第6話 俺が夜王子で君が月の姫
「紗奈……大丈夫?」
泣いている紗奈さんを見て、さすがに加奈さんも心配になったようだ。
「うん……大丈……夫……。へへ……何か、曲聞いてたら……涙……出てきちゃった……」
恥ずかしげもなく言わせてらえれば、この時俺は、紗奈さんを後ろからぎゅっと抱きしめてあげたくなった。銀杏BOYZのこの曲は、「世界の終わり来ても、きっと君を迎えに行くよ」というとてもストレートな歌詞がある。それが紗奈さんの心に響いたとしたら、俺が初めてこの曲を聞いた時と同じ気持ちになったのだとしたら、愛しくてたまらなくなった。
「紗奈。あんたこの曲聞いて泣くなんて見どころあるじゃん。どこが良かったの?」
加奈さんが尋ねる。
「……音は凄い激しいのに、凄い綺麗なメロディーで、好きな人への思いがとってもまっすぐで……何か……泣けてきちゃった」
「紗奈、あんた好きな人いるの?」
この瞬間、俺は心の中で神と仏とアラーに祈った。どうかいないと言ってくれ!
「……今は……いない。だけど……こんな恋愛がしてみたいな」
よっしゃあああああああああ!ライバル不在!!!神様ありがとう!仏様、アラー様ありがとう!アーメン!!コーラン!!目指せ天竺!!!
「あんたも奥手だからねー。好きになっても自分からは中々言えないだろうし、でも、恋愛だけは好きか嫌いかはっきりさせてあげるんだよ。そうしないと相手に失礼だからね」
「うん。分かった。きっといつかこの曲みたいな恋愛するよ」
いるよ!目の前に!!対象者が!!……なーんて言えないけどさ。でもほんと紗奈さんとこのこの曲みたいに恋愛できたらな……俺は妄想の世界に入りそうになったので、はっとしてやめた。そうだ今はバンドの話をせねば。
「よ、よし、曲は決まったな。次は……バンド名かな」
するとまどかさんが言う。
「まった。カスミがまだ来てないんだよね。あいつ一回キーボード取りに帰るって言ってたからもうじき来るとは思うんだけど、カスミ来てからの方がいいでしょ。曲に関してはあいつは多分納得すると思う。だけどバンド名は全員で決めよ」
加奈さんも同意する。
「そうだね。さすがにバンド名は全員いないとまずいか。どうしよ、もうちょっと待ってみる?」
「うん、お願い。その間にさあ……紗奈ちゃんの歌が聞きたいなあ……なんて」
まどかさんが意地悪そうに言う。
「えっ?私?いやでも……心の準備が……」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ、遠藤君今の曲弾けるでしょ?」
「『夜王子と月の姫』っすか?そりゃ完コピしましたけど」
「じゃあさ、ちょっとずつでいいから、歌ってみてよ!お願いっ!」
まどかさんが手を合わせて紗奈さんに頼み込む。
「……ちょっとなら」
「よっしゃ、遠藤君ギター弾いて。取り合えずアコースティックでいいから聞いてみよ!」
「ちょ、ちょっと待ってください。今聞いたばっかりの曲を歌うのは難しいんじゃ……」
俺が反論すると、加奈さんが事も無げに言う。
「大丈夫、後2,3回聞けば紗奈だったら覚えられるわ。その辺の感はいいのよ、この子」
「それ程でもないけど……」
「じゃあ紗奈、スマホ貸してあげるからさ、もうちょい聞いてて。遠藤君、その間に歌詞を書き起こして。さすがに歌詞までは覚えらんないだろうから」
「了解っす」
何を隠そう、俺は銀杏BOYZだったら、歌詞までほとんど頭に入っている。早速カバンからノートを取り出すと歌詞を書き始めた。書きながら俺と紗奈さんが曲に出てくる二人だという妄想をしたのは秘密だ。
「よし!できました!」
「歌詞はOKね。紗奈、どう?いける?」
「う、うん。多分……」
多分っていうのが奥ゆかしくてきゅんとするぜ!じゃあ、俺が(皆には秘密だけど)二人の愛の曲を弾こうじゃないか!
俺が気合を入れてギターを準備していると、ガラッと扉が開いて、カスミさんが入ってきた。
「ごめんなさい~。遅れました~。キーボード重くって~」
するとまどかさんが、フォローに入る。
「いいっていいって。ありがとね。ここにあるキーボード古いもんね。持ってきてもらって助かったよ」
「それよりカスミ、これから紗奈が歌うんだけど、一緒に聞こっ!」
加奈さんが促すと、カスミさんは
「そうなんですか~?是非聞いてみたいですー」
といつもの調子で答える。
よし、準備は整った。じゃあ気合入れていくぜ!鳴り響け俺の愛のギター!
皆が座ったところを見計らって、紗奈さんに俺が目で合図をする。呼吸を合わせて、俺がイントロを引き出す。そして……紗奈さんの歌が始まった。
紗奈さんの歌はひいき目なしで、素晴らしかった。女性ボーカルが持つ艶やかさと、まだ幼い少女性がいっしょになったような声で、音程も外すことなくまた、抑揚もついて聞く者の心を震わせた。ほんとに一瞬だが、俺もその声に聞きほれてギターが止まりそうになった。
曲の終盤に「君が星こそかなしけれ」と繰り返す場面がある。そこで紗奈さんは、自分の感情をぶつけるかのように激しく、そしてとても抒情的に歌い上げた。……正直に言う。俺は泣きそうになった。
曲が終わると一瞬皆、シーンとなったが、すぐに「すごいよ紗奈!」とか「すばらしかったです~」とか皆称賛の嵐を持って紗奈さんを迎えた。俺のギターの腕前に触れる人はいなかったが、まあいい。本当に素晴らしかった。
「紗奈!あんた気合入れて!これから天下取りに行くからね!」
加奈さんがぶち上げる。でも、本当に聞く人をこれだけ魅了できるボーカルは滅多にお目にかかれない。俺も天下を取るのが絵空事ではないような気がした。
紗奈さんの賞賛が終わり、場の話題はバンド名に戻った。そうかバンド名決めなきゃ。でも、今ほんの一瞬でもいいから、俺は紗奈さんの歌の余韻を楽しんでいたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます