第7話 また返すから

「っだぁー……」


 休日の昼間。

 朝から机に向かい続けて凝り固まった身体を立ち上がって一旦リセットする。


「……喉渇いたな」


 ぼちぼち昼飯も考えなきゃいけない時間か。


 リビングに下りても今日は俺一人。

 人気女優の妹は今頃忙しく働いていることだろう。


「あいつは撮影現場で上手い弁当食ってんのかな……」


 俺も腹一杯旨いもん食いてぇ。

 でも昼食で満杯になると眠くなるからダメだ。


 休日の一番の敵は自由過ぎる時間。


 一旦誘惑に負けるとそこから帰ってこられる人間はほとんどいないという。

 残るのは休日を無駄にした後悔だけ。むごい。


「ふーぅー……」


 まあ休日一日頑張れたって、その先で報われる保証はどこにもないんだけど。


 勉強だけで見ても、結局デキる奴はもっと少ない時間で効率よく覚えてるわけで。

 さらに言えば勉強の成果が出たとしても将来美優より稼げるかは怪しいわけで。


 そんなことを考えては、怠けてる奴を見て複雑な気分になったりする。


 俺も今CMで流れてるゲームとかやりたいし。ゲームしながら朝を迎えて徹夜自慢したいし。


「……ってダメだダメだ。消せっ、今すぐテレビなんて――」


 と、テレビのリモコンを持ったところで、ポケットの中でスマホが震える。


 ……美優か? もし今弁当の画像なんか送ってきたら怒りを抑えられる自信がないんだけど。


「っと――……美山?」


 しかし、表示されていたのは『麗奈』からのメッセージの通知。


 休日にLINEするような仲になった憶えはなかったが、メッセージは、


「『今からペン届けに行っていい?』……今日かよ」


 よりにもよって。

 わざわざ休日に届ける必要はあるのか。


 もしかすると、昨日連続でペンを盗ってしまったことに罪悪感を持って……?


 でもこっちとしては学校で渡される方が普通に楽なんだよな。

 そもそも、


『届けるってどこに』

『お宅に』

『家知らないよな』

『うん』


 だよな。


 つまり届けるから家教えろって言ってるのかこいつは。


『邪魔かな?』


「…………」


 まあ、これからも勉強する予定だし、邪魔と言えば邪魔だけど。


「……いいか」


 別に寂しかったわけではないけど、ちょうど誰かと話して気分転換したいところだった。


『いや、大丈夫。また忘れないうちに返しにきてほしかったし』



 ◇◆◇◆◇



「……あいつ、連れてきたか」


 LINEで家の場所を教え、美山からは『10分くらいで行くね』と返信があってから約十分後。


 さっきまで曇ってたものの、雨の降る気配はなかった空からは急に雨が降り出していた。


 タイミング的に美山が雨雲を連れてきたとしか思えない。

 別に、俺は外に出る予定ないしいいんだけど。


「一応来なくていいとは言っとくか……」


 頭のいい美山麗奈さんならちゃんと自分で判断して雨宿りしてるとは思うけど。一応。


 というか来ないなら早めに教えてほしいし。さっきから玄関でうろうろしてる時間がもったいなくて仕方がない。


「こ、な、く、て、も……――誰だ」


 ――と、メッセージを打ち始めたところで丁度インターホンのチャイムが鳴る。


 いつもなら誰が来たか確認するところだったけど、


「…………」


 雨に打たれながら待つ美山を想像して、すぐにドアを開ける。


 ドアの外にいたのは、


「あ……こんにちは」

「……まあ、入れば」

「あ、お、お邪魔します」


 やけにかしこまった様子の美山。


 てっきり雨で困っているのかと思いきや、降りはじめてすぐに走ってきたのかそこまで濡れてはいなかった。


 だからと言ってこの状況じゃさすがにペンだけもらって「また学校で」と追い出すわけにはいかないけど。

 こんな俺にも人の心が宿ってるからな。


「いやぁ……こんなつもりじゃなかったんだけど、なんかいきなり降ってきて……」

「災難だったな」


 俺はまだ美山が雨女説を信じてるから同情はしないけど。


「あ……でも、もうペンは忘れてないから。はい、借りてたやつ」

「ああ……どうも」


 そうして返される忘れかけてたペン二本。

 雨のせいで労力に合わない運送になった気もする。


 まあ休日に届けると言い出したのは向こうだから俺は何も思わないけど。


「…………」


 ……で、だ。


「…………」

「…………」


 そりゃそうだよな。帰らないよな。

 だって美山傘持ってないもん。まだ雨降ってるもん。


 ペンの受け取りだけならすぐ済むだろうと思ってたけど……けど……。


「うー……ん……」


 俺も……クラスメートを……雨に晒すほど……鬼じゃ……ナイ……。


「……オチャデモ、ノムカ」

「凄い嫌そうじゃない!?」

「ソンナコトナイサ」


 俺だって人間だから。

 クラスメート相手に雨の中突っ切って帰ってくれねーかななんて酷いことは考えないさ。


「いやでもほら……ここで返したら、冷たい奴だって噂流すだろ」

「流さないよ!」

「ああ流さないなら帰ってもいいけど」

「ちょっと!?」


 俺はどっちでも大丈夫なんで。


 本音を言えば、こうして話している間にいきなり降り出した雨がいきなり降り止んでくれれば良かったんだけど、雨はまだ降り止まない。


 そんな外の音を聞いた美山は、その場で腕を後ろで組み。


「じゃあさ、ちょっとでいいから、ここで話して雨止むの待たない?」



 ◇◆◇◆◇



「ほれ」

「ん?」

「タオル。少しは雨で濡れたんだろ」

「あ、ありがとう」


 何故か少し話すことになった美山は、タオルを渡すと、玄関に座って遠慮がちに体を拭き始めた。


 美山は自信満々に話そうと言ってきたけど、残念ながら俺には美山と話すことなんてない。


 だからと言って沈黙のまま過ごすのも気まずいし、タオルに続いて飲み物でも用意して時間を稼ごうかとも思ったが、


「時君ってこの時間一人なの?」

「……大体は」

「勉強し放題だ」

「誰も来なければ勉強し放題だな」


 楽しそうな苦笑いをする美山。

 お前と違って自然と話を切り出せるんだぞ、というところを見せつけられている。


「一人っ子?」

「いや……」

「上がいるの? 下がいるの?」

「まあ……下だな」

「へー! 妹? 弟?」

「妹」


 正直に言う必要もないし嘘を吐こうかとも思ったけど、よくよく考えると嘘を吐く理由も特になかった。


 別に妹がいるなんて珍しくもないだろうし。


「この時間はいないんだね」

「……習い事で、どっか行ってるな」

「そっかぁ、雨で大変だね」

「ああ……」


 でもあいつは多分送り迎えもしてもらってるだろうし……大変でもないだろうな。

 俺は傘さして歩くしかないってのに。


「はぁ……」

「あれ!? なんかダメなこと言った!?」

「いや……」


 双子の格差を感じてよくこうなるだけなので。


 俺の家は妹の方が可愛がられる運命なんだ。


「……そういえば」

「ん?」

「今日はあれ聞いてこないんだな」

「あれ?」

「今日も私は可愛いでしょう? みたいなやつ」

「言ってたっけ!?」


 毎朝挨拶代わりに言ってたのに。


「近しいことは言ってただろ」

「い、言ってたけど……今日は走ってきたし……」

「……だから?」

「可愛くない状態で聞いても……あれだし」

「……つまり?」

「あれ!? 伝わらなかった!?」


 美山は自分に自信があるから聞いてるんだろうに。

 可愛い奴に可愛くない時とかあんのか。


「ん……そういえば」

「?」

「今日の服、自分のか?」

「あ……うん」


 休日のため、美山は当然私服だった。

 それに今更気づいた俺に見せるために、美山は立ち上がる。


 生まれてこの方ファッションに興味を持ったことがない俺だけど、さすがに目に入らないわけじゃない。

 全体的にゆったりしたシルエットのデニムパンツと、白いTシャツの上から羽織ったカーディガン。よく知らないなりに、その組み合わせがオシャレな奴以外やらないことはわかる。


「雑誌の仕事でもしてたのか」

「違う違う。そういうのは大体レンタルだし。それに、私はそんな大したモデルじゃないし。それでも、オシャレかは自分で着ないとわからないから、なるべく服にお金は使ってたりして」


 「そこまでは聞いてないか」と美山は少し寂しそうに笑う。


 てっきりまことの反応から、美山も既に人気があるのかと思っていたけど、意外とそんなことはなくて、美山も努力している最中なのかもしれない。


「その服は着てみた結果どうだったんだ」

「この服はねぇ……無難! 可愛い服だけど、凄いオシャレかって言われると、普通かなぁ」

「そうなのか」

「うん。本当は休日だし、時君に私服で可愛いって言わせるチャンスだったんだけどねー、でも濡れちゃったし聞かない」


 そう言って再び座った美山は玄関で膝を抱える。


「最近気づいたんだけど、私って多分落ち込みやすいんだよね」

「最近気づいたのかよ」

「うん。最近気づいた」


 誰かのせいだとでも言いたげにこっちを見てくる美山。

 うん。多分もっちゃんのせいだろうな。


「だからさ、中途半端な時に行って玉砕したくないんだ。時君厳しいからさ」

「……厳しいっていうか」

「厳しいよ。最近自信みたいなのが全部どっか行っちゃいそうになってるもん、私」


 そう話す美山は「はは」と笑ってはいたけど、見るからに既に落ち込んでいる顔だった。


「それは……」


 厳しいとは自分では思っていないし、今でも俺は、俺にジャッジを求める美山が悪いと思っているけど、さすがに落ち込んでいる美山を見て全く責任を感じないわけじゃない。


 だからと言って、嘘を言って慰められるほど俺はできた人間じゃないけど、


「いや、自信は……持てよ。頑張ってはいるんだから」


「……へっ?」


 容姿のことでさえなければ、美山の褒めたい部分に関しては、不思議とすらすら言葉が出てきた。


「そりゃまだ結果は出てないかもしれないけど、努力できてるならできてない奴よりよっぽどいいだろ。もうどうせ無理だって、モデルとか諦めた奴もたくさんいるんだろうし。……俺はファッションはマジでわからないから、聞かれても好きとも可愛いとも言えないけど、美山の、『国民的モデルになる』って大して仲良くもない俺に宣言するようなところは、わりと好きだし、凄いと思うけどな」


 本人は全く気づいてなさそうだけど。


 そういう馬鹿みたいにやる気があったところは少しだけ羨ましいなと思っていたし、そんな奴に自信がないなんて言われたくない。


 いつかめちゃくちゃ稼いでやると思いつつ誰にも言えない俺の方がもっと自信がないことになる。


「いやまあ、美山が認めてほしいのは見た目なのはわかってるけど――」

「…………はじめて」


 そこでふらふら立ち上がった美山は、俺に背中を向けたまま何か喋る。


「え?」


 ただ、なんと言ったかはわからず聞こうすると、美山はぎこぎこ不自然な歩き方で一歩踏み出し。


「……あ! あめ……よ、よわくなってきたかも!」

「……雨? まあ……言われてみれば?」


 まだ降ってるっちゃ降ってるけど。

 急にどうした。


「……かえらなくちゃ!」

「いや急にどうした?」


 帰るならいいけど。

 どうしたそんなひらがなで喋って。


「いや、そっその……用事思い出して……間に合わないかもしれないから……」

「ああ……そういうことか」


 そう言って少しも待てないという様子で飛び出そうとする美山。

 急いでるみたいだし、別にそのまま返しても良かったんだけど、


「じゃね――」

「貸すから使え、折り畳み傘」


 またこいつと貸し借りをするのもどうかと思ったけど、このまま雨の中を帰らせたら、勉強中も頭の隅に残る。だからきっとこの方がいい。


 そして、そこまで俺に背を向けていた美山は、俺が差し出した傘を受け取った後、少しだけこっちを見る。


「……ありがとう、また返すから」

「うん。行け行け」

「うん、あと――さっきのもありがとね」


 そうして「お邪魔しましたっ」と逃げるように言い、美山は玄関から飛び出していった。


 こっちを見た時に少しだけ見えた顔は不自然に赤くなっていたように見えたけど……まあ、走れる元気があるなら体調不良ってわけじゃないか。


 それにしても――


「…………なんだったんだ」


 急に言動が怪しくなったような、ならなかったような。


「……余計なこと言ったか」


 なんかありがとうとか言ってたけど、明らかに俺が喋った後にこっち見なくなってたし。

 もしかすると俺の言葉があまりにも恥ずかしくて笑いを耐えきれずに――


「やめようやめよう……」


 こういうこと考えても良いことないし。恥ずかしいし。死にそうになるし。


 それに、今は勉強の途中だし。そうだ、勉強だ勉強。


「……あいつのせいで結構時間使ったな」


 まあ気分転換だったと思えば全く問題はないけど。

 一人で家にいたとしてもあのくらいのロスはよくある。


 っよし、また夕飯までノンストップで――


「……む?」


 と、自分の部屋に戻ろうとしたところでまたスマホが震える。


 なんだ? あいつ忘れ物でもしたか?


 そう思いつつ開いたスマホに来ていたのは、今頃忙しくしているはずの美優からのメッセージで。


『家に女の子呼んだ?』


「……………………えっ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る