清瀬の愛妻クッキング
冷えた麦茶を出すと怪訝そうな顔をされ、何も入れてねえだろうなロン毛野郎と罵倒された。既に様式美と化している。入れてませんよ、私の言葉を待ってから、朝陽はやっとグラスを持った。
「お前が出してくるもんに関しての信用性はマイナスだからな」
いつのまにかあんたからお前になったがこれに意味があるのかはわからない。
「何も入れてへんてゆうてるでしょう、いつまでも疑り深い」
「いつまでも疑り深くさせたのはお前だ清瀬」
朝陽はぶつくさと文句を言い、家の中を見渡しながら麦茶を一口飲む。その視線はキッチンで止まった。鋭い目線が少し気になる。
「どうしたんですか?」
聞けば、面倒そうに一瞥された。朝陽はソファーに凭れ掛かり、自分の隣を掌でとんとん叩く。
移動して隣に座ると、気になってたんだが、と慎重な口調で切り出された。
「お前、どうやって骨混ぜてた?」
「えっ?」
「えっ? じゃねえよ」
朝陽は舌打ちつきで怒ってから、
「万が一食べてたら気付くだろうが。気付かせないようにする工夫くらいはしてたのか?」
重ねて問い掛けてくる。
頷きながらキッチンの方向を見た。過去の私がぼんやり浮かんで、あの時期のことを思い出す。
遺骨は激しく焼かれて脆かった。取り出して少し擦るだけでもぽろぽろ崩れて調理台に散る。加奈子がこぼれたことが悲しく、慌てて小皿に欠片を移した。それから、遺骨の一片をすり鉢へできるだけていねいに置いた。
朝陽大輝は加奈子を見殺しにした。けれど、殺したわけではない。法で裁ける罪をあの男は背負っていなかった。
「……ごめんな、加奈子」
骨を叩き割り、出来るだけ細かくなるように時間をかけて磨り潰した。そのうちに殆ど粉のようになって、これならば、と試しに醤油と混ぜてみた。
混ざらなかった。今考えれば当たり前なのだが、液体に溶けるわけではないため、骨の部分がどうしても浮いて目立つ。
これはいけない。私は焦った。朝陽大輝は加奈子が既婚者だと気付かなかった鈍さはあるが、加奈子を惹かせた何かを持つ男でもあるのだ。慎重に行こう。
「……色が濃い料理にしよかな……」
加奈子を一粒も無駄にするわけにはいかない。醤油イン加奈子を一先ず横に置き、冷蔵庫を開いた。中をじっくり見て、そうかと閃き豆板醤と鶏がらの粉末を引きずり出す。ついでに冷凍庫から刻み葱も出した。
麻婆豆腐である。色も濃く、刻み葱や唐辛子の粒という目眩ましも入っており、なにより美味しい。ご飯にかけても美味しい、中華の歴史は馬鹿に出来ない。
「ちょっと待て」
制止をかけられたので一旦止まる。
「なんでしょう朝陽さん」
「麻婆豆腐は美味くない、俺は麻婆茄子派だ覚えろ」
「豆腐はヘルシーやし安いやないですか! 茄子なんて贅沢や!」
「主婦みてえなこと言ってんじゃねえ!」
二の腕の側面を強めに叩かれて理不尽だなと思う。それで? と煙草を咥えつつ聞くので、頷いてから再び思い出す。
細かく砕いて粉末にした加奈子の入った、麻婆の調味料を拵えた。透明の計量カップに一旦移し、加奈子が目立たないかも確認する。ごま油で焦がし焼いた刻み葱が良い雰囲気で浮いており、加奈子のほうに視線がいかない。
「ええな……あの不能クズもこれなら騙せるやろ……」
不能クズ、のところで朝陽の眉がピクリと動いたが話を続ける。
取り出した豆腐の水を切り、自分用を多少切り分けてから朝陽用をタッパーに入れる。調味料はすべて朝陽のアパートに持ち込むため、こちらも液漏れのしない容器に入れて、底のしっかりした鞄へと放り込む。
そして調理台に向き直る。気になるのは味だった。万が一冷酷暴力男が口にしても、死体損壊の方向で罪に問えるだろうし、まったく問題はない。望みとしては捨てさせたいし、捨てるように仕向けるつもりでもあるのだが。
考え事をしつつ、ミンチ肉を二人分炒めた。半分は朝陽用にして鞄へ、もう半分は夕飯兼用の試食だ。骨を混ぜていない調味料を作って、豆腐をミンチの中にゆっくり入れる。よく見れば木綿豆腐の欠片も絶妙に骨の違和感を消しそうな様子である。いける、という確信を持つ。
仕上がった麻婆豆腐を昨日炊いた米と共に食べた。辛さはちょうど良く、白米はどんどん進んだ。嬉しくなったので鶏がらスープを作り、といた卵を回しいれて卵スープも作った。再度食事に戻って、掻き込みながら、私は加奈子を思い出した。
料理について、加奈子にはいつも怒られていた。曰く味付けが濃い、今度は薄い、カロリー計算をしていないと、けっこう頻繁に料理を残された。今思えばその時点で話し合ったりするべきなのだが、私には加奈子しかいなかったため、縋る思いで次は気をつけると言い続けた。
不機嫌なときの加奈子は恐ろしかった。私は捨てられてしまう恐怖に、常日頃晒されていた。
「ちょっと待て」
朝陽は思い切り眉間に皺を刻みながらまたストップをかけてくる。
「今度はなんですか」
「清瀬お前、加奈子にもサンドバッグにされてたのか?」
「いえ? ちょっと不機嫌なときに、不能の愚図、みたいなことは言われましたが……すぐ謝って、優しくしてくれたので、俺があかんかったんやなとおもてました」
「…………」
「どうしました、話を続けますよ」
無言のまま頷かれたので、再び回想に戻る。ええと、夕飯を終え、煙草を吸ってから、家を出て……。
「そう、食事をしてから、貴方の部屋に行ってました。食べてないこともままありましたが、食べないことには仕事にもいけないので」
「そりゃそうだろ。俺はお前の調理してる姿はろくに見てなかったが、というかお前自体を視界に入れたくなかったんだが」
「今は入れまくっとるやないですか」
「お前は自分から割り込んでくるんだよクソ長髪野郎」
不能とつけない辺りは加奈子への対抗なのだろうか。ちょっと嬉しい。
「それでやな、下拵えはほぼ終えてから、朝陽さんの家で仕上げやら温めなおしやらをこなして、テーブルの上に置いとったわけです。色の濃い調味料を使うものが多かったですが、焼きそばやパスタ類も多めやったんは、具材を増やせばそのぶん加奈子も目立たんようになるからです」
「その言い方止めろ」
朝陽は嫌そうに手を振ってから、私を押し退けるようにしてその場に立った。短くなった煙草を捨てて、後頭部をばりばり掻き毟り、私を見下ろしてくる。
「たまには俺が作る」
「えっ、嫌です」
間髪入れずに足を蹴られる。そしてキッチンに向かっていくので、慌てて背中を追い掛けた。
「待て、今日は麻婆カレーにしようとおもてたんやから勝手に作ったらあかん!」
「なんっで辛いモンに辛いモンを混ぜるんだ!」
「美味いやないですか!」
「お前バカ舌か!?」
朝陽は文句を言いながら冷蔵庫を開けて、ジャガイモと人参とタマネギをごろごろと取り出した。思い切りカレーの材料だ、どうするのかと思っていると、包丁を握り始めた。その時点で少し怖かった、急に刺してきそうということではなく、握り方が小学生のそれだった。
「朝陽さんほんまにやめよう、な?」
つい保健室にいるときのような口調になる。ぎろりと横目で睨んでくるので、そうやなくて、と弁解を挟んだ。
「辛いものはあんまり好きやないなら、この材料で肉じゃがにでもしましょう、どうですか? 冷蔵庫に浅漬けにしてある白菜もあるんですよ、味噌汁もさっと作れる材料は揃ってますし、本日は日本食ということで……」
「たまには手伝ってやるって言ってんだよ」
「やめましょう。ええんです俺は朝陽さんが残さず食べてくれるだけで嬉しいので、ほんまですよ。いえ、どうしてもお手伝いがしたいという心境なんやったらそうですね、どうしよな、あかんどないしよう、ええと……そのまま材料切って指も切ってもうて俺に手当てされるのと、ソファーに座りながら煙草吸うて待ってるのどっちがええですか!?」
包丁を持っていないほうの手で叩かれた。朝陽は舌打ちをしながら包丁をまな板の上に置き、ソファーのほうへと歩いていく。背中にちょっと哀愁があった。申し訳なく思ったが、怪我人を防げたことに関しては自分を褒めたい。
しばらくして出来た肉じゃがを、朝陽は無言で口に運び続けた。白菜の浅漬けも気に入ってくれたようで、米と共にどんどん消費する。
加奈子は私の作ったものをほぼ残したのだが、この人はほぼ残さない。それだけで嬉しい。
「……にやつくなよ、めんどくせえなお前は」
「朝陽さん、美味いですか?」
朝陽はぶっきらぼうな口調で、美味い、と呟く。思わず笑ってしまうと、嫌そうな顔を向けられたが、なんだかもう慣れてしまったので、嬉しいです、と口に出して伝えた。
食事後、皿を洗っていると朝陽が寄ってきた。縛っていない私の髪を指先でくるくる巻き取りながら、
「明日のメシは?」
と聞いてきたので、
「キムチ鍋です」
と歯切れ良く答えてみた。冗談だったが、朝陽は長く深い溜息をつきながら、私の髪をぐりぐりと抗議のように引っ張った。
それから肩に凭れ掛かってきて、
「和食が好きなんだよ……」
と唸りながら教えてくれた。寄りかかられてそれどころではなかったが、私の動揺には気付かないまま、朝陽はすっと離れてソファーに戻った。
なんというか、加奈子やほかの女性が朝陽に惹かれた理由の一端がわかった気がして、悔しくなった。
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