23 すべての真実
西川(仮)に言われた通り、裏門まで行って、馬鹿みたいにメモ通りに右へ左へと動いて、その行程を最後までやり切った瞬間、急に猛烈な立ち眩みに襲われ、疲労が溜まっていた俺は為すすべなくその場に倒れてしまった。
そして、ごつごつとした地面の感触に気が付いてから目を開けると、なんとそこには河原があった。本当に西川(仮)が言ったように、そこに河原が現れたのだった。まるでここが現実ではないかのような感覚だった。
人生で初めて、ワープというものを体験した。
うつ伏せの体勢から立ち上がって、辺りを見回してみるが、先程来たときと同様、誰もいなければなにもなかった。さっきと違う点といったら、太陽が雲に隠れてしまって、少し薄暗くなっていることくらいのものだった。
「やっぱり、ここに戻ってくるわけがないんだよ……」
じゃりじゃりと石の敷き詰まった地面を踏みながら、ひとりごちる。あいつが学校にいないのならば、では河原にいるだろう。うむ、やはり支離滅裂な推理だったのだ。
足元の、小さな板のように薄い石をひとつ拾って、そして川に向かってそれを勢いよく投げた。ぱしゃっと水面で跳ねて、二回跳ねることはなくそのまま川底に落ちてしまった。記録は一回か、と落胆しかけたが、しかし、上条さんの記録は抜くことができた。少しばかりの優越感を得る。
と。
刹那、後頭部になにかが押し当てられる感覚があった。それなりに太くて、そし
て硬い。まるで銃身のような――
「動かないでください、せんぱい」
極限まで冷え切った新条の声が、後方から聞こえてきた。
「結局せんぱいも、酸素を二酸化炭素に変換するだけの有象無象でしかなかったんですね」
「……お前は…………なにを、言っている?」
後頭部に押し当てられているものの正体は、おそらく拳銃なのだろう。エアガンではなく、本物の。
一瞬にして河原の景色から色が失われたような、妙な感覚に襲われる。
脇から嫌な汗がとめどなくあふれてくる。
「わたしは人間の間引きをしているんですよ。この世に存在する価値のない人間を、みんながこんな奴本当はいらないのにって思っている人間を、わたしが代わりに消去してあげてるんですよ。そういう人間たちをわたしが軒並み消去して、この世界を清潔にしてあげようとしているんです。こんな汚い世界をわたしが変えてやるんです。せんぱいも、この世の無駄、ごみクズですよね。そんなせんぱいはわたしがお掃除してあげないといけません。だから、黙って、わたしに従って、殺されてください」
「……そんなことに意味はない」
「撃ってもいいですか? 撃ってもいいですよね。撃ちますね」
死ぬのか、俺はここで。
西川や、佐倉と同じように、俺は新条に消去されてしまうのだろうか。
……嫌だ。
「……あ、あの、なぁ、この世に要らない人間なんていないんだぞ?」
「…………」
「そりゃあ、世界中こんだけの数の人がいれば、中には本当に何の取り柄もなくて何もできなくて、おまけにとろくさい奴だっているかもしれない。いや、実際にそういう奴は確実に存在する」
俺にできることは、言葉で新条を説得すること。ただそれだけだ。
「…………」
「でもな、そういう奴だって、生きた状態で俺たちの前に現れるってことは、必死に生きてるんだよ。自分が駄目人間だってわかってても、それでも自殺せずに必死に生き抜こうとしてるんだよ」
「…………」
「だ、だからつまり何が言いたいのかって言うとだな……人間の間引きとか、おかしいだろ? そういうダメ人間がこの世からいなくなれば、社会の回り方はもっと円滑になるのかもしれない。でもな、それは人の屍の上になりたっているものであって……えーっと、つまりその……」
駄目だ。パニックになってしまって、全く話がまとまらない。そもそも自分が何を伝えたいのかがわからない。いや違う。俺は新条に、『自分のことを殺さないでくれ』と懇願するべきなのだ。それを伝えるべきなのだ。
「だ、だから、俺みたいな駄目人間にもちゃんと存在理由があってな、俺は間引きされるべきじゃない、いや人間だれしも間引きされるべきじゃない。だから、つまりは……一旦銃をおろしてくれ」
「…………」
「……わ、わかったわかった。銃を下ろしてしまったら、女のお前と男の俺、ついでにお前のほうが俺より年下だ。シンプルな体術なら絶対に俺の方が勝つに決まってるよな。ああ、わかる。お前の唯一の武器を手放すわけにはいかないよな。だから銃は下ろさなくていいから、弾を撃たずに俺の話を聞いてくれ」
「…………」
「えーっとなんだ、お前は、警察に捕まることを厭わずに、人間の間引きを自分が行うことによって、自分が社会に貢献しているとでも思っているんだろう。でもそれは間違っているんだ。そんなことでは全く社会貢献になってないんだよ。だから、その、本物の社会貢献を優しい先輩である俺が教えてやるから、だから……俺と一緒にやり直そう?」
「………………なんで、指が、動かな、い……」
そこでやっと、新条はか細い声をだした。
「そうそう、わたしが動かせないようにしたからねー」
すっ、と。
音も気配もなく、最初からずっとそこにいたかのように、俺たちの傍に西川美香を名乗るあの女子高生が現れた。
「新条さん、雨宮くんを殺しちゃったら意味ないでしょ? 駄目だよ、そんなことしたら」
「あ、あんたは…………!」
か細くて震えた声で、新条は声をだす。新条がどんな表情をしているのかは、後ろから銃口を突き付けられている俺にはわからない。
……とりあえず俺は、助かった、のだろうか。
「ほらほら、とりあえず落ち着いて、まずは銃を下ろそうか。まあ新条さんが下ろさなくてもわたしが下ろさせるけどね」
すっと、後頭部の感触がなくなった。つまり銃口が俺の頭から離れたのだが、俺は咄嗟に後ろを振り向くことはできなかった。なぜだか、絶対に振り向いてはいけないような気がした。
「よし、安全も確保されたところで、じゃあ雨宮くん! 質問です!」
テンションの高い教師が生徒を指名するような言い方だった。
「本物の犯人は、新条さんとわたし、どちらでしょうか?」
は?
は?
「新条さんとわたしのどちらかが、この連続殺人事件の犯人です! さあどっちでしょーか?」
「新条だろ」
無意識に、冷静に、俺は答えていた。
「うん正解。あの三人を射殺したのは確かに新条さんだね」
あっさりと、西川(仮)も答えた。なんの捻りもない問題だった。
「じゃあ、裏から全てを操っていたのは?」
「西川だろ」
「はい正解! わたしが全部仕向けていたのでしたー。一番黒幕っぽい人が本当に黒幕なのでしたー。どう? 一周回って意外だったでしょ? あ、それと、全部っていうのは、殺人事件のことだけじゃなく、本当に全部ね」
全部。
裏から全部を操っていた西川(仮)。全部とは殺人事件のことだけではないということか。全部とはいったいどこからどこまでのことを言うのだろうか。
そんなの知ったこっちゃない。
「さて、わたしは今意味深な発言をしましたねぇ。ちゃんと聞いてましたか? 『全部っていうのは、本当に全部ね』。この全部とはいったい何を表しているのでしょうか?」
「この数日間の俺の身の回りのことすべて」
俺はどこからやってきた言葉を口に出しているのだろう。自分の脳内にはない言葉が、勝手に俺の意識に関係なく音として外に吐き出されている。
「うーん、まあ、抽象的だけど正解ってことにしちゃおうか」
新条はさっきから一言もしゃべらない。何をしているのだろう。
「ところで雨宮くん。あなたは、自分が女の子にモテる人間だと思ってる?」
「思ってない」
「あはははは。思ってるはずだよぉ。嘘はいけないなぁ。じゃあなぜ雨宮くんは、自分の周りに四人もの女の子がいることに何も疑問を感じなかったのかなぁ?」
疑問。
疑問なら、少しは感じていたはず。
俺は記憶力が悪い。
いや違う。
頭が痛い。
「幼馴染の女の子、クラスメイトの女の子、後輩の女の子、先輩の女の子。まるで漫画の主人公みたいに、雨宮くんの周りには仲良くしてくれる女の子がたくさんいるよね」
西川、佐倉、新条後輩、神崎先輩。
視界の端が白む。
「でもここは漫画じゃない現実だし、雨宮くんは主人公でもなんでもないただの冴えない男子高校生で、特別イケメンでもないし、性格がものすごく良いわけでもないし、話が面白いわけでもない。むしろ雨宮くんは、さっき新条さんが言ってたように、あまり人間的な価値があるとは言えない人だよね。それなのに雨宮くんの周りにはたくさんの女の子がいる。こんな状況おかしいよね。本来ならありえないはず。では、なぜ本来ありえないはずの状況が出来上がったんだろうねぇ?」
俺はただの、取り立てて特徴のない、覇気がないだけの男子高校生。
人間的な価値が希薄。
そんなことはわかっていた。理解していた。自問自答していた。
そんな俺に、女の子が寄ってくるはずがない。
そうだ。
そうなのだ。
よく考えれば簡単に辿り着ける真実だったのだ。
全く馬鹿らしい真実で、身の回りに起こることすべてがヒントで、立ち止まって考える機会は何度もあった。
それなのに俺はなにも考えずに、ただ目の前の自分に都合の良い世界を受け入れていた。
こんなこと、ありえないはずなのに。
「それはね、わたしがあの人たちを操っていたからだよ」
ありえないはずなのだ。
なにか裏があるに違いないのだ。
俺の周りに女の子が四人もいるなんて。
幼馴染、同級生、後輩、先輩。
かわいい女の子が四人も俺の人間関係の範囲内に生息しているはずがない。
おかしいはずなのだ。ありえないはずなのだ
そんなこと、現実にあるわけがないのだ。
幻想でしかないのだ。
そんなわけねーだろ、と誰かが言ってくれても良かったのに。
お前みたいなクズがモテるわけねーだろ、馬鹿じゃないのか、現実を見ろ、と誰かが言ってくれても良かったのに。
「わたしはいわゆる催眠の天才と呼ばれているんだけど、わたしの場合は催眠というより、洗脳とか、認知の書き換えとかって言った方が正しいのかな」
おかしいはずなのだ。
洗脳だとか認知の書き換えだとか、そういう非論理的なことでもない限り、そんなことはありえない。
なぜ俺は、こんな簡単なことに気が付かなかったんだ?
「わたしはあの四人に、雨宮くんと親しい友達になるように催眠を施した。催眠っていうのは、記憶とか認識とかをいじくったってことね。一応雨宮くんにも軽めの催眠をしたけど、あれは本人がその気になれば簡単に解けてしまうような催眠だったんだけどね。実際は全然解けなかったね。雨宮くんは真実から目を背けちゃってたんだ」
俺は目を背けていた。
俺は自分には女友達が四人いるのだと、徹頭徹尾信じ切っていた。
彼女らと出会ったきっかけ、親しくなったきっかけを忘れてしまっていたことだとか、距離感があまりに近すぎたことだとか。
俺は色々なことを忘れていた。だが俺は記憶障害があるわけではない。若年性アルツハイマーではない。
俺はきっかけを忘れていたのではなかった。忘れていたのではなく、そもそもきっかけなんて最初から存在しなかったのだ。最初から、催眠によって無理やり近づけられた仲だったのだから、きっかけなんてあるはずがないのだ。
俺はそれを、ただ忘れているだけだと結論付けて、深く思考しなかった。裏を探すということをしなかった。
馬鹿で、愚かで、馬鹿野郎で、愚者で。
どうしようもないクズ。
「それで、わたしは新条さんにだけは特殊な催眠をしたんだよね。それは、わたしが新条さんが殺す対象を指定するっていうこと」
殺す対象を指定する。
西川、佐倉。
「新条さんにはわたしの催眠に関係なく、最初から人に対する殺意があったんだよ。誰でもいいから人を殺したいっていう快楽殺人犯みたいな思想があったのね。だからわたしはそれを利用して、どうせなら雨宮くんの周りの人間を殺させればいいじゃんっていう天才的な発想に辿り着いたのね」
新条は、催眠の影響がなくともどのみち人を殺していた。
だから、わたしは悪くないとでもいうのか。
「さてここで再び雨宮くんに問題! わたしが五人に催眠をかけてまで、そして新条さんに人を殺させてまでやりたかったこととは、いったい何でしょうか?」
「…………」
「さあさあ、これはなかなか難しい問題だぞー。わたしのことをちゃんと理解していないと解けない問題だからねぇ。はたして雨宮くんにわかるかな?」
意味がわからない。
わけがわからない。
わかるわけがない。
「俺への嫌がらせ」
「はいちがーう! ちょっと惜しいけどちがーう!」
視界がぐらついてきた。
「もうどうせわかんないだろうから正解言っちゃっていい? 言うね?」
こんなところでもったいぶらなくてもいい。
「正解は、わたしが雨宮くんの感情が揺れ動くその瞬間が見てみたかったから、でしたー」
俺の感情が揺れ動くその瞬間が見てみたい。
感情が希薄で、軸が曖昧で、自己主張が皆無で、覇気がなくて、無気力な俺が、本気で焦る姿が見たかったのか。
実際に俺は本気で焦った。
周りの女の子が殺されたら、俺は本気で焦った。
全てはこの女の計画通りなのか。
「雨宮くんみたいな人って、よっぽどのことがないと驚いたり怒ったり泣いたりしないだろうからさ。なんとか雨宮くんが本気で焦ってるところが見られないかなーって、ずっと機会を窺ってたんだけど、ちょうどそこに新条さんが現れてさ、そうだ人を殺せばいいんだって、思いついたの。人が殺されればさすがの雨宮くんも感情が揺れ動くだろうと思いついたの。いやー我ながら天才だと思うわー。他人からも天才だと思われてるんですけどー」
俺はずっと動けずにいる。俺の目の前で「ふんふんふ~ん」とふざけた鼻歌を歌いながらうろうろしている西川(仮)を眺めることしかできずにいる。新条は後ろで何をしているのだろうか。いや、そもそも新条はまだ俺の後ろにいるのだろうか。
「と、いうわけで、殺人犯は新条さんで、雨宮くんが今まで見ていた夢のようなラブコメ展開は全部わたしが仕向けたまやかしなのでしたー。……て言っても、こんな真実わかるわけがないよね。雨宮くんには酷なことをしたと思っているよ。催眠とか言い出しちゃってるんだから、そこには論理も理論も推論も、ミステリーも存在しない。すべては全く馬鹿らしい茶番劇だったんだね」
論理も理論も推論も、そこには存在しない。
全く馬鹿らしい茶番劇の上で、俺は踊らされていただけ。
「ま、じゃそういうことだから。伝えるべきことは全部伝えられたと思う。雨宮くんはまっすぐ家に帰って、そんで新条さんは警察に自首しに行きなね~。じゃあさよなら~」
飄々と、俺とは対照的に余裕たっぷりな様子で、西川(仮)は立ち去って行った。いや、去るというより、消えた。瞬きをしたら目の前から綺麗さっぱり消えていた。
「…………」
「…………」
西川(仮)から明かされた真実。
幼馴染も、同級生も、後輩も、先輩も、すべてはまやかしで、だが殺人事件だけは現実で。
新条の罪は確実にそこに存在して。
俺はどこまでも愚かで。
現実はどこまでもどうしようもなくて、そしてどこまでも救いがない。
すべての真実が明かされたところで、得られるのは絶望のみ。
俺たちは今まで、あの女の手の平の上で無様に踊り狂っていただけだった。
「ああ……、もう、うんざりだ」
俺たちは今までずっと、一体全体なにをしていたのだろうか。
*
しばらくして、俺が後ろを振り向くと、新条は棒立ちで俯いていた。顔が前髪で隠れていたので、新条の表情を知ることはできなかった。
「な、なあ、新条。あのな……」
言うことなんてなにも用意していないのに、俺が声をかけると、新条はゆっくりとした動作で俺に背を向け、俯いたまま千鳥足のようにおぼつかない足取りでとぼとぼ歩き始めた。拳銃を持った手はだらんと垂れ下がっていて、いや、手だけではなく新条の身体全体から力が失われていて、新条の周りだけ世界がぐらついているような錯覚まで覚えるほどに、新条はただならぬ雰囲気を纏っていた。
「ど、どこいくんだよ」
俺の声は無視されたのか、ただ聞こえていないだけなのか、判別はつかない。新条は俺の質問に対して何も答えなかったということだけが確かだ。
曇り空の薄暗い昼下がり。新条の周りだけが、闇のように黒く染まっていた。
俺はその黒い後姿を追うことはなかった。追うことができなかった。
この期に及んでも、俺は都合の悪いことから目を背けたのだ。
このときならまだ、俺は新条を救うことができたかもしれない。警察の手から救うことはできないにしても、新条を絶望の淵から救うことくらいは、できたかもしれない。新条の未来を照らすことくらいは、できたかもしれない。
それでも俺は、新条に手を伸ばさなかった。
そのことを、後になって後悔するとは知らずに。
もう、新条と二度と会うことはできないとも知らずに。
俺はただ、そこに呆然と立ち尽くすだけだった。
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