閑話休題:もともと1人が好きだった
思えば小さな頃から1人でいるのが好きだった。
孤独が好きとかそういうのじゃなく、例えば幼稚園でみんながかくれんぼや鬼ごこをして遊んでいるとき、1人で本棚から自分の気に入った本を出して読むのが好きだった。
「○くん」「○ちゃん」の家に遊びに行くよりも、1人でテレビでアニメや、面白いと思った映画を何回でも繰り返し見る方が楽しかった。
物心つく頃から徹底した個人主義、団体行動とかを意識してろくな結果につながったことがなかった。
社会人生活は、警察官から初めて、建築資材の会社、飲食業と複数回の転職を経験したが、ほとほとチームプレイといったものに縁のない人間なのだと今となっては苦笑い。
俺こと下河原友也はつくづく面倒臭いタイプの人間なのだと、酒を飲みながら夜に1人で苦笑いをしている。
今朝方、机の引き出しの中を整理していたら、警察官時代の写真が一枚出てきた。
紺色の制服に身を包んで、なんとも言えない固まった顔をしている…おいおい、お前早いとこそこから逃げろよ…やめちまえよ…
写真に向かって、そして過去の自分に向かって語りかけてもしょうがないが、小さな声が自然と口から漏れた
深呼吸して、指で何回もその写真をちぎって細かくして、ゴミ箱に入れた
思い出したくもない…警察官だった過去はもういらない…誇りにすら思えない。
警察官を8年間勤めて、その中で学んだ一番大きなことは
俺は試験を受かったからといって、そこに就職するべきじゃなかったし、そしてたとえあれ以上警察にいたとしても、警察の仕事を理解することも、そして、他の巡査や巡査長連中と同じような、「人並みの仕事」をする能力も養われなかっただろう…
ということだ。
だいたいにして、何度も思い出すが、団体行動が大の苦手で、協調性とか言ったって、自分が強調したい人間にしか強調したくないし、みんなで一緒に毎日ご飯を食べるなんてまっぴらごめんだ
「同じ窯の飯を食った中」という言葉があるそうだが…それが何かしたか?
その窯の飯が不味かったとしたら?記憶から消去したいに決まっている。
少なくとも俺には「同じ窯の飯を食ったから仲間だ、友達だ」という概念は理解できない、おそらくこれからも絶対に理解できないだろう。
警察という仕事は必要だし、懸命に今も働いている人々には敬意も払うが
とにかく俺には警察は向いていたなったということだ
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