鋭い閃光
まゆし
鋭い閃光
買い物に行こうと家を出たら、絶妙なタイミングで雨が降り出した。突然の豪雨。
傘は持ってない。傘を買ってまで買い物に出掛ける程、早急に欲しいモノはない。ただの気晴らしに、買い物をしたかっただけだった。
『絶妙』だったのは、家からも離れて、駅までもまだ距離がある。マンションの入り口で雨宿りさせてもらってるけど、コンビニは見渡しても視界に入ってこない。
つまりは、帰るにせよ行くにせよ傘を買うにせよ、濡れる。雨はしばらく止みそうにもない。
ふとマンションのすぐそばに、見知らぬ喫茶店を見付けた。ずっと立っているよりは、と逃げ込むように扉を開けた。ハンカチでサッと雨を拭いていて気が付いた。
店員がいない。「いらっしゃいませ」の声がしない。店員も客もいないことに気が付いた。ここは明らかに喫茶店、『OPEN』になってるのも視たはず!
私は入り口でどうしたらいいのかわからずに、動けずに居た。待ち時間をもて余し、出た方がいいか若干そわそわする。「こんな場所に、こんな喫茶店あったかしら」と考えながら。
するとそう間もなく店の奥から店員が出てきて「お待たせ致しました、いらっしゃいませ」と、澄んだ声を静かに響かせた。その声に聴き惚れてホッとする。もしかしたら、店員が出てきただけでホッとしたのかもしれないけれど。
店員は妙な雰囲気の女性だった。一人でいることを確信しているような口ぶりで、この喫茶店で待ち合わせをしている可能性が無いことも見透かしているかのように「お好きなお席にどうぞ……」と言った。
妙な雰囲気なのは、店員だけではなかった。店内全てが妙な雰囲気だった。『妙』といっていいのかわからないけれど。昔ながらの
まぁ、どちらかといえば
私はひとしきり店内を観察すると、紅茶を
これは何の本なのかを聞こうかと店員を見上げると、
「お待たせ致しました。よろしければ、こちらもどうぞ……」
そして、私が質問する前に店員はくるりと私に背を向けて店の奥に消えた。
こちらもどうぞ、と言われても。
そう思ったけれど、読みたい本も読みかけの本も持っていなければ、スマホをずっと操作し続ける気分でもない。むしろ、スマホなんて視たらきっと未読メールがかなりあるはず。また仕事で頭がパンクする。だからスマホは鞄から出したくもない。
自分のことは何一つしたくないけれど、買い物に出掛けるつもりだっただけだから、手持ち無沙汰なのは確か。
ポットからカップに紅茶を注いで、その紅茶と一緒に
紅茶は、
そのまま、砂糖もミルクも入れずに飲むことにする。香りもいいし、口当たりもいい。大分、気持ちに余裕が出てきた。
私は手に取った本の表紙と背表紙をしげしげと視てみた。やはり何も書いてない。一体、この本は何なんだろう。厚くもなく薄くもない。読みやすい詩集かしら。それとも活字びっしりの長編作か、一作一作がサクッと読める短編集か。変なビジネス書は避けたい。
そもそも、紅茶が無くなるまでに読破できるのかもわからない。
──よろしければ、こちらもどうぞ……
あの言葉の意味はなんだろう。持って帰ってもいいというニュアンスを含んでいたようにも思えたけれど。どうしたものかと考えつつ、そっと本を開いた。
短編集だった。でも、その一作毎の
でも、これなら適当に読んで、適当に帰れそう。
ぱらり。目次から次のページへと進める。
ちょっと不思議な話から、くすっと笑ってしまいそうな短い短い話。暗めな話。涙が浮かぶ話。一作一作は全くといっていい程、一貫した
本音を言えば、いくら手持ち無沙汰とはいえ、内容によっては読みたくはなかった。手に取りはしたけれど、わざと感動させたり、わざと励ましたりするような文章だけが並んでいるようなものなら読みたくなかった。
私の心は意図的に触れられたくなかった。
気がついた時、本はまだ途中なのに紅茶がなかった。どうやらかなり集中して読んでしまっていたようだった。
少し残った紅茶はポットに茶葉を一緒に入れすぎたようですっかり冷えている上に、物凄く苦くて渋い。
本は持って帰っていいものかもわからないし、先も気になる。先、というのは変な話。短編集なのだから。まだ読みきれていない作品が読みたい、と言うべきか。
いや、今しがた読み終えた作品の次には、おそらく対になる作品が載っているはずだ。私は何故かそう感じていた。ここで読むのを止めたくなかった。
だから私は、また紅茶を
すっかり冷めてしまった、苦くて渋い紅茶は無理矢理飲んだ。あぁ、個人的な感想としては、上手く言い表せないけど『苦いし渋い』と思うような作品も載ってたな。なんて思いながら。
その時、私はやっと気がついた。店員は
聞いたことがある。
必要な条件は誰も知らない。
出会うために必要な条件を、今の私は全て持っている。『条件を全て持っている』と私の直感が働いた。だから、ここに呼ばれて立ち寄ったんだ。これは偶然であり必然だったわけだ。
なるほどね。本に夢中になるわけだ。
多分、これから読む一作は苦くて渋い。そんな予感がした。でも、読みたい。今すぐ、ここで。この奇妙な店内で。様々な
「お待たせ致しました……」と言った
再び
カップには少なめに紅茶を注ぎ、ポットから茶葉は取り出しておいた。渋い口の中は甘味を欲していて、私は
星の砂糖が、紅茶の中に沈む時、鋭く光った。
私は眼を疑った。
だけどそのまま、ミルクをそっと流し込んだ。
鋭い閃光 まゆし @mayu75
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