スカイツリーに引っかかれ!
中井佑陽
プロローグ
俺には、何度も繰り返し見た動画がある。タイトルは『悪魔の左足』。動画サイトに誰かが上げた動画だ。
スマホを持って、部屋のベッドに腰掛ける。柔らかいいつものベッドに触れて、ようやく今日一日の緊張が和らいだ気がした。
いつものようにアプリを開いて再生ボタンをタップする。別れの儀式にしては、何のためらいも、もったいぶりもない、いつも通りの仕草だと我ながら思う。
『悪魔の左足』。ロベルト・カルロスのスーパーゴール集。
ロベルト・カルロスはブラジルの往年のサッカー選手だ。その強烈なキック力から「悪魔の左足」と恐れられた男。そして、俺が最も憧れた選手だ。
この動画を何度も見た。何度も。数十万という再生回数のうち、半分は俺なんじゃないかというくらい見た。だが、これを見るのはこれで最後にするつもりだ。
ピッチ上の選手達が動き出す。悪魔がボールを持ち、左足を振り抜くと、地を這うような低い軌道のシュートがディフェンスの間をくぐり抜け、ゴールに突き刺ささる。
別のシーンに切り替わる。今度はフリーキックのシーン。長い助走から放たれたボールはキーパーが動いたときにはもうゴールの中。唖然として立ちすくむゴールキーパー。
サッカーを見たことがない素人だったら「サッカーのシュートってこういうものなのかな」と思ってしまうのかもしれない。しかし、サッカーを長くやればやるほど、このボールの動きがいかに異常であるか思い知る。
そのあとも、次から次へと、ミドルレンジ、ロングレンジからのシュートが面白いようにゴールネットを揺らす。画面の右から左へ、高速で横切っていくボール。
この動画を初めて見たのはまだ小学生の時だった。「こんなシュートを俺も決めてみたい!」とワクワクしたあの頃の自分を思い出す。
当時から俺はディフェンダーをやっていた。俺は天才タイプじゃない。華麗でクリエイティブな動きはできそうになかった。だけど、来たものに反応するとか、必死にボールを追いかけるとか、与えられた仕事を、粘り強く、きっちりこなす方には適性があった。その特性はディフェンダー向きだった。
でも、ディフェンダーの華のなさに寂しさもあった。はっきり言って、かっこよくゴールを決めてモテたかった。ヒーローになりたかったし、人気者になりたかった。
そんなことを思っていたとき、夢を与えてくれたのがロベルト・カルロスだった。ロベルト・カルロスもポジションはディフェンダーだ。ロベルト・カルロスの存在を知って衝撃を受けてからは、ディフェンスの仕事にもやりがいを覚えるようになった。
俺は左利きだから、「悪魔の左足」の異名を受け継ぐ権利もある。「将来ロベルト・カルロスみたいなサッカー選手になりたい」と卒業文集にも書いた。
中学に入ってからは、ロングシュートの練習をずいぶんやった。とにかく速くて強いボールを蹴りたかった。
真面目にコツコツ練習を続けた甲斐もあって、キックの強度と精度はそれなりに向上した。単純なキック力では部内でも一、二を争うレベルにはなっていた。遊びのPKで俺がボールを蹴ろうとすると、キーパー役のやつがちょっとびびるくらいになれたのは自分でも満足の成長だったと言える。
しかし、多少強いボールが蹴れるからといって、ロングシュートなど、そうそう打てるチャンスはない。左利きだから左サイドの専門家となり、そこから強いキック力を生かして、大きくボールをクリアしたり、長いパスを出せるのがウリの選手になっていた。
結局俺は、遊びの試合を除けば、ロングシュートを決めることなく、つまりは、ロベルト・カルロスらしさを一つも発揮することなく、中学を卒業する。
高校に入っても、中学までやっていたサッカー部に入るのは当然のことだと思っていた。特に何も考えずに入部していた。だが、薄々気付いていた。どこかでもう辞めたいと思っている自分に。
俺はどれだけ頑張っても、ロベルト・カルロスにはなれない。そんな才能はない。自分が一番わかっていた。このままサッカーを続けても未来はないと……。
だから、あのことがあったのは、いいきっかけだった。そう思うしかない。
高校二年の六月の今日、俺はサッカーを辞めた。
動画を一通り見終わって、俺は「お気に入り」から動画を削除して、ベッドに横たわり、目を閉じた。
わざわざスマホで再生しなくても、もう頭の中でいくらでも再現できる動画をあえて見たのは、最後に一度だけ見て終わりにするためだった。もう忘れようという儀式のはずだった。
けれど、意に反して左足に力がこもっていく。その左足を思い切り振り抜くと、猛スピードでボールがゴールに向かって飛んでいく、そんなイメージばかり浮かぶ。
わかっている。未練だ。捨てようとしても、呪いのようについて回る未練……。もうすでに、この動画は……ロベルト・カルロスの描くボールの軌道は、どうしようもなく俺の一部なのだ。
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