――子供の頃の、あの日のことを思い出すんです――

 花屋を後にしてからも、ずっと彼女の言葉が頭に浮かんでいた。あれから随分歩いて、時間も過ぎたのに。


「あの日のことを思い出すんです」


 口に衝く、ひとりごと。

 ――あの日――

 どことなく芝居掛かって、切実そうな彼女の声。

 ――あの日――

 あの日っていつだ。彼女は何も知らないはずなのに。知っているのは私の方なのに。

 歩き疲れて、公園のベンチに腰を下ろした。


 初めて来る、知らない公園。雪が積もっていないといっても、冬のことだから、誰もいないし、誰も来ない。俯いて目を閉じた。こんな時ふと思い出すのは、大抵脈絡のないことだ。覚えていなくてもいいような、覚えていても仕方のない、どうでもいいこと。


 子供の頃のことだ。

 母親がうるさくて。その声に耐えられず。嫌気が差して。晩御飯も食べず。部屋に閉じ籠っていた。何をするでもなく。横になり。天井やテレビを眺めたり。宿題はもう終わっていた。宿題だけは絶対に出そう。今まで通りにやろう。先生は無理をしなくていいと言っていた。でもその時の私は意地になっていた。特別扱いされるのは本当に惨めだった。腫れ物扱いはごめんだった。


 突然、乾いた銃声。

 少し遅れて悲鳴。

 それを皮切りに、たくさんの銃声が巻き起こる。

 テレビではギャング映画が流れていた。血で血を洗う殺し合い。数式を解いていくように人が少なくなっていく。まるで引き算や割り算みたいに。


 単調なストーリーに、大仰な演出。ただ赤鉛筆で方程式を書いただけのような、くだらなくて、つまらない映画。だから、テレビは付けっぱなしで、天井ばかり眺めるようになっていた。天井の木目の方が面白いくらい。やかましいはずなのに、聞こえてくる音はどこか遠かった。


 ――分かるか? 一度、手を血で汚しちまったら、一生こびりついて、落とせやしない――


 そんな劇中のセリフが、やけにはっきりと聞こえた。

 一瞬、自分に言われたような錯覚。思わず顔を起しテレビの方を見る。会食の場面、何処にでもいそうな男と主人公が向かい合っている。何げない会話が続いていく。さっきのセリフもその1つだったのだろう。


 自分の手を見た。何だか、手がいつもよりも黒ずんでいるように感じた。錯覚だろうと自分でも思う。だけど何故か、爪の間が気になって、机の照明で手を照らすと、何だか、自分の手じゃないみたいで怖くて、金気臭いような気すらしてきて、その時の私はどうしてか、机から消しゴムを取り出して、それで手の隅々を擦った。階下で手を洗うのが普通だろうけど、その時の私は洗っても落ちないと思ったんだ。水じゃ落ちないんだ。血で洗ったって落とせない。消しゴムじゃなきゃ駄目だ。爪の間が気になって、新しい消しゴムの封を切り、その角で、爪の間を丁寧に擦った。こんなに擦ってるのに、こんなに消しゴムを掛けているのに、手はますます赤くなって、それが許せなくて、更に強く消しゴムで手を擦った。爪の間も、手の甲も、手の平も、指の間も。このままずっと続けていったら、どうなるんだろう。


 突然、有機的なにおいが鼻についた。甘ったるく、何かを誘惑しようとしているかのよう。

 顔を上げ、辺りを見回すが何もない、誰もいないし、誰も来ない。かさぶたのようなペンキが塗られた遊具や、付け合わせみたいな木々が見えるだけ。

 そこで気づく。

 これは隣に置いていた花のにおいだ。風がにおいを運んだんだろう。

 花に手を伸ばす。大人の手。子供の頃とは、似ても似つかないほど様変わりしている。なのに手はうっすらと赤みを帯びていた。寒さのせいだろう。ただそれだけだ。


 また花が香る。肌でも感じられない微風。それを花がにおいで知らせてくれる。何だか花に「風が出てきたね」と話し掛けられたような気がした。お節介な花だ。

 花に意思というものはあるんだろうか。

 植物は、動物にはない様々な感覚を備えているという。それは、ただ感じているだけなんだろうか。感受性が鋭いなら、それだけで知性なんだろうか。私たちは普段、植物は生き物だという認識が薄い。知性などないと見くびる相手は、想像も付かないほど高度な知性を備えているかもしれない。


 子供はどうだろう。

 子供だからと、甘く見ている。子供だからと、見下している。昔の自分すら見下している。子供だったからと軽視している。昔の自分を、まるで他人のように考えている。昔にどんな不思議なことがあっても、子供だったからと済ませてしまう。


 子供は、気が付いたらこの世にいて、どうやって自分が生まれてきたかもしらない。子供は、この世ではない場所に、限りなく近い存在だ。生まれたばかりなのだから。

 子供は永遠に生きる気でいる。それは私たちからすれば、とんでもない考えだ。だけど子供は本気でそう信じている。思い込んでいる間、それは当人にとっては真実そのものだ。だったなら子供は、もっとも神様に近い所にいるのではないだろうか。

 子供の頃に抱いた観念や空想は、神様の考えに近いんじゃないか。真理に限りなく近いものなんじゃないか。


 自分はいつか死ぬんだと自覚する時、子供はやっと人間になる。そして、神様の外套はいつの間にか消えてしまう。まるでサンタクロースの幻想が、何の前触れもなく消えるように。


 だとしたら、あの映画のセリフを聞いたあの日の私は、もう人間だった。丁度、ある事を切っ掛けに、自分もいつか死ぬんだと自覚した頃だった。知ってはいた。人間はいつか死ぬと知識として頭にはあった。でも、それは自覚とは違うもの。

 でもまだ半信半疑だったかもしれない。自分もいつかあんな風になる。いや、そんなはずない。


 なら、あの日の私は半分神様で、半分人間だった?

 世の中に移行期間ほど厄介なことはない。何かが移り変わる、そんなとき、必ず良からぬことが起こるものだ。制度、感情、役目、季節、常識、すべてそうだ。2つのものが交ざるとき、反応が高くなるのは当然のことだ。中途半端や同時進行が物事を狂わせる。

 幽霊だって、逢魔が刻に顔をだす。


 最近のヨシヤは背伸びしたがっている。少しずつ大人になろうとしている。

 私はどうだろう。私は大人だ。でもこのままじゃいけないような気がする。私だって、もっと大人にならなければいけないんじゃないか。

 私はベンチから立ち上り、公園を後にした。

 早くプレゼントを決めなければいけない。

 明日はもう、クリスマスイブだ。

 今日と明日の内に、プレゼントを買わなければ。


 まだ日は高い。厚着をしているから、少し歩くと暑くなり、息が上がる。

 デパートや複合施設、商店街や、専門店。目についた店に手当たりしだい入ってみる。

 街を縫うように彷徨う。街は益々クリスマス一色に染まっていた。赤と、白と、緑。

 街にはサンタが何人もいる。外にも、建物の中にも、何処にでもいる。

 そして、必ず、私の方を向く。私と目が合うと笑顔を返すか、目線を逸らすかする。しばらく歩いて後ろを振り向くと、サンタは私を見ていて、何だか値踏みするような目付きをしている。それが堪らなく気持ち悪い。


 サンタが怖かった。

 もう、大人なはずなのに。サンタが怖いなんて。子供の頃の気持ちを拂拭できないなんて。そうした気持ちを見透かすように、サンタは慈愛の眼差しを向けてくる。そんな顔で見られても、却って惨めになるだけだ。

 お前らなんて、死んでしまえ。何でお前らが生きてるんだ。

 歩いても、歩いても、サンタがこっちを見てる。

 正面からは笑って、後ろからは値踏みするように。心臓が激しく鼓動する。


 ――ピコン――ピコン――


 えっ?

 ピコンピコン?

 心臓の音はピコンピコンだったっけ?

 違う、違う、違う! そんなわけないドクンドクンだよ、心臓は!

 心臓はドクンドクンだろ! ピコンピコンなんて鳴るわけないだろ!

 ピコンピコンは心臓じゃない!

 ふざけるな! ばかにしやがって!

 心臓はドクンドクン! 心臓はドクンドクン!

 心臓はドクンドクンだろ!


 こめかみが脈打つほど、頭に血が昇る。息が乱れて、動悸がする。辺りを見る。ピコンピコン鳴っていたのは、歩行者用の信号機だった。

 青信号の終わりを知らせるメロディー。歩行者を、急げ急げと、急き立てる。

 いつの間にか私は大きな十字路にいた。人や車が、たくさん行き交っている。


 ここは駅前通り。街で一番大きな駅の、その前を横切る目抜き通り。

 少しふらつくほど息が上がっていた。手に持つ花を取り落としそうになる。近くに立つ道路標識の鉄柱に寄り掛かり、息を整える。

 少し休もう、そう思い、信号待ちをしながら、喫茶店でもないかと辺りを見回す。


 突然、頭上から人間の声が聞こえた。身がすくむほど驚く。心臓はもちろんドクンドクンと鳴っている。速いけど、一定のリズムで、鳴っている。

 上を見る。私の後ろに建つビルの壁に、大きな画面が取り付けられていた。近辺の飲食店の広告や、交通安全の啓蒙を、大音量で流していた。こうして正体が分かって聞いてもなお動悸がするほどの大音量だ。車が多く、その他の雑多な音でうるさいとはいえ、大音量がすぎる。


 急に画面が切り替わる。

 映し出される女のサンタ。何故か太ももと二の腕は丸出しの、長い黒髪をなびかせた、真っ赤な口紅引いた女のサンタ。まるで巨人のようなサンタクロース。それがこちらを見下ろしている。感じのいい笑顔を浮かべながら。気取ってポーズを決めながら。

 テレビのコマーシャル。テレビの中のテレビのコマーシャル。

 女の傍らにはお洒落なハイテーブル。その上に置かれたテレビ。

 テレビの中のテレビにひとりでに電源が入る。

 映し出される美しい映像。そして女の声が、辺りをまとめて震わせた。


 ――最近のピコンピコンはとにかく凄いんです、なにせピコンピコンがピコンピコンもあるんです、だから、ピコンピコンがピコンピコンでピコンピコンしちゃうんです、おまけにピコンピコンが搭載されていて、ピコンピコンなこともできるんです、ほら、こんなにピコンピコンでしょ、本当にこのピコンピコンはピコンピコンなんです、だからこのピコンピコンはピコンピコンです、是非、ピコンピコンしてくださいね――


 そして最後に一言。


 ――私を大きなピコンピコンでピコンピコンしてください――


 視界が揺れて薄暗くなっていく。立っていられなくなり、私はその場にうずくまり目を閉じた。辺りの音がたわんで、世界が回っているようで、自分の内側さえも流動しているようで、段々と意識が遠退いていく。

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