6
「なんか変な夢見た」
ヨシヤの声は、今まで寝ていたとは思えないほどはっきりとしていた。大きく見開かれた目には、街の光が映り込み、ぎらついていた。
「どんな夢見たんだ?」
「怖い夢」
ヨシヤは思案するように目を閉じたかと思うと、「あれっ」と声を上げ、すぐに目を開けた。
「忘れちゃった」
「夢が逃げたな」
「怖いことは確かだよ」
と言いつつも、語調は疑問符が貼りついたように頼りなかった。
「ママが起きなくなる夢とか?」
バックミラーを見やり私は言った。
「それはいつものことだよ。ママ夜は眠いんだって」
「そりゃ当たり前だよな」
言って私は笑う。ヨシヤも同じように笑うかと思いきや、ヨシヤは後ろをふり返り、黙ってユミコを見ていた。バックミラーに映るユミコは、頭を垂れ下げて、重心は傾き、シートベルトに支えられ、辛うじて座っている。普段、ユミコは、後部座席ではシートベルトを締めない。眠くなったときだけ締める。眠ってしまうと危ないから、とかなんとか言って。危ないのは普段もそうなのだから、いつも締めてくれと言っているが、いっこうに聞く耳をもつ様子はない。
比べてヨシヤは必ず締める。ジェネレーションギャップというやつだろう。
私の祖父母世代では、前の座席でもシートベルトをせずに、平気で運転している人がいたものだ。
『あなたは安全運転だから大丈夫』
前にユミコはそんなことを私に言った。そんな風に信頼されても困ると、私は返したはずだ。
『私の命運はあなたの手の中。加えて足の裏?』
ユミコは自分の冗談に無邪気に笑っていた。
『理屈じゃ分かるんだけどね。でもね、締めるとなんとなく、2人と距離が遠いんだもの』
ユミコはいつも後部座席の真ん中に座る。そして少し身を乗り出して、私たちと喋る。
その言葉の後に、私は何と返しただろう。思い出せない。
目の前に迫っていた信号が黄色に替わった。
信号機は三つ目のように見えるけど、本当はそうじゃない。本当は一つ目。真ん中の黄色だけが本当の目。信号機はたまにしか目を開かない
でもたまに開くその目で、私たちを見る。私たちの良心を覗きみる、そして良心に語りかける。止まるのか進むのか、ルールを守るのか守らないのか。そして、見せかけの赤でじっと見下ろす。見せかけの青でそっと見送る。
横合いから、大型トラックが猛スピードで迫っていた。信号が替わるのを見越してか、少しもスピードを緩める様子はない。私は慌ててブレーキを踏んだ。
もしそのまま進んでいたら、あるいは衝突していたかもしれない。
赤信号が無言でこちらを見下している。
飾りの目、本当は何も見てない。見せかけだけの飾り物。義眼のようなもの。義眼を埋め込んでも、ものは見えない。でも、相手を騙すことはできる。お前を見ているぞ、と。
「ママの夢だ」
ヨシヤは急ブレーキも気にせずに、ユミコを見詰めつづけていた。ユミコは身動ぎ一つせずに眠りつづけている。
「夢?」
私はといえば血の気が引き、かと思うとその反動で動悸がしていた。
息を多めに吐いて、改めてヨシヤに尋ねた。
「どんな夢だ?」
「ママが誰かに連れていかれる、夢」
ヨシヤはユミコから目を逸らそうとしない。まばたきすら本当はしたくなくて、不本意なのだというように。素早いまばたきの度に、ヨシヤの声が聞こえるような気がした。まるで目を離すと、まるで目を離すと、そんな声。
私には目もくれない、喋る私には目もくれない。私を見るのは信号機だけ。その信号機だって本当は見てはいない。形だけの眼差し。
いつの間にか視線の交わらない世界になっていた。
一方通行の世界。
「連れていかれるって、誰にだ?」
「分かんない」
「連れていかれて、どうなる?」
「それも分からない」
「そっか、なら」
「でも確かに怖いこと。……あ、でも、……連れていかれるママはなぜか、子供になってるんだ。子供になってても何となくママだって分かる。
ママは突然、乗り物に乗せられて、どこかの屋敷に連れていかれて、何かをされるんだ。何かは分かんないけど、何かは忘れてしまったけど、本当に本当に怖いこと。忘れられないくらい怖いことだったはずなのに」
「大丈夫だよ、それは夢だから。どんなに怖くたって、心配要らない」
突然、目の前の色彩が切り替わった。
信号機が青に替わった。
青信号。進むことができる。
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