第3話 春山紅葉との邂逅 後

 あんぱんと牛乳を買って屋上に戻ってきた俺は、柵にもたれかかって座り続けていた少女にそれを渡しながら訊いた。


「で、なんだよさっきの。宇宙人がどうたらって言ってたけど」

「……はい。宇宙人の侵略の妨害です」


 少女はあんぱんの袋を開けながら答えた。ぱふっという気の抜けた音が屋上に響いて消えていく。少女の声は、さっき俺に向かって怒鳴ったときとは別人のようで、まるで初舞台で緊張している新人女優のように小さくて聞き取りづらかった。


 俺は少女の隣に立ちながら、


「宇宙人の侵略の妨害?」と訊き返した。

「……はい。宇宙人の侵略の妨害です」と少女はまたか細い声で肯いた。


 校舎の屋上を、一陣いちじんの突風が駆け抜けていった。五月にしてはひどく冷たい風で、俺はぶるりと身を震わせる。だが、そんな風の冷たさなどつゆほども気にした様子を見せずに、少女はあんぱんを両手で持ってかぶりついていた。


 俺は混乱しはじめている頭を必死に働かせて、なんとか少女の言っていることを理解しようと努めた。そしてそのために、もういちど頭の中で彼女の言ったことを復唱してみることにした。


 ——『……はい。宇宙人の侵略の妨害です』


 彼女はそう言った。まるで息を吐くように、それが当たり前のことのように言った。


 宇宙人? 侵略? まったく、いったいこの少女は何を言っているんだろうか。いくら考えても、俺には正気の沙汰とは思えない。


 でも俺はとりあえず、ここは理解しているていで少女と話を続けてみようと思った。


 もしかしたそれは何かの隠語で、そう、例えば彼女のクラスでは午後からの授業が体育で、彼女はそれが嫌で雨をこいねがっているのだと言っているのかもしれないじゃないか。ほら、宇宙人が体育のことで、侵入が授業開始のことで、妨害がつまり雨を降らせるってことだ。な?


 ……ふぅ、何を言ってるんだろうね、俺は。


 いや、もう屁理屈はよそう。


 白状すると、俺はただもう少しこの少女と話がしたかったのだ。


 だって考えてみてくれ。少女の見た目は小野小町おののこまちもかくやというほどの完全無欠な美少女なんだぜ? 思春期真っ最中さなかの男子高校生にとって、そんな美少女とお近づきになりたいと願うのはとても健全な思考だって思わないか? 


 少なくとも、俺はこのチャンスをふいにしたくなかったので、少女に向かってしたり顔でうなづいて見せた。


「ふむふむ、なるほど。宇宙人ね。つまりおまえ……あ、えぇっと……」


 そして俺は大事なことに気づいた。


 ——そういえば、この少女はなんて名前なんだ?

 

 にもかくにも、俺はまずそれを訊ねるべきだったのだ。


「おまえ、名前は?」

「……春山はるやま紅葉もみじです」


 果たして少女はその名を口にした。


 ああ、もしかしたらとは思っていたが、やはりこいつがあの春山紅葉なのか。なるほど、確かに変わったやつだと俺は思った。なんというか、アレだな、ひと昔前に流行った電波系女子って言葉がぴったりなやつだ。


 俺はあらためて隣に座ってあんぱんをハムスターのように頬張っている春山紅葉を眺めてみた。俺の視線など気にもせずにもぐもぐと口を動かしているその姿は、なんだか本当に小動物みたいだなと思った。


 美少女で、小動物で、電波系——。なるほど、学校中が知る有名人になるわけだ。


 変に納得してから、俺は彼女との会話を再開させた。


「じゃあ春山。春山はいつもあんなことしてんのか? あぁーつまり、宇宙人の妨害とかいうの」

「……はい。そうしないと地球が滅んでしまいますから」


 もしゃもしゃとあんぱんに顔を突っ込みながら春山紅葉はこともなげにそうのたまった。


 なんともビッグな話だった。ふむ、地球が滅びるときたか。これにはさすがに、俺も閉口へいこうせざるを得ないぞ。だってお前アレだぜ? 両手を空に向けてうんうんと唸ってただけにしか見えなかったぜ? それで地球滅亡の危機から救った? ははは、ジョークならもっと笑って言ってくれ。真顔で言われたらもう危ない奴にしか見えないぞ。——などという心の声はおくびにも出さずに俺は美少女との話を続けた。現金なものである。


「じゃあ何か? 春山がああしてなかったら地球は今頃宇宙人に侵略されてたってことなのか?」


 春山紅葉は牛乳をストローでちゅるちゅると飲みながらコクリと肯いた。ああ、マジかよ、こいつ。


 あまりの衝撃的すぎる春山紅葉の言動に、さすがの俺も二の句を繋げないでいると、


「……先輩は——」


 と、初めてその猫のような瞳で俺を見上げて何かを言いかけた春山紅葉だったが、そのとき折り悪く予鈴よれいのチャイムが鳴った。それを聞いた春山紅葉は、まだ半分ほど残っていたあんぱんをリスのように頬張って咀嚼し、牛乳をストローでズズズッと一気に吸い込んですべてを完食してしまった。


 そしてすくっと立ち上がって、俺にあんぱんの袋と空っぽの牛乳パックを押し付けながら、


「……お弁当とあんぱんと牛乳、ありがとうございました。とても美味しかったです」


 と言って背を向けた。そうして彼女は出入り口に向かって、あるじに愛想を尽かした飼い犬のようにスタスタと歩いていった。


「お、おいっ」


 俺は呼び止めた。だが、春山紅葉は振り返ることなくそのまま屋上から出て行ってしまった。


「いっちまった……」


 後に残されたのは俺と弁当箱と、それからあんぱんの袋と空っぽの牛乳パック。


 ——そしてもうひとつ。


「ん、なんだこれ?」


 俺のすぐ横、春山紅葉が座っていた場所に何かが落ちていた。小さくて丸い輪っかみたいなもの。


 拾ってみる。どうやら指輪みたいだった。ルビーのような赤い色をしていて、よく見るとM・Hとちいさくめいが刻まれていた。


「……これ、やっぱ春山のだよな」


 春山紅葉。イニシャルはM・Hだ。まず間違いなくこの指輪は彼女のものだろうと俺は思った。出入り口へと目を向ける。もちろん春山紅葉の姿はもうそこにはなかった。


「……はぁ仕方ない。あとで渡しに行ってやるか」


 ため息をつきながら指輪その他をブレザーのポケットに突っ込むと、俺は屋上を後にしたのだった。


 

 それでまあとにかく、こんな風にして起こってしまった春山紅葉との邂逅かいこうに対してこのときの俺が言うことがあるとすれば、まあアレだ。


 ゴミを人に押し付けるのはやめよう。いやマジで。

 


 ——二時間後、俺はこのとき指輪を拾ったことを激しく後悔することになるのだが、やはりこのときの俺にはそれがわかるはずもなかったのだ。ああ神よ、願わくば我に予知能力を与えたまえ…………はぁ、超能力者になんぞそう簡単になれてたまるかってんだバカやろう……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る