【超能力者】春山紅葉との邂逅

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第1章 春山紅葉との邂逅

第1話 とある新入生の噂

 どうやら今年の一年の中にはちょっと変わった奴がいるらしい。


 入学式が終わってから賀茂橋かものはし高校の生徒たちの間でまことしやかに囁かれていたその噂を俺が知ったのは、五月初めの連休が終わった最初の登校日のことだった。


 その情報は俺の数少ない友人の一人である天城悟あまぎさとるからもたらされた。


 朝のホームルーム前のこと、俺が登校してクラスに入るや否や、すでに登校していた天城がわずかな時間も惜しいとばかりに話し掛けてきたのだ。


「ようおまえ知ってるか? 春山紅葉はるやまもみじのこと」

「あん? なんだよ、春山紅葉って。どっかの観光名所か?」


 机に鞄を置きながら答えた俺の言葉に天城は苦笑する。


「まあ、ある意味では観光名所みたいなもんだな。だが違う。ひとの名前だよ、うちの学校の生徒のな」


 メガネをクイッと押し上げながら話す天城のその姿は、まるでアニメやゲームなどで主人公にそれとなく今後の展開に関する重大なことを教える事情通の男友達のようだった。あの序盤しか登場せず、終盤には一切影も形も登場しなくなるやつだ。まぁ、あとから考えてみると、その比喩は割と的確だったのだが、もちろんこの時の俺はジョーダン混じりにそう思っていただけだった。


「ふ〜ん。ひとの名前ねぇ。で? その春山紅葉って奴がどうしたんだよ」


 言いながら俺は椅子を引いて席に座り、それから机の前にサボテンみたいに立ち続けている天城を仰ぎ見た。


 下から覗く天城の顔にはまるで砂漠でクジラでも見ているかのような顔が浮かんでいる。おいおい天城よ、おまえそんな顔をしているとまた女子からあらぬ誤解を受けるぞ。この前警察に通報されそうになったのを忘れたのか。


 俺の心の中でそんな風に罵倒されていることなど知るよしもない天城は、やれやれとばかりに肩を竦めて見せた。


「お前ほんとに知らないのかよ? 一年の春山紅葉って言ったら今じゃ生徒会長に次ぐ知名度をうちの学校では誇ってるっていっても過言じゃねえんだぜ?」

「んなこと言われても知らねえもんは知らねえよ」


 全くもって春山紅葉という名など聞いたこともない。そもそもなぜ部活もしていない俺が入学してから一ヶ月しか経ってない新入生のことを知っていにゃならんのだ。知ってるって思うほうがどうかしているぞ。


 俺はもう付き合ってられんと、鞄から英語のノートを引っ張り出し机の上にこれみよがしに広げてから天城に言ってやった。


「——すまんが天城。俺はこれから英語の宿題を片付けなきゃならんのだ。おまえの酔狂すいきょうな話にはいまは付き合ってられん。また後にしろ」


 ノートに視線を移して、あっちに行けと天城に向かって手をひらひらとさせてやった。


 だが天城はそんな俺のことなどお構いなしとばかりに、


「いいから聞けって。仕方ねえ、一から説明してやるよ。そもそもなぜ春山紅葉がわずか一ヶ月で……」 


 その後チャイムが鳴るまで、天城が春山紅葉とやらのことを滔々とうとうと語り続けるのを、俺は英語の宿題をやりながら話半分に聞き流していた。当たり前だ。俺にとってそんな会ったこともない下級生の話よりも、一時間後に差し迫った課題の提出期限の方が重要であったのだからな。


 誰だってそうだろ? 


 どこの世界に提出期限の迫った課題を終わらせることよりも、他人のどうでもいい話に耳を傾けることを優先させるバカがいるというのか。いるとしたらそれはとんでもなくお人好しか、まさしくバカだけだ。

 

 ……だが、俺はこのときの俺をぶん殴ってやりたい。そしてこう言ってやりたいね。


 ——おいこら浅嶺賢治あさみねけんじ! なにをぼけっとナマケモノみたいに聞いてるんだ! おまえは今人生における最も重要なターニングポイントを迎えてるんだぞ! それを英語の宿題の方が大事だとぉ? 馬鹿かおまえは! お前がこの時もっと真剣にこの話を聞いていれば、少なくともそいつが入学以来どんなことをしてきたから変わったやつだと言われているのかさえ聞いていれば、そうすれば俺はあの日アイツに話しかけるだなんて愚を犯すことはなかったんだ! そしたら俺は今頃こんな非日常の世界にいることはなかったはずなんだよ! おい聞いてんのか、浅嶺賢治ッ!


 ……だけど悲しいかな。俺のこの言葉がこのときの俺に伝わるはずもなく、俺の今後の人生にとって春山紅葉がいかに重要な存在だったのかがわかるはずもなく、このときの俺は夏休みの旅行先を決めているバカップルのごとく、英語の主格における関係代名詞の用法について頭を悩ましながら天城の話を右から左へと聞き流していたのだった。


 けど、まあしょうがない。運命とは得てしてこういうものなんだろう。


 誰だって自分がいま人生の岐路に立っているだなんてことはその時には気づかない。あとから振り返った時にはじめて「ああ、アレが俺の人生の分かれ目だったんだな」なぁんて思っても、その時にはもう手遅れ、後の祭りだ。まったく、いったい人生とは世知辛いもんだぜ。


 ゆえにもうこのときには非日常の世界の中へと片足まで侵食されていたことに気づきもせずに、俺は能天気にもなんとかして英語の課題を終わらそうとうんうんと唸り続けていたのだった。


 天城の話から俺が聞き拾っていたのはたったひとつだけ。


 どうやら今年の一年には春山紅葉というちょっと変わった女子生徒がいるらしいということ。


 ——それは俺の日常の崩壊まで三日ばかり前のことだった。

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