのよ。眠っていたの?」


 俺はハッとして、肩を揺すった母親の顔を見た。どうやら蔵の中で夕方までこの絵を見ていたようだ。俺は生返事をすると油彩画にシーツをかけて手に持った。


「あら、何か良いもの見つかったの? 止めときなさいよ、そんな大きなもの。うちの家には合わないでしょ」

「いいから! どうしてもこの絵は持ち帰らなくちゃいけないんだよ!」


 普段は怒鳴る事なんて滅多にない、おそらく中学生ぶりだろう怒鳴り声に驚いたように目を見開いた。俺は即座に謝罪すると、彼女の絵画を祖父の遺品として持ち帰る事にした。


✤✤✤


 俺はベッドで寝返りを打った。もうすぐ、彼女……蜊?カエ蟄さんに逢える。最近は夜に彼女と逢える事が何よりの楽しみになっていた。

 蜊?カエ蟄さんは、気持ちの良い人で陽気で話上手、知的で美人、魅力的な女性だ。彼女に出逢ってから、芽実めぐみとの婚約も破棄した。

 蜊?カエ蟄さんに競べたらどんな女も霞むし、気味悪く思えてしまう。


『克明さん……ふふ……』


 彼女の声が聞えると、俺はゆっくりとベッドから体を起こした。壁に飾ってあった絵画から蒼白い手が手招きする。俺はふらふらと立ち上がり絵画の前に立った。


「こんばんは、蜊?カエ蟄さん……え? 今日こそ君のお屋敷に僕を招いてくれるのか? 嬉しい、ご両親にも挨拶しないと」


 俺はヘラヘラと笑うと、蜊?カエ蟄さんの手を掴んだ。


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