第274話 五月三日:声優のお仕事 上
女委のメイド喫茶でのアルバイト之次の日と言えば、これと言ってやることはなく、家事をしてからゆっくりだらだら~っと過ごしていました。
ゴールデンウイーク初日に強盗に遭うとか、普通はないしね。というか、割と平和な街で、強盗のような犯罪が発生するって……本当、どんな確立してるんだろうね……。
それ以前に、ボクの巻き込まれ体質って、どうなってるの?
幸運値が高いから巻き込まれるのかな、これ。
それとも、もともとの体質?
……どのみち、あまりいいものじゃないよね、これ。
少なくとも、いい方向に転んだことって、福引くらいな気がするよ。
まあ、その後に未果と女委に襲われたんだけど……。
久しぶりに、暗殺者としての動きに集中力を発揮していたせいか、疲労がある。
そこまでの疲労ではないけど、疲れていることに変わりはないしね。
それに、明日は美羽さんと一緒に東京に行って、声優のお仕事をする予定があるから、しっかり休まないと。
特に何事もなく、平穏無事に五月二日が終わり、五月三日――美羽さんと一緒にお仕事をする日になった。
ゆっくり休んだことで、体力・気力共にばっちり!
いつも通り、朝七時に起きて、軽く家事をした後、あまり目立たないような服装に着替える。
スカートの長さが膝丈ほどの、白のワンピースに、桜色のカーディガンを羽織った服装。白のニーハイソックスも履いてます。
普通に外出するのに、スカートで行くという考えの方が最近は多くなってきてるなぁ。
まあ、楽と言えば楽なんだよね、スカート。
男の時も、女装をさせられていた影響で、スカートを穿く機会が多かったし、変になれちゃってたから、そこまで違和感がなかったんだよなぁ。
男してどうなの? っていつも思ったけど。
せっかくだし、誕生日に貰ったヘアゴムもしていこうかな?
桜はほとんど散っちゃったけど、桜の飾りが付いたヘアゴムだし、季節的には間違いじゃないもんね。それに、結構好きだもん。
誕生日に、リボンやヘアゴムをもらってからというもの、使わないのはもったいないと思い、たまに髪型をいじったりしていたんだけど、やってみると意外と楽しくて、ちょっと気に入っちゃってたり……。
あれだけ嫌がっていたのにね。
個人的には、サイドアップが結構気に入ってます。
後ろ髪を斜め下の辺りで結んで、前の方に垂らすって言うあれ。
なんとなく、大人し気な印象を持つので、髪形を変える際の頻度としては一番高い。
「うん。これで大丈夫かな」
身だしなみもちゃんと整え、時間も九時四十分とちょうどいい時間になったので、ボクは家を出て、駅へ向かった。
駅前へ行くと、なにやら少し騒がしかった。
『なあ、あれって……美羽じゃね?』
『うお、マジだ! すげえ、初めて生で見た!』
『なんか、待ち合わせしてるっぽくね?』
『しかも、妙に気合が入ってるような……』
『デートか?』
『だったら、相手は一体、どんな男なんだ……?』
人だかり……とまでは行かないけど、ある一点の周りに、人が大勢いる状態。どうやら、中心にいる人を見ているみたいだけど……。
そう言えば、美羽、って名前が聞こえたんだけど、まさか……。
人ごみの間を縫って進み、中心に出ると、
「あ、依桜ちゃん、こっちだよー!」
すぐさまボクに気付いた美羽さんが、可愛らしい印象を与える笑顔を浮かべながら、手を振っていた。
「お、お待たせしました。えっと、早いですね」
今日の美羽さんは、カジュアルなシャツに、ジーンズ。それから、橙色の肩掛けカバン。なんだか大人な女性と思わせる服装。
わぁ、綺麗……。
「楽しみすぎて早く来ちゃったの」
「そうだったんですね。うぅ、もうちょっと早く来れば、待たせなかったのかなぁ……」
「ふふっ、本当に依桜ちゃんは優しいね。でも、依桜ちゃん来るのは十分早いよ。だってまだ、十分前くらいだもん」
「でも、美羽さんを待たせたことに変わりはありませんし……」
「いいのいいの。さ、早いけどそろそろ行こ? ゴールデンウイークだから、混みそうだしね」
「あ、はい、そうですね」
なんだか、すごく嬉しそうな美羽さんと一緒に、駅に入っていった。
『待ち合わせしていた相手、すっげえ可愛い女の子だったんだが……』
『あれ、どう見ても、白銀の女神だよな……?』
『ちょっと前に、関わりがある、みたいな報道があったけど、マジだったのか』
『美羽、すっげえ嬉しそうだったな』
美天駅から目的地の駅までは、幸い一本で行ける距離でした。
かかる時間は、一時間半程度。
十一時半に到着した。
「ちょっと早いですけど、お昼にしますか?」
「んー、そうだね。二時から収録だけど、一応その一時間以上前にはスタジオに行きたいから」
「わかりました。それじゃあ、どこに行きますか? ボク東京はあまり来る方じゃなくて、よく知らないんですよね」
「そっかそっか。この近くに、いい感じの喫茶店があるけど、そこにする? 軽食類から、普通にがっつりなメニューまであるよ」
「いいですね。そこにしましょうか」
「うん、それじゃあこっちだよ」
美羽さんに手を引かれながら、ボクたちは歩き出した。
徒歩数分の位置に、美羽さんおすすめの喫茶店があった。
看板には『喫茶 春風』と書かれている。
うん。嫌いじゃないよ、こういう名前。
中に入ると、内装はすべて木製で、なんだかモダンな雰囲気があってかなり落ち着く場所だった。
観葉植物も置いてあって、いい雰囲気だね。
『いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ』
ウエイトレスさんにそう言われ、ボクと美羽さんは窓際の席に向かい合って座る。
「ここの料理、すごく美味しいんだよ」
「なるほど。そう言われると、迷っちゃいますね……」
メニューを見れば、特製サンドイッチに、パスタ類、ハンバーグに、ステーキ、さらには丼ものまであった。
うーん、どれも美味しそう……。
「あ、満腹になるまで食べない方がいいからね。声、出しにくくなるから」
「わかりました」
そうなると、ハンバーグやステーキ、丼ものはなし、かな。
残る選択肢は、特製サンドイッチにパスタ……あ、パンケーキもある。
しかも、No1メニューって書かれてる。
ということは、一番人気が高いメニューというわけで……うぅ、気になる。すっごく気になる……。
……うん。これにしよう。
「美羽さん、ボクはパンケーキにします」
「うん、わかったよ。それじゃあ……すみませーん!」
『はい、お決まりでしょうか?』
「えっと、パンケーキを一つと、サンドイッチを一つ。あとは、コーヒーを二つお願いします」
『かしこまりました。コーヒーは、アイスとホット、どちらになさいますか?』
「私はアイスで。依桜ちゃんはどっちがいいかな?」
「あ、じゃあ、ボクもアイスでお願いします」
『かしこまりました。それでは、少々お待ちください』
「それじゃあ、待ってる間にお話でもしよっか」
「そうですね」
現実で会うのも久し振りということで、ボクと美羽さんは他愛のないことを話す。
世間話程度だけどね。
こんなことがあった、とか、こんなことがしてみたい、とか。本当に、些細なお話です。
美羽さんと話すのは楽しいから全然いいけどね。
「あ、そう言えば、美天市内で昨日、強盗があったの知ってる?」
「……ま、まあ、ちょっとだけ」
嘘です。知ってるも何も、当事者で、犯人を捕まえたの、ボクです……。
「通報してきた女の人が、その場にいなかったらしくて、警察の人たちも探しているみたいだよ?」
「へ、へぇ~、そうなんですね」
……そう言えば、警察って、110番通報は録音・探知してるって話だよね……?
……だ、大丈夫だよね? バレないよね?
一応、声は変えてたし、最悪ボクのスマホをお店に置いて行ってて、それを助けに入った女の人が助けた、ということにすればなんとか……。
「それでね、女委さんから聞いたんだけど……通報した女の人って、依桜ちゃんなんだよね?」
…………ば、バレてた~。
「そ、それは、その……」
「いいよいいよ。誰かに言うつもりはないから」
「あ、ありがとうございます……」
「でも、通報した時の声って、どうしてたの? すごく綺麗で大人っぽい女の人の声、って聞いたんだけど」
「あ、あー、えっと……師匠に叩き込まれた技術の中に、変声術がありまして……まあ、声を変えることができる技術です」
一応あれ、能力でもスキルでもない、身体的技術なんだよね。
ある程度自由自在に声を操れ、というだけの技術。
と言っても、男の声は出せない……と思います。多分、小さい男の子とか、元々声が高めの男の人の声だったら出せる、かな?
まあ、体育祭の時に、あの先輩たちに頼まれた声だって、変声術で変えていたものだし。
「それはすごいね。もしかして、幼い女の子の声とか、大人な女性の声とかも出せたり?」
「ま、まあ……」
「ねえねえ、それって今やってもらえたりする?」
「いいですけど……」
「じゃあ、お姉ちゃん大好きって、幼い女の子の声で言ってもらえないかな?」
「ふぇ!? そ、それを言う、んですか……?」
「お願い! 聞いてみたいの!」
頭を下げてお願いしてくる美羽さん。
な、なんだかいつぞやの体育祭を思い出すなぁ……。あの時も、衣装の変更をしてもらう条件に、言わされたっけ……。
……まあ、ほかならない美羽さんの頼みだし……。
「わ、わかりました。あんまり期待しないでくださいね……?」
「やった! ありがとう、依桜ちゃん!」
「じゃあ、じゃあ行きますよ? ……こほん。お、お姉ちゃん大好き❤」
「はぅあっ!」
まるで、何かに撃ち抜かれたかのように、美羽さんが腰を折り曲げた。
でも、心なしか、すっごく幸せそうな表情なんだけど……。
「か、可愛すぎる声……というか、理想! そんな可愛い声の妹がいたら、きっと幸せなんだろうなぁ」
わかります、その気持ち。
自分の声だからよくわからないけど、ボクだって、メルにそんなことを言われたら、嬉しくて、なんでもお願い事を聞いてあげたくなっちゃうよ。
「じゃ、じゃあ、今度は大人っぽい声で……なんでもいいから、告白してみてもらえる?」
「こ、告白ですか?」
「うん!」
「ま、まあいいですけど……。じゃ、じゃあ……こほん。ふふっ、私はあなたのことを愛しています。身も心もすべて……」
昨日の声よりも、ちょっと艶っぽくて大人っぽい声を出してみたら、
「……( ˘ω˘ )」
安らかな笑みを浮かべていました。
いや、あの……美羽さん、大丈夫なの? なんだか、今にも成仏してしまいそうなくらい、安らかな表情だよ……?
「み、美羽さん? 大丈夫ですか?」
「ハッ! い、今一瞬、旅立っちゃいそうになってた……。でも、依桜ちゃんの声すごいねぇ。声優顔負けの技術だよ!」
「そ、そうですか? 師匠からは、『鳥の鳴き声や、犬、猫、魔物、物音を出すことができて、完璧だ!』とか言われて、かなり修行させられたんですよ、これ……。まあ、おかげえ、かなり役に立つ場面が多かったんですけどね」
例えば、小石を転がした時の音とかね……。
師匠の声帯って、ちょっと異常だと思うけど、まあ……ボクもある程度はできるからね。
「な、何それすごい……。でも、本当に依桜ちゃんって声優に向いてるかもね。あ、声優だけじゃなくて、女優もかな? 身体能力は高いし、声も色々と変えられるし、あと可愛いし……」
「か、可愛いって重要ですか?」
「うん。重要」
「そ、そですか……」
なら、ボクは女優はできないと思います。
そこまで、可愛いと思ってないもん。
「演技力もあるんだよね?」
「そ、そこまですごくはないと思いますけど、暗殺者でしたからね。必要技能でしたし」
「ますます楽しみだなぁ、今日の収録。頑張ろうね、依桜ちゃん」
「は、はい」
そう話を切ったところで、注文していた料理が運ばれてきて、昼食となりました。
パンケーキは……とっても美味しかったです。スフレみたいにふわふわで、パンケーキにかけられた蜂蜜と絡んで、思わず頬が緩むほどに甘くて、幸せな気分になりました。
もし、またこのお店に来たら、また食べよう。
そう思えました。
収録、緊張するなぁ……。
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