第11話 手繋ごうよ
「早人ー!」
「……ちっ」
朝七時。
息を潜めて勉強していたはずが、起きていると見破られてドアを叩かれる。
……このまま寝たフリするか。
「起きてるよね」
ひぇっ。
「……起きてるよ」
「おはよう」
部屋のドアを開けると、既に出かける準備を済ませた、テレビ越しによく見る姿の美優がいた。
「もう準備してるのかよ」
「遠足の時は早起きできるんだ」
「いつもは本気出してなかったのか」
最近は仕事が忙しそうなこともあって朝はダルそうだったけど、今日は少しもそんな様子はない。
休日くらい少しは怠けりゃいいのに。
今日の用事も、遠足どころか、兄妹で少し出かけるってだけなんだから。
「……ってか、こんな早く起きても映画やってないだろ」
「遅刻するよりはいいでしょ。早人の準備も見守れるし」
「俺はギリギリまで勉強……」
「あー久しぶりの休みだー! 楽しみだね!」
「…………」
こいつ、仕事が忙しいのを言われると俺が何も言えないことをわかってやがる。
「大丈夫だよ……出発までには準備するから」
「うん。じゃあ見てるね」
「着替えるからどっか行け」
逆に準備できないだろ。
「あ、それとお母さん起こす? 送ってもらえるかも」
「いや……今日休みだろ、俺達で行こうぜ、そのくらい」
大体、母親に今日兄妹で映画観にいってきますとか言いたくないし。
どうしても車で行きたいなら美優の金でタクシー呼ぼう。
「というかさ」
「うん?」
「俺は美優と出かけることに不安しかないんだけど」
「どうしてさー」
俺自身はファンじゃないし美優の人気具合はあんまり知らないけど。
「普通に歩いてたら声掛けられるんだろ、お前」
「うん」
「……別々に行った方がいいんじゃねぇ?」
ついこの前も誰かに対して同じことを考えた気がするけど。
俺といるところを見られて美優に変な噂とか立ったら……まあ、ざまぁとは思うけど、一応心配にもなる。
「私の場合堂々とお兄ちゃんですって言えるからね」
「随分仲のいい御兄妹なんですね」
「はい。大好きです」
「アウトじゃね?」
彼氏って言った方がまだ健全な気がする。
「多分そういうのが好きな人もいるよ」
「いるだろうけど」
「それに、早人は心配しなくていいよ。そういうのは一応プロだから」
「……プロ?」
◇◆◇◆◇
「……バレねぇもんだな」
「ね?」
地下鉄から降りてただの一般人のように歩き始めたところで、美優はドヤ顔で言う。
いや、正確には、ドヤ顔してそうな声で言う。
今、誰であっても美優の顔を見ることはできない。
「怪しさしかないのに」
「怪しいだけの人ならいっぱいいるよ」
明らかに顔に合っていない大きめのマスクと、これまた目の辺り全体を隠す大きめのサングラス。そしてトドメの頭全体を隠す帽子。
絵に描いたような変装を見た時は別の意味で「一緒に行きたくねぇ」と思ったけど、案外人は他人に無関心らしい。
まあ俺も怪しい人見たら近づかないしな。
「本当は全部取りたいんだけどね」
「取るなよ」
「どっかで隠れてデートしたって記録の写真撮ろうよ」
「撮るなよ」
「後で早人のスマホで撮ろうね」
「盗るなよ」
何もとるなよ。
そんな話をしながら映画館に近づいていく。
ちなみに、余裕なフリをしてるだけで俺はこの映画館にも周辺のキラキラした店にも行ったことがない。
常に歩くのは美優の少し斜め後ろ。
「いつかこの辺りに住みたいね」
「仕事のこと考えたらそうだろうな」
今の家は美優の仕事先からしたら少し遠いだろうし。
俺の高校からは近いけど。
「別に美優一人で引っ越してもいいんじゃね」
「それは不安だよ」
「まあ、そうか」
さすがにまだ親と離れるのはな。
一人じゃ面倒くさいことも多いだろうし。
「帰っても早人がいないのは考えられないよね」
「そっちか」
予想はしてたけど。
なんか俺の扱いが帰ったら癒してくれるペットみたいだな。
「早人がいるから頑張れてるところもあるし。ね、早人もそう思わない?」
「思わない」
俺には早人さんって知り合いいないし。
というかそんなこと本人に同意を求めるな。
「……しっかし、人多いな、この時間なのに」
「紛れられていいじゃん」
「美優はそうだろうけど」
俺はこういうとこに慣れてないんだよ。
「店もまだ開いてないんだろ? 開いたらまだ増えるなら……すぐ帰んないとな」
「映画の帰りは買い物もしようね」
「俺の独り言聞いてた?」
もしかして俺の心の中だけの独り言だった?
「すぐ帰るなんてリフレッシュにならないじゃん」
「帰って寝るのもいいんじゃね」
「睡眠なんて毎日できるじゃん」
「まあ確かに」
毎日できることをありがたがるのもおかしいのかもしれない。
思わぬところで気づかされてしまった。
そう話している間に、少し前を歩かせてたはずの美優はいつの間にか隣にいる。
「手繋ごうよ」
「なんで」
「はぐれないように」
「俺が美優の服掴んどく」
「それじゃ格好悪いって」
別にいいだろ格好悪くたって。
兄妹だし。どうせこいつと並んでたら大体の奴が格好悪いだろ。
「せっかく出かけたんだから」
「手繋ぐことに関しては出かけなくてもできるだろ」
「皆に見せつけようよ」
「見せつける理由がない」
「早人がこんなに美人の彼女がいますよって顔できるの今だけだし」
「お前今顔見えないだろ」
「なら全部取るよ!」
「取るなよ!」
なんでそんな必死なんだよ!
そこまでして変装解いて手繋いでるとこ見せて何が得られるんだよ!
「もー……」
「目的を言え目的を」
「手が繋ぎたい」
「めちゃくちゃシンプル」
そのまんまの欲求だった。
「聞いてよ早人」
「なんだよ」
「私高校生なのに誰とも手繋がずに卒業するんだよ」
「……まあそうかもな」
「だから手繋ごうよ」
「相変わらず流れが卑怯」
毎回少し同情させてから話すのやめろよ。
そんなところで演技力使うなよ。
「ちょっとだけ」
「…………」
「指だけでいいから」
「…………」
「いい?」
「既に繋ぎながら聞くなよ」
「ちょっとだけ」の「ち」の部分でもう繋がれてたんだよ今。
そして「指だけでいいから」の「ゆ」でがっつり握られてたんだよ。
「へへ」
「…………おい」
「デートみたいだね」
「…………あのさ」
「ドキドキして何も話せないんでしょ」
「…………いや」
「黙るほどドキドキしてるんだ、やっぱりね、もう手から伝わってくるもん、あと早人の手おっきいね」
「お前がずっと喋ってるだけだからな?」
俺が喋らないんじゃなくて誰かのせいで喋る隙がないんだよ。
まあ……そんな楽しそうに話されたらもう離せとも言えないし。もう好きにすればいいと思うけど。
こう見えて仕事から帰ってきた瞬間の美優はわりと死にかけの魚みたいな顔してることを知ってることもあって、楽しそうな美優には強く言えない。
多分強く言ったところでこいつは多分手離さないけど。
休日に豪遊するでもなく、家族の手握って楽しんでるならそれはそれでコスパがいいと言えるのかもしれないし。
そんな美優は急に俺の手を離した後、自分の手を服で拭ってもう一度手を握ってくる。
「そんなん気にするなよ」
「私も気にしてないよ。念のため」
「なんだそりゃ」
そんなやり取りをしては「へへ」と嬉しそうな声を漏らす。
妹ながら美優の趣味趣向はよくわからん。
それから、映画館に入ると、薄暗いホールの中で映画のPVが流れていた。
自分から行きたいと思うほど好きではなかったとは言え、単にこういう娯楽が久しぶりなこともあって少しだけワクワクする。
ちょっと、ホラー映画のPV怖いからやめて。
「何か観たいのあった?」
「決まってんだろ? 観るの」
「二つ観てもいいよ」
そんなことを言われても、俺の場合帰る時間を2時間遅らせてまで観たいと思う映画なんてないだろうけど。
ただ、あの戦車の奴は格好いいから気になるな。うん。
「今はなんか、人気のやつやってるのか? 大ヒット中みたいな」
「あんまりないけど、あえて言うなら今日観るのはそうなるかもしれないね」
「ふーん」
……なら、美山が観ようとしてたのもこれか?
この前俺のこと誘おうとしてたやつ。
まあ別に、映画の話するわけでもないし、誰が何観てても関係ないけど。
あの後は美山から話をしてくることもほとんどなかったし。
「で、今日観るのはどれなんだ」
「あれ」
そう言って美優が指さしたのは丁度次のPVが流れ始めたモニター。
PVは暗めな雰囲気の映像を映した後、大きな文字とともに出演キャストを紹介し始めて。
「……お前が主演なのかよ」
「うん。面白いよ」
よくそんな自信満々に見せられるな――と思いながら、俺は主演女優と一緒に、上映されるシアターに入っていった。
◇◆◇◆◇
「面白かったねー」
「面白かった面白かった」
上映後、全ての席が埋まっていたシアターには明かりがつき、それぞれが観た感想なんかを言いながら次々と席を立っていく。
そんな中、美優の隣の席で映画を見た俺はしばらく先に座ったまま動けずにいた。
「面白かった? 早人」
「…………観てなかった」
「またまた」
何故か笑っている美優。
何事もなかったかのような顔をしている。
ただ、俺は確信を持って言えるけど。
「今の映画……ホラーだったよな?」
「どちらかと言えばアクションだよ」
「いやいやいや」
どちらかと言えばもクソもなくホラーだったように観えたんだけど。
映画の中の美優が森に迷うところまでは記憶にあるけど、突然霊の顔が画面全体に出てきた辺りでもう見れなくなった。
「霊出てきたし」
「アクションだから敵がいないと」
「じゃあ美優はあいつらを倒したのか?」
「最終的には取り憑かれたね」
「ダメじゃん」
やけにラストになっても暗いままだなと思ったよ。
「でも面白かったでしょ?」
「…………」
ここで面白くなかったって言ったら傷つけるだろうし、俺には面白かったと言うしかないけど。
いや、あれだけ感情を揺さぶられたんだからホラーとしては面白かったと言えるのかもしれないけど……でも美優はアクションだって言ってるんだよな。
まあ……なんだかんだで、
「いい演技ではあった」
「ふふ。ありがとう」
美優の問いには合ってないけど。
満足そうだし、いいだろ。
「さて……立ち上がるか」
「立てないの?」
「立てるやつがおかしい」
だって最後までホラー展開だったのに映画終わりましたってなったらすぐ気分切り替えられるか? 切り替えられないだろ。
さっき「面白かったねー」と通り過ぎていったカップルより俺の方が映画を楽しんでいたとも言える。
「ふー……」
しかし周り見ても美優と同じような反応の奴ばっかだな……。
俺の方が異端なのか……?
そんな馬鹿な……。
「だからめちゃくちゃ怖かったんだって!」
「普通のアクション映画だったと思うけどな〜」
「それはちゃんと観てないだけだよ!」
おっ。
でもやっぱりいるじゃん俺みたいな奴も。
前歩いてるこの人とは気が合いそうだな。
「ほらな」
「何が?」
「怖がってた奴もいる」
「怖がってた人がいても早人が怖がりなことは変わらないけどね」
ふはは言いおるわこやつ。
正論だからツッコミも反論もできないではないか。
――ただ、そんな話をしていると、映画館の出口付近で何故か、前にいた二人組は急に歩くのを止め。
「……『早人』?」
唐突に俺の名前を呟きながら振り向いたと思ったら――
「…………え、美山?」
「……えぇっ!?」
「わぁ、奇遇だ」
そこには――どうやら同じ映画館で同じ映画を観ていたらしい、美山ともっちゃんが立っていた。
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