鋭い閃光

まゆし

鋭い閃光

 買い物に行こうと家を出たら、絶妙なタイミングで雨が降り出した。突然の豪雨。


 傘は持ってない。傘を買ってまで買い物に出掛ける程、早急に欲しいモノはない。ただの気晴らしに、買い物をしたかっただけだった。

『絶妙』だったのは、家からも離れて、駅までもまだ距離がある。マンションの入り口で雨宿りさせてもらってるけど、コンビニは見渡しても視界に入ってこない。

 つまりは、帰るにせよ行くにせよ傘を買うにせよ、濡れる。雨はしばらく止みそうにもない。


 ふとマンションのすぐそばに、見知らぬ喫茶店を見付けた。ずっと立っているよりは、と逃げ込むように扉を開けた。ハンカチでサッと雨を拭いていて気が付いた。


 店員がいない。「いらっしゃいませ」の声がしない。店員も客もいないことに気が付いた。ここは明らかに喫茶店、『OPEN』になってるのも視たはず!

 私は入り口でどうしたらいいのかわからずに、動けずに居た。待ち時間をもて余し、出た方がいいか若干そわそわする。「こんな場所に、こんな喫茶店あったかしら」と考えながら。


 するとそう間もなく店の奥から店員が出てきて「お待たせ致しました、いらっしゃいませ」と、澄んだ声を静かに響かせた。その声に聴き惚れてホッとする。もしかしたら、店員が出てきただけでホッとしたのかもしれないけれど。


 店員は妙な雰囲気の女性だった。一人でいることを確信しているような口ぶりで、この喫茶店で待ち合わせをしている可能性が無いことも見透かしているかのように「お好きなお席にどうぞ……」と言った。


 妙な雰囲気なのは、店員だけではなかった。店内全てが妙な雰囲気だった。『妙』といっていいのかわからないけれど。昔ながらの古風レトロな感じでも、流行りの御洒落スタイリッシュな感じでもない。喫茶店といえば、誰もが想像するような初老の店主マスターも居ない。


 まぁ、どちらかといえば古風レトロ寄りかもしれない。焦茶色を基調とした店内。椅子には柘榴ザクロ色をしたクッション。昼間なのに日当たりが悪いのか薄暗いし、ランプに灯る明かりは霰石アラゴナイトのような白よりも黄色寄り。そして私以外に客はいない。客が来る気配すらない。


 私はひとしきり店内を観察すると、紅茶を注文オーダーした。珈琲は苦手で、甘めの珈琲牛乳カフェオレしか飲めない……


 注文オーダーした紅茶が卓子テーブルに置かれた。紅茶が入っているであろうポットと、温められたカップとソーサー。さらに頼んでもいないのに、一冊本が置かれた。その本には題名タイトルがない。


 これは何の本なのかを聞こうかと店員を見上げると、柘榴石ガーネットの眼で私を視て言った。


「お待たせ致しました。よろしければ、こちらもどうぞ……」


 そして、私が質問する前に店員はくるりと私に背を向けて店の奥に消えた。


 こちらもどうぞ、と言われても。


 そう思ったけれど、読みたい本も読みかけの本も持っていなければ、スマホをずっと操作し続ける気分でもない。むしろ、スマホなんて視たらきっと未読メールがかなりあるはず。また仕事で頭がパンクする。だからスマホは鞄から出したくもない。

 自分のことは何一つしたくないけれど、買い物に出掛けるつもりだっただけだから、手持ち無沙汰なのは確か。


 ポットからカップに紅茶を注いで、その紅茶と一緒に卓子テーブルに置かれた本に手を伸ばしてみた。


 紅茶は、紅玉髄カーネリアンのような色に少し濃いめの味。美味しい、ダージリンかもしれないな。茶葉は、メニューには載ってなかった。

 そのまま、砂糖もミルクも入れずに飲むことにする。香りもいいし、口当たりもいい。大分、気持ちに余裕が出てきた。


 私は手に取った本の表紙と背表紙をしげしげと視てみた。やはり何も書いてない。一体、この本は何なんだろう。厚くもなく薄くもない。読みやすい詩集かしら。それとも活字びっしりの長編作か、一作一作がサクッと読める短編集か。変なビジネス書は避けたい。

 そもそも、紅茶が無くなるまでに読破できるのかもわからない。


 ──よろしければ、こちらもどうぞ……


 あの言葉の意味はなんだろう。持って帰ってもいいというニュアンスを含んでいたようにも思えたけれど。どうしたものかと考えつつ、そっと本を開いた。


 短編集だった。でも、その一作毎の題名タイトルから内容に一貫性は感じられなかった。通常、短編集であれば『一連の題材テーマ』があるのではなかったかしら。題名タイトルだけが、バラバラなだけもしれない。


 でも、これなら適当に読んで、適当に帰れそう。


 ぱらり。目次から次のページへと進める。


 ちょっと不思議な話から、くすっと笑ってしまいそうな短い短い話。暗めな話。涙が浮かぶ話。一作一作は全くといっていい程、一貫した題材テーマは無い。だから、とても読むのが気が楽だった。純粋に楽しめた。


 本音を言えば、いくら手持ち無沙汰とはいえ、内容によっては読みたくはなかった。手に取りはしたけれど、わざと感動させたり、わざと励ましたりするような文章だけが並んでいるようなものなら読みたくなかった。

 私の心は意図的に触れられたくなかった。


 気がついた時、本はまだ途中なのに紅茶がなかった。どうやらかなり集中して読んでしまっていたようだった。


 少し残った紅茶はポットに茶葉を一緒に入れすぎたようですっかり冷えている上に、物凄く苦くて渋い。


 本は持って帰っていいものかもわからないし、先も気になる。先、というのは変な話。短編集なのだから。まだ読みきれていない作品が読みたい、と言うべきか。


 いや、今しがた読み終えた作品の次には、おそらく対になる作品が載っているはずだ。私は何故かそう感じていた。ここで読むのを止めたくなかった。


 だから私は、また紅茶を注文オーダーした。


 すっかり冷めてしまった、苦くて渋い紅茶は無理矢理飲んだ。あぁ、個人的な感想としては、上手く言い表せないけど『苦いし渋い』と思うような作品も載ってたな。なんて思いながら。


 その時、私はやっと気がついた。店員は自動人形オートマータだ。あの整った顔立ち、柘榴石ガーネットが嵌め込まれた眼に無駄の無い動作、感情が窺い知れない声。必要最低限の対応。


 聞いたことがある。自動人形オートマータに出会うことがある、けれどそれはとても稀である。稀な上に、出会う時には必ず理由があると。


 必要な条件は誰も知らない。


 出会うために必要な条件を、今の私は全て持っている。『条件を全て持っている』と私の直感が働いた。だから、ここに呼ばれて立ち寄ったんだ。これは偶然であり必然だったわけだ。


 なるほどね。本に夢中になるわけだ。自動人形オートマータが何を考えているのかは知らないし、考える機能があるのかすらわからない。根拠は何もないけれど、これは仕組まれたものだいう結論に至った。そしてこの本の作者は、きっと一人ではない。


 多分、これから読む一作は苦くて渋い。そんな予感がした。でも、読みたい。今すぐ、ここで。この奇妙な店内で。様々な題材テーマがひしめき合う奇妙な会話をする本を読みきってしまいたい。


「お待たせ致しました……」と言った自動人形オートマータは、もう本を持ってきていない。


 再び注文オーダーした紅茶が卓子テーブルに置かれた。そして、紅茶が入っているであろうポットと温められたカップとソーサー。


 カップには少なめに紅茶を注ぎ、ポットから茶葉は取り出しておいた。渋い口の中は甘味を欲していて、私は卓子テーブルの隅にあった星形の角砂糖を紅茶に入れた。


 星の砂糖が、紅茶の中に沈む時、鋭く光った。


 私は眼を疑った。


 だけどそのまま、ミルクをそっと流し込んだ。

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鋭い閃光 まゆし @mayu75

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