第28話 ストーリーテラー(下)
「あら、智くんのそういう見え透いた噓は大嫌いなのだけど。お姉ちゃんは悲しいよ。愛しの弟が嘘つきだなんて。悲しすぎてマリアナ海溝に沈んでしまいそうな思いだよ。西城彩香のことが、本当は大好きなくせに。それなのに番組のことばかり気にして、素知らぬふりばかりして。ねえ、お姉ちゃんだけには聞かせてよ。智くんの本当の想いを」
言葉の暴風が狭い室内に吹き荒れた。姉さんが語り始めるといつもこうだ。表情こそ能面みたいに変わらないが、立て板に水で語り続けるこの態度。彼女は今でも天才のままだったようだ。ラスボスは形態変化をもっているのは、常識っちゃ常識だが。
「嘘なんて、ついてないけど」
そう言葉を返すのが限界だった。内心のほつれまで見抜かれては仕方あるまい。
僕が彩香さんに抱いている複雑な感情についてまで把握しているとは。
「本音を晒してよ。そんな小手先の技じゃお姉ちゃんは騙せないのよ」
「……別に、僕だって、好きでこんな状況にいたわけじゃない」
「知ってるわよ。だからこそお姉ちゃんに話してごらんなさい。西城彩香のことを本当はどう思っているのかをね」
「そういって丸め込もうとしやがって……。だから嫌いなんだよ」
負け台詞を放ち、その場から立ち上がる。無論、敵前逃亡ではない。キッチンへ向かう。
そして冷蔵庫を乱暴に開き、中から金色のエナジードリンクを取り出す。カフェインの含有量が桁違いの直輸入ものだ。姉さん秘蔵のコレクション。その場でプルタブをあけると、一気に胃の中に流し込んだ。どう考えても人体に悪影響を及ぼしそうな味がする。
長い夢から覚めるような感覚。それは『エセ恋TV』のためにつくった仮面が壊れる音にも聞こえた。そして、この一か月強、心の奥底に沈んだ感情が喉元にせりあがってきた。
「なあ、姉さん。ここで話したことはオフレコにしてくれるよな」
「もちろん。智くんの大切な話をテレビ局に売り渡すようなお姉ちゃんじゃないでしょ」
いや、弟にこんな企画をやらせる姉というのは、やるだろ。そういうこと。
しかし姉さんの表情は柔らかく、それでいて真剣さが見て取れた。
彼女が小さく頷いたのを合図に語りだす。
「正直なところ、彩香さんをどう捉えたらいいのか、わからないんだ」
「あら、西城彩香とはうまくラブコメしていたのに? しかも、『エセ恋TV』という裏事情を把握したうえで。関係性の維持に苦慮していたじゃない。にもかかわらず、カノジョのことがわからないなんてことはないと思うのだけど」
「とぼけるなよ、脚本家。だから僕は困っているのに」
「困っているのは、西城彩香の持つ『幼馴染で婚約者、未来の花嫁にしてメイドの美少女』というキャラクター性のことかしら? それとも、カノジョが『ワルキューレ系アイドルグループ【ヴァルハ☆ライブ】のSAYAKA』という事実のことかしら?」
「強いていえば、両方だよ。この側面ばかりが強調されて、本人の姿がわからない。それゆえに彼女に抱く感情すら、よく理解できていないんだ」
「それは恋心だよね、智くんっ!」
「はい?」
途端に目を光らせて、話に食いついてくる姉さん。
それは最近のだらしない表情でも、かつての天才がみせた表情でもなく。
ただ、単純に恋バナを楽しむ女子の顔をしていた。
いや、今このタイミングで掘り下げるような話ではないだろう。それよりも先に『エセ恋TV』や『エセカイ転生系』に関する情報を教えてほしい。
けれど、答えないと話が進みそうにない。
「……彩香さんは凄いと思う。人生を賭けて挑みたい夢があってさ。ほら、僕とかそういうのは全て姉さんに潰されてきただろ。だから、僕はそれを応援したい。ただ、それだけだ」
「この期に及んで綺麗事を述べるのね。それも凡人の智くんらしいわ。だけど、今日はそういうのいいから。だいたい、本当にそう思っているのならば、『西城彩香は何者なのか』という問いでは迷わないはずだわ。夢の達成には関係ないのだから」
「それはそうだけど……」
「付け加えると、智くんが『エセ恋TV』にだまされ続ける動機としては薄いじゃない? メリットがないもの。カノジョがアイドルになることに。仮にその動機が噓じゃないとしても、それ以外に大きな動機があるはずよ。そうよね?」
鋭い指摘だ。仮にも作家を名乗っているだけあって、僕の理論を否定する言葉には不自由していないようだ。しかもそれが実の姉であり、なおかつ、頭の回転が早いとなると本心を隠すのは難しい。だが、このまま言われっぱなしでは終われない。
「姉さんの言う通り、この番組にだまされ続けるメリットはない」
「そうよね。お姉ちゃんがいうのもなんだけど」
「だけど、僕は彩香さんのことが好きだ。彼女がプロのアイドルとして、アリーナでライブする姿を見たいんだ。夢が夢で終わらないようにしたかったんだ。だからメリットはある」
「そういうテレビ用の動機は聞き飽きたわ。つまり、西城彩香の魅力にあてられて、惚れたのでしょ。付き合いたいなと思ったんでしょ。突き合いたいと思ったんでしょ、尽きあいたいと思ったんでしょ。隠さないで、智くん」
「……嫌だな。下着一枚の姉さんに本心を見抜かれるのは」
小さくため息を吐いて、うなずく。
あれほど可愛い女の子を前にして、一切合切、邪な気持ちを抱かないわけがない。
そんな彼女がまったく本心をあらわにしてくれないとなると不安にもなる。
表面では笑みを浮かべていても、それが演技かもしれない。そんな状況から抜け出す糸口を探るというのも、姉さんの元を訪れた理由の一つだ。
すると姉さんはニヤリと口元を歪めて、語りだした。
「そりゃそうよ。だって、『西城彩香』はお姉ちゃんと智くんの子供だもん」
「……いちいちツッコミをいれるのも疲れたから、正確に教えてくれ」
「あら、ユーモアを楽しめなくなったら、おしまいだと思うわ」
「終わってはないよ。そもそもジョークが面白くもないのだから」
ここに来て、SF路線に舵を切るわけではないくせに。
そういうどんでん返しは嫌いではないが、現実にされては困る。
ただでさえ、フィクションめいたラブコメで手一杯なのに。
「単なるたとえ話よ。この番組における『西城彩香』がどういう存在なのかという」
「脚本家である姉さんがキャラクター性を決めたんじゃないのか?」
どこか空想的で、シニカルで、たまに愛らしい。
そういうキャラクターは『天拝山マツリ』、すなわち録藤綴が得意とするものである。
彩香さんがときおり見せたわざとらしい演技は、その条件を満たしていたが。
「それは三分の一だけ正解。脚本家であるお姉ちゃんが最終的な調整を行ったのは事実よ」
「じゃあ、『幼馴染で婚約者、未来の花嫁にしてメイドの美少女』という属性を足したのは誰だよ。PPP放送のプロデューサーとやらか」
「まさか。赤の他人を疑う前に自分の胸に聞くべきじゃないの?」
わかりやすく肩をすくめる姉さん。呆れ顔でエナジードリンクをごくり。
こんな属性のお子様ランチが好きな人間か。そんな奴は知らない。
せいぜい、共書が興味を示すぐらいだろうか。
彼はこういう作り物めいた属性が好きだからな。だから、演劇部の公演はフィクションめいたやつがたくさん出てくるのだ。だから僕は『ダイヤモンド・ワン』を書く際に――
「――僕なのか。彩香さんにあれほどの属性を加えたのは」
この一か月、僕らを苦しめた属性の数々。
現実と相反するがゆえに周囲への偽装工作に苦慮した設定群。
あろうことか、自分が仕組んでいたのだ。
物書きは自作に登場するキャラクターを『うちの子』と呼んで可愛がることがあるらしい。
それを加味すると、押しかけ女房は自作のヒロインという構図も成立する。
とんだ喜劇だ。真剣に悩んでいたのが馬鹿らしくなりそうだ。
「ようやく気付いたのね。これこそ、お姉ちゃんが用意した最大のヒントだったのに」
「これに関しては返す言葉がないな」
彩香さんが『没落令嬢』に似ている。そう共書が指摘したのは、まさに撮影初日だったわけだ。そこから違和感を覚えれば、姉の存在に気がついていたかもしれない。
「まったく本当に凡人ね、智くんは。だからこそ可愛いんだけど」
「じゃあ、『西城彩香は二人の子』っていうのは」
「そういうこと。智くんにとっての『うちの子』であると同時に、お姉ちゃんにとっても『うちの子』だったというわけ。これでジョークとして成立するかしら」
「……そのジョークは理解したけど。西城彩香に残る三分の一はなんだよ」
個人的には純情な感情であってほしいけれど。
この流れでは望むべくもない。
「それは『ヴァルハ☆ライブ』の『SAYAKA』としての側面よ。人間界と天界で暗躍するワルキューレだったかしら。地下アイドルであるとか、ガチゲームであるとかいう属性はここに起因するわ」
つまり、『中の人』が活動しているアイドルのキャラクター性が反映されたというわけか。
墨守と繰り広げたゲームセンターでの死闘。その際に彼女はいつにも増して、生き生きとしていたけれど、それは素に近い側面が強調されていたからだったのか。
となれば、疑問点が出てくる。
「そもそも、『エセ恋TV』の主演を演じるのは、劇団色彩の鏡国有栖だったわけだろ」
「……ええ、プロデューサーとしてはそのつもりだったらしいわ」
「ならば、『西城彩香』に『SAYAKA』の要素なんて混じるわけないよな」
「それはそうよ。有栖ちゃんの降板が決まったタイミングで脚本を修正したの。本当に大変だったわ。時間も少ないのに大胆な変更を加えるのは」
そういって肩をすくめる姉さん。たしかに直前になってまで、修正を加える必要がある原稿は非常に大変だよな。この点に関してだけは同情する。
「まあ、智くんたちが勝手に動くから、その度に修正作業に追われたのだけど」
「そういう話をするならば、そもそも僕を番組に参加させるなよ」
「それじゃあ、お姉ちゃんがこの番組に協力した意味がなくなるじゃん」
わざとらしく頬を膨らませる姉さん。その姿はどこか彩香さんに似ていた。彼女は西城彩香をつくった一人なので、似るのも当然か。彩香さんのほうが、あざといし可愛いけど。
そういえば、姉さんは理由があって、この番組に参加したと言っていたが。
金銭と名誉と創作欲以外で脚本を書く理由なんてあるのだろうか。
「智くんのためなの。だたそれだけよ」
「頼んでもないのだけど。で、僕のためというのは?」
「……最高の恋愛体験」
目を輝かせる姉さん。
何を言い出したのか、わからない。
「――最高の恋愛体験をしてもらおうと思ったのよ。だから、お姉ちゃんは頑張って脚本を書いたわ。智くんの検索履歴と『ダイヤモンド・ワン』のヒロインを組み合わせたの。理想的な体付きをした中の人を見つけてきたわ。それが『西城彩香』という存在」
「そんなこと、誰も頼んでいないだろっ!」
「でも、智くんはこんな手段でも用いない限り、女の子と付き合わないじゃん。何度、紹介してもリアクションは悪いし、二次元ばかりに興味があるし」
「それはそれ、これはこれだろ」
僕が彼女を作らないのは、異性にもてないからだ。それは紛れもない事実である。それと同時に今すぐに解決する必要がない問題でもあった。
中学生のときは姉さんに追いつくことばかり考えていて。
高校生になってからは、勉強や部活動に忙しかった。
要は自分のことで手一杯だった。異性と特別な関係を築く余裕なんてなかった。
ゆえにこの状態を深刻に捉えたことはなかったのだが。
姉さんはそれを快く思わなかったらしい。
なんとかして弟にカノジョを作ってあげなければ。その思いからか、知人を僕に紹介することも多々あった。しかし、僕の立場からすると、姉さんの友人というのは、どうして癖の強い人が多く、また、姉さんに貸しは作りたくないという思いもあって、あまり積極的な行動はしてこなかった。というか、こういうのって気まずいだろ。
かといって、アニメやゲームのヒロインに走ったわけではない。
ああいうのはあくまでフィクションだから楽しいのであって、現実と混同すべきでない。
その想いは奇しくも彩香さんとの一か月でさらに強くなった。
けれど、姉さんには伝わらないみたいで。
「なんて、色々反論しているみたいだけど、この作戦は成功したみたいね」
「いや、そういう面倒くさいことをやめさせるべく、姉さんを説得しにきたのだけど」
「口ではそう言っているけど、智くん、西城彩香に惚れているじゃん」
「……まあ、それはそれだろ」
正直に白状すると、僕は彩香さんのことが好きだ。
けれど、僕が好きなのは『幼馴染で婚約者、未来の花嫁にしてメイドの美少女』でも『SAYAKA』でもなく、彩香さんなんだ。夢のために努力する彼女が好きなんだ。
という事実を訴えたところで、姉さんにとってはそこに差はないのだろう。
ここで食い下がっても仕方ない。話を続けさせる。
「最初に西城彩香が種明かしをしたときは肝が冷えたけれど、結果として正解だったわね。それによって、秘密の共有ができ、そこから生じた吊り橋効果が恋愛感情を加速させたと見るべきね。そう考えると墨守ちゃんはよくやったわね。あとでお礼を言わなくちゃ」
「そうかい、それは良かったぜ」
「けど、本番は『星宝祭』よ。そこでお姉ちゃんが書いた『エセカイ転生系』を二人が演じることによって、本当の意味で恋人になれるのよ。そのためにわざわざ脚本を書きおろして、智くんの脚本にぶつけるなんて、悪いことをしたのだから」
「その件に関しては若干、根に持っているからな」
「あら、ごめんなさい……、てへっ」
少女漫画みたく頭を叩く姉さん。本当に勘弁して欲しい。
今すぐにでも家出したくなってきた。
「あら、そのときは西城彩香も連れて行くのかしら。そういう展開も悪くないわね。プロデューサーの彼は激怒するだろうけれど」
「そんなことはしないよ、意味がないし。文化祭のステージにはきちんと出るつもりだから、安心しておきなよ。だけど、これだけは宣言しておく」
「宣言ってなんなの?」
「僕は彩香さんのことが好きだ。でもそれは番組が用意した思惑がうまくいったわけではないから。アイドルになるという夢を追う少女が。共に困難に立ち向かった少女が。好きなだけなんだよ、僕は」
「……『西城彩香』には智くんが求めるような中身はないのに?」
「ああ、彼女の素性なんてほとんど知らないさ。それで悩んだこともあった。だけど、そんなのもうどうでもいいじゃないか。僕はそれでも『中の人』が好きだ。その気持ちに嘘も偽りも都合のよいものも、混じっていない。ただ、それだけなんだよ」
気づけば、すべてを口にしてしまっていた。
そう、僕が西城さんに抱いている感情である。
この際だからはっきりと言おう。僕は『西城彩香』の『中の人』については全く知らない。
だけど、そんな彼女を信じてみることにしたんだ。
――だって、恋愛って誰かの指図を受けるものじゃないだろ。
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