第4話 厳しい侍女、甘い母

「遊ぶのは大いに結構。しかし人としての規はお守りくださいませ」

「ごめんなさい」


 完全降伏。アイラは濡れ鼠のまま説教を聞かされる。水瓶に入っていたのは虹の水だったので、口元をなめると甘い味がした。


 この国だけにこんこんと湧く、虹色の水。それはただ飲むだけで甘く、大人が十分に飢えをしのげる栄養源となる。一切普通の食事をとらず、虹の水だけを飲み続ければ五百年は生きられるという真偽のわからない伝説もあった。


 伝説はともかく、どんなに天候が悪くても、アイラの母国ドラガヌシュはこのおかげでひとりの餓死者も出したことがないのは事実だ。


 もっと加工すれば甘味といっても様々な味わいになるのだが、ただ甘いだけというのも悪くない。アイラはこっそりと無加工の水をなめるのが好きだった。他の国なら、砂糖というものを使ってこういう味を出すのだそうだ。


 ひとしきり説教が終わると、今度は身体に無数のすり傷があるととがめられる。そう言えば、店に入る前に果物狩りの手伝いをしたのをすっかり忘れていた。その時に草木で切ったのだろう。


 侍女頭の愚痴とともに薬が運ばれてくる。これも、虹の水からできている。薄く血がにじむところに塗ると、ぴたっと血が止まる。さらに水の成分が固まって、そのまま皮のようになった。数時間すれば剥がれるが、そうなったら傷もきれいに消えている。


「……ふむ。治った。ありがとう」

「これ以上、生傷を増やさないようにしてくださいましよ。嫁入り前のお姫様が」

「はいはい。母上は? 化粧中?」

「ええ」

「じゃ、長いな。こっちから行くか」


 着付けから化粧まで、貴族の着替えというのはとにかく手間と時間がかかる。普通、面会希望者はそれが終わるまで控えの間でじっと待っているしかないのだが、娘であるアイラは治外法権であった。


 王宮の奥、その東側。ハレムと呼ばれる、王の寵愛を受けた女性だけが住む一角。あふれるばかりの金細工で彩られ、床に高価な紅糸で織られた絨毯がしかれた部屋。そこがハレムでアイラたち母子に割り当てられた部屋だった。窓は開け放たれ、外界から穏やかな風が吹き込んでいる。


 部屋の隅で使用人に華やかな飾り布を巻いてもらいながら、母のアールシが熱心に顔に化粧水をはたきこんでいる。この化粧水も、これから塗る軟膏のような保湿剤も、虹の水の加工品だ。血行促進と皮膚の生まれ変わりを助ける効果があるらしく、ドラガヌシュの女は十は若くみられるというのはこの化粧品たちの恩恵が大きい。


「アイラ。床の手紙」


 アイラに気付いた母が、はたく手を止めないまま言った。確かに、母と反対の部屋隅に照明の光を浴びた白い紙の山が鎮座している。ゆうに数百はあり、飾りのついた室内履きを覆い隠していた。


「……私が出したやつね」

「全部受け取り拒否だって」


 アイラの出した手紙が、全て戻ってきていた。母は正面を向いたまま、ため息をつく。


「アイラ。これは、何?」

「手っ取り早く、名をあげたいと思って。惑星武器の選抜に参加できるよう、大臣や神職たちに口添えを頼んだの」

「……お父様はあんたの志願に反対だったじゃないの」

「だから考えを変えさせないと。お母様の口添えだけじゃ無理だったから、後押しが要るの」

「それはご苦労様ですこと……でも、断られてちゃ意味がないわね」


 図星をつかれて、アイラは舌打ちをした。


「あと、お父様の気持ちも分かってあげなさいな。武器の選抜は参加して終わりじゃないのよ、分かってる?」


 アールシの声に険が混じる。背が低く、目も大きい童顔のためぱっと見は少女のように見える母で、見た目はちっとも迫力がない。だが、この声での叱責だけは地味にこたえる。幼少時からの蓄積とは恐ろしいものだ。アイラは素直に、考えを巡らせてみた。


 この国は、様々な恵みをもたらす虹色の水が湧く。しかし恵みは災いも生む。一定の周期で、一部の特殊な加工をしたものを除き、全ての虹の水が濁り固形の「泥」となる。それはただの固体ではなく、凶暴な意思を宿す怪物だった。これに食われた民は数知れず、なんの対処もしなければ国が滅ぶのは確実だ。


 天敵に対応するために作られたのが、星の力をいただく特殊な武器である。使用者を選ぶといわれるこの武器は、数十年ごとに己と似た多数の「子」を生む。「子」は百以上の数があり、それを最も上手く使えた者が武器の次代だ。その選抜が明日から始まる。実際の「泥」を相手にするため、参加するだけでも死の危険は伴うが……選ばれれば、名を上げるために役に立つに違いない。


 アイラは目を閉じ、次に選ばれた場合に自分が相対する「泥」について考えてみた。


 鳥の形、魚の形、獣の形、伝説中の精霊の形。様々な姿をしているが、みな一様に血のような赤黒い体を持ち、各種族の持つ攻撃的な部分──鳥なら嘴や爪、魚なら牙に鰭──が極端に大きく進化した異形たちだ。


 それが地響きとともに、人間めがけて襲いかかってくる。化け物たちは決して共食いすることはなく、標的はこの国に住まう者だけだ。そして、いかなる言葉も理解せず、いかなる命乞いも聞き入れることがない。捕まれば踏みつぶされ、切り裂かれ、苦しんだ末の死が待っている。


 考えただけで胸が高鳴ってきた。


 アイラは自分が長生きできると思っていない。それだけの業があるからだ。なるべく短期間で名前をあげ、しかるべき地位を得るのが人生の目標だった。目の前にそれが叶う絶好の機会があるというのに、みすみす指をくわえている気はない。


 熱をこめて参加を訴える娘を、アールシは冷め切った目で見つめた。内心で呆れているのがよくわかるが、止めて聞く娘でないことも同時に理解しているはずだ。彼女の身支度は終盤に入り、侍女が薄い金色の髪を複雑に編み込んでいる。アイラが焦れるほどたっぷり間をあけてから、ようやく母は口を開いた。


「せっかく、お父様が安全な赴任地を見つけてくださったのに。あんたはあちこちに手紙を書いてまで、それを蹴ろうとするのね。変わった娘」

「ふへへ」

「笑うんじゃありません」


 アイラは軍学校を出ている。卒業生は、各々割り振られた室の防衛につくのが慣習であった。しかし当然、室によって守りやすさには差がある。


 この国の現王でもある過保護な父親が見つけてきたのは、王宮に近く厳重に守られた室の職だった。そんなところにいたら、名をあげる前にババアになってしまう。アイラは最初から、行く気などなかった。


 母は娘の顔を見て、とうとう苦笑いを浮かべる。


「……どうしてもやりたいなら、父上に直接言いなさい。それで説得できないなら、志願は諦めることね。成功したら、私は後腐れ無く応援するわ」

「はあい」


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