Morning haze

紅椿 笠雲

第n話

桜が満開で、春風が気持ちいいとテレビのリポーターが語っている。

暖かそうだと思いつつも僕はマフラーを手に取る。

この町は一般の日本とは少し季節の変わり目が遅い。

そのため、雪が降っているにもかかわらず春風がどこからか桜の花を運んできたりする。

(もうそんな時期か。)

吐く息は白く肌はひりつく寒さに震えるにもかかわらず空は春だということを強く主張するように照っている。

見慣れた今は何とも思わないが、小さい頃はこの異様な気象が好きだった。

(天気いいし海でも見に行くか。)

海は一年を通してあまり変わらないし、何よりも眺めていて気持ちがいい。

最寄りの駅から海辺まで市電が通っているから行きやすいってのもあるかもしれない。

電車の中は騒々しく、俺と同じ制服の学生やスーツを着た社畜で息が苦しかった。

駅を出ると温かいカフェオレでも欲しくなるほど体温が下がった。

(こんなに寒いんなら買いに行くしかないよな。)

朝からだるそうにレジ番してる店員さんにお疲れ様の念を送りながらお気にのカフェオレを手に取る。

手に滲む温かさに軽く依存を覚えながら歩き出した。

海のそばにある公園に行くと古臭い屋根の下にあるベンチがもの寂しそうに海を眺めている。

( ……。)

やりたいこと、やりたくないこと、やらなきゃいけないこと。今なら全部波と共に遠くまで運んでくれる気がする。

朝の八時前、海に来るような人はなかなかいない。

聞こえるのはスズメのさえずりと波の音だけ。

波の音にメロディーをつけるように鞄からオルゴールを取り出す。

海の広さとオルゴールの優しさに包まれ、ひりつくほど冷たい春風も手の中のぬくもりに負けてしまう。

今この時間がこの世で最も価値のある時間だとそう思わざるを得なかった。

「ねぇ、となり座ってもいい?」

呼ぶ声に寄せられ視線を向けると大き目のジャケットを羽織った白髪の少女がそこにいた。

「君は何しにここに居るの、君も春を感じに来たの?」

「春?まだ冬だろ。」

「そっか、まだ冬ね。」

何を言っているのかわからなかった。そして自分がどういう気持ちなのかさえわからなかった。

一人の時間を邪魔されて不愉快なのか、女の人に話しかけられて緊張しているのか。

場所が変わったように空気も変わる。彼女にはそれだけの何かがあるんだと思った。

「これ、きれいなオルゴールだね。」

彼女が手に取って眺める。

よくある小さな木製の箱の中に本体が入っているだけのシンプルな物なんだけどな。

「これいい曲だね。」

彼女は優しく微笑んでいた。



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