第18話 降臨、ワルキューレ
――あれから短針は右に千四百六十回転して現在。僕、十七歳。
どうやらいつの間にか眠っていたらしい。過去の禍根を夢見ていたようで、全身がどうにも湿っぽい。十月になるというのにこうも暑いと夢見も悪くなる。
これも共書の提案に乗って、『ダイヤモンド・ワン』への出演を決めたせいだろう。姉さんに勝てるという甘言を言われちゃ、断れなかったのだ。夢のなかでは敵わないから、従属するだけなんて、思っていたようだが、今の僕としてはやはり嫉妬に近い感情を持っている。ゆえにこの誘いを断れなかった。
裏事情を露呈するリスクの観点で、出演を断ると思っていた彩香さんが、僕以上に乗る気だったのも大きい。やはり彼女は生粋のエンターテイナーなようだ。
額の汗をブレザーのすそで拭いながら、ゆっくりとまぶたを開く。視界に入ってきたのは見慣れない天井。LED電球の無機質な光が眩しい。どうやらここはリビングのようだ。
デジタル時計に視線を送ると、『二時十四分』との表記。
どうやら丑三つ時らしい。
昨日、演技の練習で疲れ切った僕は、制服すら着替えることなく、ソファーで力尽きたのだろう。身体がきしきしと軋む。あ~あ、ちゃんとベッドで寝なくちゃなぁ。次に感じたのは、身体全身を包み込む柔らかな感触。
「あら、起きたのね。随分とうなされていたけど、大丈夫?」
ああ、これはたしか、共書からもらった高級毛布だ。
まるで人間のような暖かさが売りの商品で、最近眠りが浅いと相談したら、共書がひとつ分けてくれたのだった。まあ、これを受け取ってしまったせいで、『ダイヤモンド・ワン』への出演を断れなくなったのだけど。あいつ、策士だよなぁ。墨守なんかよりも。
「……あれ、智也君。私が覆いかぶさる形で抱きついていても無反応って。まさか不感症?」
そんなことを考えつつ、全身を伸ばして深呼吸。演劇という激しい運動をして眠ったため、悪夢を見たわりには身体の調子は悪くない。ぼんやりとする頭を抑えながら、立ち上がる。
「うぎゃっ、う、ううう……、痛いよ」
なにかがソファーから転がり落ちる音がした。それも結構な大きなのものだ。それに人が落っこちて悲鳴を上げているような声も聞こえるし。まあ、いっか。
消える見込みのない、大きな隈を携えた眼をこすりながら、ゆらゆらとした足取りで冷蔵庫へと向かう。乱暴に扉を開いて、お目当てのエナジードリンクを取り出す。寝起きに摂取するカフェインほど心地よいものはない。
口内に広がった炭酸飲料の余韻に浸りながら、ふと呟く。
「う~ん、変な夢を見たなぁ。テレビ局に恋愛的ドッキリを仕掛けられるっていう」
「残念だけど、それは現実よ」
「冗談ですよ、彩香さん。ただちょっと現実逃避をしているだけで」
先程から視界に入っていたし、そのアニメっぽい声も聞こえていたが、極力無視していた。
というか手足の長いモデル体型に、稲穂色のツインテール、素性を知らない芸能関係者ならばまず間違いなくスカウトするだろう存在感を放つアイドルを視認できないわけがない。
ただ、視認したいとは思わなかったし、不感症、じゃなくて不干渉を貫きたかった。カフェインを取らなきゃ無理だからな。午前二時に、やたら丈の短いフリルスカートを身にまとい、僕に抱きついていた彩香さんへの対応なんて。
「まあ、ともかくおはよう。智也君」
「おはようございます、彩香さん」
午前二時の挨拶がはたして『おはようございます』でいいのか。いや、ギョーカイではどんな時間でも『おはようございます』っていうらしいし、いいのか。
自己解決。
「というか、なんで彩香さんがここに? 番組から怒られますよ。絵面がきわどいって」
「うふふっ、こういうサービスもいいでしょ」
「たしかに嫌いじゃないですけど、それで本当のところは?」
「脚本家から直々に指示があったの。だから絵面のことは心配しなくていいの」
室内に仕掛けられたマイクに音を拾われないように、耳元で囁く彩香さん。そっちのほうが個人的にはかなりのサービスなのだけど。打ち明けたらたぶん引かれるのでお口チャック。
「あ、これは内緒の話だったのだわ。失敗したわね。……てへ」
下をペロリと出して、頭を軽くたたく彩香さん。少女漫画の主人公かよ、とツッコミを入れようと思ったが、未だに睡眠を取っていない彼女は深夜テンションなのだ。それに可愛らしいのでこの際、押し黙ったほうがお得だな。やっぱり可愛いは正義。
「それでなんでアイドルっぽい服装なんですか?」
「実は私、人間界と天界で暗躍するワルキューレだったの」
「な、なんですってっ!」
彩香さんのカミングアウトに衝撃を受ける。
寝起きドッキリにしていい話じゃない。
僕の『幼馴染で婚約者、未来の花嫁にしてメイドの美少女』として『エセ恋TV』から送り込まれた西城彩香。その正体はなんと人間界と天界で暗躍するワルキューレだったのだ。
……なんて、あり得るわけないだろ、いい加減にしろっ!
僕にはいえない事情があるので、こんな嘘をついたのだろうが、それにしても酷い。だけど乗らないわけにもいかないので、驚いた演技をしながら聞き返す。
「……それは本当なんですか、彩香さん」
「ええ、冗談じゃないのよ。残念ながら、ね」
涼しげな表情で淡々と答える。表情からは到底嘘をついているようにはみえない。これがどんな役でも演じられると豪語するアイドルの技能か。
……もうちょっとマシな嘘をついてくれよ。そうしたら僕だって騙せただろうに。ズキズキと痛む胃を撫でながら、そう思ってしまう。
「私は『対神人諜報機関』、通称『ヴァルハ☆ライブ』のワルキューレなのよ」
彩香さんは両手で天を仰ぎながら高らかに宣言した。この行動はさすがに読めない。追加で痛み始めたこめかみに手をあてて、小さくため息を吐く。しかし彼女のターンは終わらない。
「ひょんなことから世界の存亡に関わる機密情報、『命運時刻表』を知ってしまった私は、世界滅亡を防ぐために、破滅阻止のカギを握る少年のもとに潜入することになったの」
「ま、まさか、それって……」
「ええ、それがあなたなの。録藤智也君」
指先をビシッとこちらに向けて、微笑を浮かべる彩香さん。突然のご指名にポカンと口を開けることしかできない。急にそんなことを言われても対処に困る。抜群の演技力を持つ彩香さんのように設定を語ることなんて僕には不可能だ。ただ、それっぽい返事をするだけ。
「じゃあ、彩香さんが僕の親戚って名目で転校してきたのは……」
「そう、智也君を保護するためよ」
「そうだったのですね。ではよく分からない属性を無駄にアピールするのは……」
「もちろん、敵の目をあざむくための偽装工作よ」
「けれど、こんな真相を知ってしまったら、敵に狙われてしまうのでは?」
「心配いらないわ。これであなたを守るもの」
ロンギヌスとグングニルと名付けられた対のバチを持ちながら、決め顔をする彩香さん。言いたい台詞を言えたのか、満ち足りた表情。よくそんな法螺を吹けるものだな。
だって、すべては虚構の産物なのだから。彩香さんが語った『ヴァルハ☆ライブ』や『命運時刻表』なんてそもそも、存在しない。彼女はワルキューレではなく、地下アイドルだ。僕も破滅阻止のカギを握る少年ではなく、ドッキリ被害者である。彼女の語る組織は間違いなく。『エセ恋TV』のころだし。けれど、彼女がこんなことをわざわざ語るのには意味があるはずだ。ソファーの隙間に埋まったスマホを発掘し、メッセージを送る。
【で、脚本家からなんて言われたんですか?】
【伏線を回収しておくように、と指示があったわ】
【伏線? しかしスラスラと『設定』を羅列できましたね。正直、驚いていますよ】
脚本家の指示によって、唐突に明かされた真実、というか、新規設定。きちんと辻褄が合わせられていて、素人目にみてもクオリティは高い。すると、彼女は顔をゆがめた。
【そりゃ、もう何年も同じフレーズを口にしているからよ】
【……というと、あっ、まさか】
【さっき語ったのは、地下アイドル『ヴァルハ☆ライブ』のリーダー、『SAYAKA』が抱えている『設定』だったのよ】
ため息交じりに現実的な真相を告げた彩香さん。それに対して僕は大きく相槌を打った。なるほど、そういう事情だったのか。今までの引っ掛かりがストンと胸に落ちた。思い返してみれば伏線はそこかしこに張り巡らされていたことに気がつく。
例えば、彩香さんのファンがオタク気質であること。
例えば、彼女自身もアイドル活動の中でゲーマーとして覚醒していること。
例えば、音ゲーのときに語った意味不明瞭な設定をスラスラと語ったこと。
とまあ、よくよく考えれば、僕でも真相にはたどり着けたわけだ。納得がいく。
【……じゃあ、ワルキューレというのは】
【アイドル活動中であれば、そういう設定が適用されるわ】
【そんなメタフィクションな……。彩香さんがなんとしてもプロになりたいのって】
こういう設定を捨てたいからじゃないのか。正直、あの類の設定は現在進行形の中二病患者でないと、演じ続けるのはかなり厳しいのではないか。僕はそう訝しんだ。この設定を語る際の表情が決して明るくなかったことからも、この設定をよく思っていないことがうかがえる。
そりゃ、なんとしてもプロになりたいと願うわけだ。こんな企画に参加してまでも。そんな僕の視線に気づいたのか、彩香さんは小さく頷く。
【正直、こんな設定を抜いて、歌やダンスで勝負をしたいわ】
【やっぱり、そういう思いがあったんですね】
【この話はこれぐらいにしましょ。あと、これはすべてオフレコね】
彩香さんは僕の口元に人差し指を当てた。お口チャックの合図だ。
ちなみに『オフレコ』というのは『オフ・ザ・レコード』の略で、政治家などが記者に対して情報提供をする代わりに記事にしないことを指すとか、なんとか。ゴシップモンスターである墨守はこう言いながらも平気で記事にするので、信用してはいけない。
「さておき、シャワー浴びてきたほうがいいわよ。練習のせいで結構汗吸ってるみたいだし」
「……やっぱり臭いますかね」
ツッコミで適度に疲弊した今ならば、朝までぐっすりと眠れそうなのだ。わざわざシャワーを浴びる気力は残っていない。
そういうと彩香さんは露骨に眉をひそめた。
「言い訳する前に浴びてきてくれないかしら。共演者に対するエチケットとして」
「……わかりましたよ」
「それでよろしい。晩ご飯用の味噌汁を温めて待ってるから」
「えっ、本当ですかっ!」
ソファーで溶けたアイスクリームのようになっていた状態から一気に跳ね起きる。彩香さんの味噌汁があるのならば、話は別だ。
そもそも彼女は『新学期で忙しくなる僕のために両親が雇ったメイド』という設定で我が家に同棲しているので、家事は全般的にできる。裏事情を知ってからは、分担できる作業は僕もやっているのだけど、料理だけは彼女に任せていた。だって僕が自分で作るよりも何十倍も美味しいのだもん。早い話、僕の胃袋はすでに彩香さんに掴まれてしまっているのだ。
そのなかでも特に美味しいのは、いりこだしの味噌汁。僕の好みに合わせて、ジャガイモが入っていて、豆腐が少なめ。これがたまらなくおいしい。シャワー後に味噌汁という組み合わせは本来、ビミョーなのだけど、これだけは例外だ。乾いた洗濯物からパジャマを拝借。
「へぇ~、そこまで褒めてくれるんだ。なんだか照れくさいわ」
「それだけ彩香さんの味噌汁が美味しいんですよ。毎日作ってほしいです」
「えっ、と、智也君。それってどういう……」
今までテキパキと支度をしていた彩香さんが、急に赤面して俯いてしまった。その様子は今までの経験則から見るに、お得意の芝居がかったものではない。なにかマズイことを言ってしまったのだろうか。釈明をしなければ。
「いや、そのままの意味ですよ。毎日味噌汁を作ってほしいって」
「そ、それは分かっているのっ。そうじゃなくてっ。ああ、もうっ、鈍い男ね」
「とりあえずシャワー浴びてきてもいいですか?」
「ええ。その間に完璧な味噌汁を準備しておくわ。覚悟してねっ!」
ぎゃふんと言わせてやるんだから。彩香さんはそんな言葉を口にしながら、厨房へと消えていった。どうやら怒らせてしまったようだ。よくわからないけど。後で謝っておこう。
そう考えながら、渡り廊下へ続く扉を開いた。浴槽へと向かう。
「あらあらぁ、相変わらず鈍感だわぁ、智ちゃんはぁ~」
その途中、背後から声がした。もちろん、彩香さんではない。かといって強盗ではない。聞き覚えのある声だ。出来れば二度と聞きたくなかった、間延びした声。しかし、振り返らないわけにはいかない。意を決し、振り向けばそこには。
エナジードリンクを手にした女性が突っ立っていた。手入れが行き届いてない黒髪に、狸のように垂れ下がった目尻。だらしなく開ききった口。無駄に大きい胸は無秩序な発展を繰り返す人類の罪そのもの。そう、この女こそ――
「ね、姉さん。綴姉さん。何故ここに? まさか抜き打ちテストなのかっ!」
「うう~ん、まぁ、そんなところかしらぁ~」
かつて天才と謳われた者の残りカス、僕の実姉、録藤綴がそこにいた。
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