10.カタストロフ

10-1

 K県警捜査一課の刑事部屋。

 大迫猛継おおさこたけつぐはディスクで書類の整理をしながら此乃町このちょうで発生した連続猟奇殺人事件について考えを巡らせていた。


 大迫が考えていたのは第四の事件である神岸菫かみぎしすみれ殺害事件についてだった。この事件は過去の三件の事件と違い模倣犯による犯行だったが、犯人である白沢秋人しらさわあきとは神岸の遺体にナイフを刺すようブギーマンに命令されたと供述している。


 取調べを進めていくと白沢がブギーマンに心酔していることが分かった。

 それは「信仰」あるいは「狂信」と呼んでも差し支えのないレベルに達しており、大迫は巷間を騒がすブギーマンカルトの存在を意識せざるを得なかった。それは大迫と一緒に白沢の取り調べを担当した先輩刑事の前野陽平まえのようへいも同じようだった。


 さらに、第五の事件・翠川絵梨花みどりかわえりか殺しもブギーマンカルトが関係している。

 大迫と前野は情報屋から仕入れた情報を元にブギーマンカルトの「集会」に潜入しようと目論見、翠川殺しの現場となったビルの貸し会議室に向かったのだ。


 まさか、そこに星葵ほしあおいがいるとは思わなかったが……。

 聴取と鑑識の調べの結果、第一発見者の星葵は容疑者候補から外されたが、念のため監視役の刑事が傍に置かれることになった。星葵とその妹は何かとこの連続猟奇殺人事件と縁が深かったからだ。


 新型ウイルスのように狂気が人々に感染しているのだろうか? 

 大迫は自分の妄想じみた考えを頭を横に振り打ち消した。


 多分、白沢は幻聴を聞いたのだろう。

 精神鑑定が必要になると判断した大迫と前野は事前に可能な範囲で準備を進めた。

 これらのことは既に上司の鑑草太かがみそうたに報告してある。


「神岸の遺体に刺さっていたナイフは折刃式のカッターで、百均やコンビニで買えるような安物だったな?」


 隣のディスクでのんびり茶をすすっていた前野が大迫に声をかけてきた。


「ええ。そうです」

「第一の事件から第五の事件まで全ての被害者は殺害されたあとにナイフで胸を刺されている。死因はナイフで刺されたことによる失血死などではなく、首を絞められたことによる窒息死だ。凶器には麻のヒモのようなものが使われた。それも第一の事件から第五の事件まで共通している」

「そうですね」

「第一の事件から第三の事件に使われたナイフはハンドル付きの立派なもの。第四の事件は折刃式の安物。第五の事件では再びハンドル付きのナイフが使われている。連続性は第四の事件で一度失われ、第五の事件で復活した」


 前野はそこまで言うとお茶を一口飲んで唇を湿らせる。


「しかし、それは本当なのだろうか? 実は連続性は失われていなかったのではないか。何故なら、被害者の命を直接奪った凶器は第一の事件から第五の事件まで一貫しているのだから。模倣犯だと判明した第四の事件でも被害者の絞殺に使われた凶器は麻の紐だった。大迫、これは一体何を意味すると思う?」

「それは……」


 大迫は前野の謎かけに答えることができなかった。


「白沢はブギーマンの声を聞いたと言っていたが、星葵の職場を訪れたあの女もブギーマンと関係があるのだろ?」

「はい。星葵の監視と尾行を担当したものの調べでは、あの女性――勅使河原伊織てしがわらいおり灰邑義丹はいむらぎたんなる画家の秘書兼マネージャーをしており、その灰邑が創作のインスピレーションをブギーマンから受けているという話があります。まぁ、インターネットの噂話の範疇を出ない話ですが……」

「ふむん」

「勅使河原が星葵の職場に訪れた直後に二人で向かったギャラリーは此乃町にあります。これは灰邑のアトリエを兼ねているようです」

「ふむむん」


 前野が低い声で呻いた。



 ※



 此乃町の外れにある大きな洋館が牟田口尚哉むたぐちなおやの指定したレストランだった。

 このレストランは|牟田口尚哉=灰邑義丹の「支援者」が経営しているらしい。美朱は葵からそう説明を受けた。


 姉と牟田口、秘書兼マネージャーの勅使河原は打ち解けた雰囲気で食事をしている。美朱は出された料理を機械的に口に運ぶだけだ。食欲はなかったが残しては失礼だし、また姉を怒らせてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けたかった。


 料理の味は悪くない。ように思う。もっと心穏やかなときに食べたかった。

 葵はワインを飲んでいた。少し酔いがまわっているのかもしれない。牟田口の話にケラケラと笑い声をあげている。


 美朱はスマホをいじりたかった。宙樹ひろきにLINEを送りたいと思った。でも、自分にはその資格はないと心の中でかぶりを振る。

 美朱は自分の中で生まれた恐ろしい考えを反芻する。自分の馬鹿げた悪戯が宙樹の父親を殺したかもしれない。そんな恐ろしい可能性を。


 ああ……。


 ため息が出る。どうして自分はこうなんだろう……。

 どうして、もっと上手に生きることができないのだろう。

 心の中に疲労感が澱のように積もっていく。

 だからだろうか。こんなに眠いのは。

 まぶたが重い。目を開けているのがつらかった。

 姉と牟田口、勅使河原が自分を見つめている。


 どうしたんだろう? 私の顔に何か付いてるのかな?


 美朱は薄れていく意識の中でぼんやりと考える。



 ※



 暇つぶしにスマホで電子書籍を読んでいた宙樹は下の階で物音がするのに気付いた。客だろうか。

 複数の若い女の声と男の声。聞き憶えのある声だった。宙樹は耳を澄ます。

 男の声は牟田口だ。女の声は……。



 ※



「ふむむむむん……」


 PCのモニターを眺めていた前野が呻き声を上げた。


「どうかしましたか?」


 大迫は作業を一時中断して前野に訊いた。


「灰邑義丹について調べていたらこんな記事を見つけた」


 大迫がモニターを覗き込む。


「これは……」


 記事は三年ほど前のもので、灰邑が今ほどメジャーになる前に受けたインタビューだった。

 そこに掲載された写真に大迫は見憶えがあった。

 神岸菫殺しの現場で星美朱と一緒にいた少年。彼の保護者としてやってきた男とそっくりではないか。


「鑑さん、ちょっと見て欲しいものがあるんですが」


 前野がこちらの様子を伺っていた上司に声をかけた。

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