第42話 師匠の気持ち、依桜の本音

 ―二日目―


「う……あ、朝?」


 窓から差し込む光で目が覚めた。

 なんだか、温かいし、柔らかい。それに、ちょっといい匂いがする……。


「……あ、師匠か」


 ……昨日の夜、師匠に引きずられながらベッドに連れていかれ、ボクは抱き枕にされた。

 ボクに抱き着くなり、すぐに師匠は眠りにつき、離れなくなってしまったので、そのままにした。


 これが、男の時であったなら、内心かなりドキドキして眠れるどころじゃなかったんだろうけど、今のボクは女の子だったせいか、あまりドキドキすることはなかった。


 ……そのあたりの考え方や感覚も、変わってきてるのかなぁ。


 女の子の状態でドキドキするのも、それはそれで変な気がするけどね。


「イオぉ……おまえは、あたしのぉ~……」

「……師匠ったら、どんな夢を見ているんだろう?」


 にまにまと寝言を呟いている師匠が、なんだか微笑ましく思えて、つい笑顔になる。


「ん、師匠が起きる前に、朝ごはん作っちゃお」


 ボクは、いまだに抱き着いている師匠をやんわりと引きはがして、台所へ向かった。



「おふぁよ~……」

「おはようございます、師匠。朝ごはん、もう少しでできますから、もう少し待ってくださいね」

「あ、ああ」


 朝あたしが目を覚ますと、すでにイオはいなくなっていた。


 もしやあたしは、大好きなイオが帰ってきていた、という夢を見ていたのでは? と思ったが、部屋の状態を見て、ちゃんとイオはいると、認識した。


 それに、やたらいい匂いがするしな。

 これは、イオが作る料理の匂いだ。


 そう思って、リビングに来ると、すでに起きていたイオが料理をしていた。


 やはり、夢ではないようだ。


 ……ふむ。今日の朝飯は、白パンとスクランブルエッグ、ベーコン、サラダ、昨日のポトフと見た。とてもうまそうだ。


 ……それにしても、ここまでエプロンが似合う女もなかなかいないんじゃないか? いや、男の時ですら普通に似合っていたというのに。


 しかしこいつ、女になった途端、すっごい可愛くなってんだよな……同じ女として、負けた気分だぞ、我が弟子。

 身長は縮んだみたいだが、それでもなお、圧倒的存在感を放っている形のいいでかい胸に、くびれた腰、桃尻と言っても過言ではない、お尻。……まさか、女になったあいつが、ここまで魅力的だとはな。

 中身は当然イオなのだから、性格なども当然そのまま。


 そうなると、可愛くて、優しくて、謙虚で、胸がでかくて、太過ぎず痩せすぎない絶妙なバランスの取れたスタイルに、家庭的な性格。


 ……世の男たちは、どう考えてもイオがタイプなんだろうな。


 これは、男女両方にモテそうだな、こいつ。


 だけど、あたしなぁ、同性愛の気はないしなぁ……ここはなんとしても、男に戻ってもらわなきゃいけないな。


 男だったら、あたしが美味しくいただくんだがね。

 もろタイプだったし。

 中性的で、家庭的で、優しい男って、マジでいいんだよな。


 くっ、あの時食べなかったのが悔やまれるな……。


「さ、師匠、できましたよ」

「ああ、もらうぞ」


 まあ、何はともあれ、イオの飯だ飯。


「……うむ、やはりうまい」

「それはよかったです」


 笑顔が眩し~。

 こいつ、ナチュラルに魅力的な笑顔を振りまくんだよなぁ。

 しかも、それを自分から作りに行くこともできるしよ。


 ……こいつ、女のほうが暗殺者としてのスキルを遺憾なく発揮できるんじゃね?

 こいつ、気配消すの上手いし、見た目だけならか弱い女って感じだし、演技力もある。

 そう考えると……割とマジで天職が暗殺者なんじゃないだろうか?


 男の時も、女装して殺しに挑んだこともあったしな。


 ……ま、そん時は、依桜が更生の余地ありと見て、衛兵に突き出して終わったが。


 暗殺者としては甘いと言えるが、こいつは更生不可と見たら、一瞬の迷いのようなものは見せても、普通に殺す奴だ。覚悟はちゃんと持ってやっていたな。


 ……正直、今まで怖くて聞けなかったが、聞いてみるか。


「なあ、イオ。一つ、聞いていいか?」

「はい、なんですか?」


 イオは、いつもと変わらず笑顔を向けてくる。

 ……本当に、眩しいな、こいつ。


「いや、な。お前、あたしのこと、どう思ってる?」

「え? どう、ですか?」

「ああ。極端な話、好きか嫌いかでいい」

「なるほど。そうですねぇ……」


 怖いなぁ。イオの回答が怖い。

 魔王を殺し、魔族の大軍を壊滅まで追いやったあたしが、恐怖とはね。


 ……惚れた弱み、ってやつかね。

 いや、ちょっと違うな。単純に、惚れたやつから嫌われんのが怖いんだろうな、あたし。


「師匠は……初めて会った時は、怖い人、でしたね」


 思い出してみれば、こいつと会ったのって、王都なんだよな。


「だって、お金を落としたから、『つけにしろや!』って平気で言いだすんですよ?」

「そういや、そうだったなぁ」


 そうそう、あれはたしか、あたしが路銀を落として、酒が買えなかったときだっけな。

 それで困っていた時に、見ず知らずの通りすがりでしかないイオが、代わりに金を払ってくれたんだっけな。


「それで、ボクがお金出したら、師匠、ボクの肩を掴んで――」

「『あたしの弟子になってくれ! いや、なれ!』」

「そうです。……あの時のボクは、本当に混乱しましたよ。買えなくてつけにしろ、って脅している人の代わりにお金を払ったら、いきなり命令形で弟子になれ、って言ってくるんですよ? 普通の人だったら、混乱しますよ」

「だってよぉ、イオが優しくてな、しかも妙に暗殺者としての資質もあったから、つい、衝動的にな」


 まあ、本当の理由……というか、今のも決して嘘じゃないが、微々たるもの。

 大半を占めていたのは、単純に好みのタイプだったからだしな。


「つか、あの時ちょうど、弟子を探してたんだよ」

「ボクは半信半疑でしたけどね」

「そうかい。んで、続きは?」

「あ、そうですね。弟子になった後は……とにかく、理不尽でしたね」

「そうか? あれくらい普通なんだがな……」

「それは師匠の中での普通で、ボク……というより、ほとんどの人からしたら、理不尽極まりないです」


 ぷくぅっと頬を膨らませながら、反論してきた。

 くっ、ちょっと怒った顔も可愛いじゃないか、愛弟子よ。


「色々な理不尽をこなさせられてきましたけど……それのおかげで、ボクは無事に生き残れて、魔王も倒せて、ちゃんと元の世界に帰れたから、すっごく感謝してるんですよ」


 さっきの膨れ顔とは違って、優し気な微笑みを浮かべながら、感謝を言ってきた。

 ……ほんと、眩しい弟子だよ。


「だから、師匠のことは好きですよ、ボク」

「……でも、暗殺者だぞ? 一年以上たった今言うのもなんだが、あたし、殺しを教えたんだぞ? それでも、好きか?」

「どうしたんですか、師匠。らしくないこと聞いて」

「……どうなんだ?」

「……当然ですよ。師匠は本当に理不尽ですけど、自分ができないことを押し付けませんし、本当は面倒見もいいですからね。ボク、師匠でよかった、って思えてるんですよ? むしろ、今となっては、師匠とじゃなきゃ嫌だ、なんて思ってますからね」


 あはは、と照れ臭そうに笑うイオ。


 ……ほんと、できた弟子だよ、この子は。

 ……そっか。恨んだりはしてないのか。

 嫌われているわけでもない。


 ……あたしは、恵まれたんだな、弟子に。


「でも、ちゃんとした生活は送ってくださいよ? ボク、一週間くらいしかこっちの世界にいないんですから」

「……いい雰囲気だったのに、なに台無しにしてんだ、このバカ弟子!」

「あばばばばばばば!」


 あたしの『パラライズショット』を喰らって、あばばする弟子は、面白かった。

 ……ふむ。やはり、こいつをいじるのは、楽しい。


「どうだ、久しぶりに喰らった気分は?」

「……すごく、痺れます……」


 うつぶせに倒れて、つぶやくイオ。


「空気を読め、空気を」

「い、え……ボク、本当のことを、言った、だけ……」

「もう一発、いくか?」

「すみません」

「わかればよろしい」


 ……こんなことをしているのに、好き、とはねえ……。

 物好きだな、イオも。

 いや、そんなイオを鍛えていたあたしも、か。


「ほれほれ。反転草の採取、行くぞー」

「は、はい……」


 あたしには、慈悲も容赦もない。



 師匠の謎の質問に答えた後、ボクたちは裏の森に来ていた。


 この森、特に名称はなく、ただただ何もないから、人が来ることは滅多にない。

 むしろ、いる方が不思議なレベルで。


 逆に、人がいないからこそ、資源が豊富とも言える。


 師匠が言っていたように、この森には反転草がそこらかしこに自生しているため、本当に自然の宝庫らしい。


 そう言えば師匠が、反転草には反転の呪いに特効があるって言ってたけど……それって、普段から摂取してたら、抵抗できそうな気がするんだけど。


 と、そんな疑問をぶつけてみた所、


「ああ、それは無理。あれ、かかる前には、何の効果も発揮しないから。効果を発揮するのは、呪いが発動して、成立したあとなんだよ」


 という返しが来た。


 どうやら、予防は不可能らしく、成立後じゃないとダメなんだとか。

 あれ? でも、師匠は一体何が反転したんだろう?


「お前、今あたしがどんな効果がでたのか、気になったろ?」

「……よくわかりましたね」

「まあな。だって、昨日呪いの効果話してないし。当然気になるだろう、ってな」

「さ、さすが師匠……」

「尊敬するなら、今日の晩飯に酒出してくれ、酒」

「……ちょっとだけなら、いいですよ」

「おっし! 命の水ゲット!」

「ほどほどに、ですからね。それで、一体何の効果を受けたんですか?」

「たしか……あれ? あたし、何の効果が出たんだっけな?」


 忘れているみたいだった。


 え、普通そう言うのって忘れるの?

 でも、師匠だし……忘れてても、不思議じゃない、よね。


「んー…………」


 思い出そうと、うんうん唸っている。

 どうやら、本気で忘れているみたい。


 すごいね、反転の呪いなんていうかなりぶっ飛んだ呪いを受けているのに、平気で忘れるんだもん。ボクは絶対にできないよ。

 ……まあ、性転換だしね。忘れたくても忘れられない、よね。


「ああ、思い出した。たしか、中途半端に性転換してたわ」

「え?」


 性転換に中途半端とかあるの!?

 いや、どういうこと!?

 なにをどうしたら、性転換が中途半端になる、なんていう珍事が起きるの!?


「そうそう。あたし、局部だけが男になっちまってな―。トイレとか、マジで困ったぞ?男のトイレに入ればいいのか、女のトイレに入ればいいのか」


 す、すごい。ボクと同じ悩みなのに、すごく朗々と言っているせいで、全然重大性を感じない!

 さすが師匠!


「いやほら。外面だけなら女だろ? でも、局部だけ見ると、完全に男でさー。すっげえ困ったんだよな。これ、立ってするのがいいのか、座ってするのがいいのか、ってな」

「あの、師匠。すごく生々しいです」


 あまり聞きたくないよ、師匠の下の話なんて!


「えー? でも、イオだってそう思わなかった?」

「いや、ボク完璧に女の子になってたんですけど……」


 師匠みたいに中途半端な状態にはなってないよ、ボク。

 むしろ、そんな中途半端に変わるって、普通に嫌じゃない?

 なのに、それで思ったのがトイレだけって……この人、やっぱりおかしい。


「まあ、結局そこだけ見たら男だったんで、男のトイレに入ったが」

「なにしてるんですか!? いや、本当に何してるんですか!?」

「ナニってお前……女になって、ちょっとエッチになったか?」

「そういうことを言ってるんじゃありませんっ!」


 言っていることが、ほとんどセクハラなんだけど、この師匠……。

 というか、本当に何してるの? この人。


「いやあ、見ものだったぞ? どう見ても女にしか見えない私が、普通に用を足すんだぞ?周りの男たちなんて、驚愕に目を見開きながら、顔を隠して、目を逸らしまくっててな。マジで面白かった」

「それもそうですよ! 師匠みたいな美人な人が入ってきたら、普通はそういう反応になりますっ! それと、なんで面白がってるんですか!」


 ならない人は、それこそ同性愛者か、悟りを開いている人くらいだよ。


「ほっほーう? イオ、お前はあたしに対して、欲情していたのか?」

「なんでそうなるんですか!? 普通今のって、美人なところに反応するところですよね!?」


 本当にやっていることが、セクハラなんだけど、この人。


 ……いや、本音を言ってしまうと、ボクがお風呂に入っている時に乱入してきたり、寝ている間にベッドに侵入されてたりした時は、結構危なかったけど!


 でも、当時のボクの理性が勝ちましたよ!


「んで、さすがにこれでは変な噂が立つと思ったから、解呪したってわけだ。解呪方法については、昨日話した通りだ」

「……むしろ、一度入った後に、噂が立つと思った時点で手遅れですよ……」

「まあいいじゃないか。過ぎたことだしな。……さて、この辺りの草、全部反転草だから、適当に採って戻るぞ」

「わかりました……」


 ……流された気がしたけど、言ったら言ったで、何をされるかわかったものじゃないので、スルーしよう、スルー。



 あの後、必要な分と、ドリンク用の分を採取して家に戻った。

 ドリンクを飲む必要がない、って言っていたのに、必要なんですか? と聞いたら、


『うるせえ! 健康にいいんだよ! 健康に! お前は、あたしが不健康でもいいのか!?』


 って、キレながら返された。


 ……いや、そもそもボク、師匠が体を壊したのとか、一度も見たことないんですけど。


 あと、すでに不健康な暮らしを送っているのに、不健康って……。


 この人、あの生活を、不健康だと思っていないというのだろうか?

 ……恐ろしい。本当に恐ろしい。


 この人、いつか謎の物質やら、謎のキノコ類などを部屋で栽培することになってそう。


 というか、安易にその未来が想像できる時点で、普段の生活が知れるという物だよね。


 ……なんてことを考えてたら、普通に師匠に感づかれて、『パラライズショット』を受けました。


 すごく、痺れました……。

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