第58話 裏切り

 〈発電所〉の中に入ったとき、昇が一瞬懐かしさを感じたのは気のせいではない。


(逃げる時は必死で、周りがよく見えていなかったが、こうしてみると余裕のある構造だな……)


 昇が内部をそのように言ったのは、部屋ではなく通路の話だ。おそらく8人乗りの大きめな自動四輪車を走らせてもまだ余裕があるくらい。


 内部は基本的に金属質のテイル攻撃に耐性を持つ壁と床で張り巡らされている。やや水色に見えるのは照明の光を受けているが故だ。


 中の構造はすでに頭に入っている。


 逃げる時に走り回った記憶と明奈が季里からコピーしたマップをよく読みこんだため、迷う心配はない。


 昇は季里を見る。


 懐かしの家、というわけではないものの、久しぶりに歩家の施設に戻ってきて、何か思うところがあるだろうと昇は予想していたが、季里は特に感動はしていないように映った。


 警戒は怠らないようにはする。しかし、季里はきっと裏切らないという予想をしていた。


(賭けだよな……でも、もうここまで来たんだ。止まれない)


 昇は走り出し、季里も何も言わないままそれについて行く。


 目指すは地下。


 そこに多くの人間が捕らえられている水槽がある。仲間も捕らえられているはずだ。


 昇はそれを信じて全力で走った。


 地下への入り口は、裏口からは多少遠い。敵との遭遇は避けられないだろう。


(監視カメラにも見つかっている。スピード勝負だ!)


 内部での動き。昇が大暴れして捕らえられている人間を開放、囮にしなければそもそも昇に生きて戻れる道はない。


 中にいる〈人〉全員を相手にして倒してからという英雄的行動をするには、昇の実力はまだまだ足りない。


 即ち、まずは地下へと真っすぐ向かいたどり着くか。それが作戦の要だと言っていい。


 〈爆動〉を器用に用いて、広い施設を疾風のごとく駆け抜ける。


「ん……?」


 違和感。


 敵と全く会わない。


 ここまで見つかる可能性の少ない通路を選んでいるとはいえ、〈人〉を1人たりとも見ていないのだ。


 〈発電所〉は重要施設。これほど人数がないということはあり得ない。


 昇が嫌な予感を持った頃、まるで昇がそう思うのを待ったかのように館内に放送が流れた。


『警告。地下から脱走者あり』


「マジか……!」


『館内の職員は全員、脱走者の捕縛に向かってください』


 脱走者。


 昇と季里が侵入してから鳴ったことを考えるとあまりにタイミングが良過ぎると思う一方、発電所の襲撃という事態に乗じて何かが起こって脱走者を出した可能性もある。


 昇とて逃げ出せたのも、状況から見れば奇跡だったと言える。


(いや。気にするな。そいつには悪いが、作戦は変えられない)


 昇は目的地を変えず、地下への階段を目指す。


「あ……」


 それはあと突き当りを右に1回曲がれば地下だという場所で。


 激しい呼吸をした少女が1人立っていた。


 無視、はできるはずがない。


 その顔を昇は覚えている。忘れるはずがない。


 自分の我が儘で始めた戦争だが、それでも助けたいという気持ちに偽りはない、かつての親友の1人だった。


 そしてそれも昇にとって重大な存在。


「真紀……!」


「昇くん!」


 ぱぁっと笑い、真紀はゆっくり歩み寄ってくる。


 久しぶりに見た愛する人の笑みは、昇の緊張した心をほぐした。再会が嬉しかったことは間違いない。


 いろいろと言いたいことも多い。無事を喜び合う言葉をかけたいし、救助が遅くなったことを謝りたい。


「まさか今館内であった脱走者って」


「多分、私のことだと思う。だから、逃げましょう昇。追手がもうこっちに来てる!」


 しかし昇は己の中の欲望に抗い、首を振った。


「え……?」


 真紀は困惑する。同時に季里が2人がいる前方を睨んだ。その眼光は敵を前にしたときと同じような、殺気を伴ったものだった。


「俺らが食い止める。真紀はすぐに外に出ろ。裏口からなら何とかなるかもしれない」


「でも、そんなのだめよ! 危険すぎる!」


「いいからいけ。俺は、まだ戦いの途中だ」


 この戦いはもはや自分のための戦いではない。多くの人間を巻き込んだ戦争だ。


 自己満足で大きな作戦を変えては、自分のために命を張ってくれた多くの協力者に申し訳が立たない。


 命を賭けることはもう決めてきたはず。


 昇は自分に言い聞かせる。


「まだ、やらないといけないことがある」


「昇くん。、嘘だよね……」


「悪い。行ってくれ」


 昇は少し迷う動きを見せながらも、意を決し真紀をその場に置いて走り始めようとした。


「待って!」


 真紀は一瞬、季里と目を合わせる。


 季里は何も言わない。


 真紀が昇の方へ左腕を伸ばす。その腕にはどこかで見たことがあるような腕輪が存在した。その腕輪は怪しげに、銀色の発光をしている。


「真紀……だから」


 昇は真紀の手を躱そうとした。


 しかし、伸ばされた手は。







 

 ――昇の手を引き留めるための者ではなかった。


 デバイスの仕業か、手に銃が握られていて、何の迷いもなく発砲。


(え……?)


 昇は、それを現実のものとして受け止めきれず弾の接近を許してしまう。


 直撃。


「がぁ……、なんで」


 入念に何発も撃ち込まれ、昇はその場で倒れてしまった。


 動かなくなったことを確認して、真紀は深呼吸。


「ご苦労様。季里さん」


 まるで、季里と昔から親しいかのような呼びかけをする。


「麻痺弾ですか」


「活きのいい資源を無駄死にさせるのは、あの方の望むところではありません」


「私はどうすれば」


「それは庄様が決めること。とりあえず、この男を手土産にして庄様のところへと行きましょう?」


 裏切られた。真紀に。


 それがこの状況が示していた事実だった。


 季里は手を出さなかった。季里もこの状況を傍観する以上、歩家の〈人〉として振る舞うことを決めていたということだ。


(季里は仕方ないとしても……そんな、真紀まで……!)


 さすがにそれは予想していなかった。


(違う。そんなの考え付くべきだった)


 捕らえられて長い時間が経っている。その間に真紀や林太郎や如月に何もないという考えは甘すぎる。


 死んでいることだって、もしかするとマインドコントロールや洗脳されて敵に利用されていることは、あらかじめ覚悟をしておくべきだった。


 それを考えていなかったのは、そうだと嫌だ、という無意識の甘えが起こしたことだ。


 自分の甘さは認めても、昇はどうしても思ってしまう。


(なんで……どうして……!)


 ぐったりと倒れている昇を抱えたのは季里だった。


「私が持ちましょう」


「お願い」


「……どうしてそんなほっとした顔をしてるのですか? あなたは天江昇と親しかったと記憶していますが?」


「今は違うわ。庄様からの龍愛、この腕輪をつけた時から、私はもう〈人〉となったもの。そこの男はもう、なんか、どうでもいい」


 信じられない言葉を聞いた。


 真紀は〈人〉となった。


(どういうことだよ……!)


 通常はそんなことありえないはず。


 まともな考えができない。今の昇は裏切られたことへの衝撃で、頭がパニックを起こしている。


「私にとっては庄様が喜んでくれるかどうかがすべてだもの」


「そうですか……」


「あなたも意地悪ね。この男に、私が昔と違うってこと、伝えても良かったんじゃない? ほら見て」


 真紀は麻痺弾を再び昇に打ち込む。これほど撃ち込まれれば、しびれが強くなり、それが痛みに変わるほどだろう。


「ぐぁ……!」


「あ、いけないいけない。これ以上は自律神経に影響が出ちゃうわ。ふふふ」


 真紀は笑って、季里に笑いかける。


「この馬鹿な顔。人間にふさわしいわねー」


 嘲笑。


 以前の真紀ならば絶対にしないだろう表情だった。


 昇はそれがどうしても認められなくて、間に合わなかった悔しさがこみあげて来て、裏切られたことへの怒りがこみあげてきて、こんなところで無様な敗北を辿る自分の情けなさが許せなくて、様々な負の感情を歯ぎしりをするしかない。


「兄は2階ですか?」


 季里は昇の様子に気づいていながら、つまらないと主張する顔で真紀に尋ねる。


「ええ。行きましょう? 季里さん」


 真紀が先行し、歩庄が待つその場所へと案内する。


 季里にとっては必要のないことだが、それに素直に従い、昇を抱えて連行した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る