十八年分の『ありがとう』
和道 進
『ありがとう』そして『行ってきます』
夏の蒸し暑さが減っていき、秋の風が吹き始める九月上旬。
一応毎年一回はこの場所に来ていたのだが、ここ二年程は忙しさ面倒くささもあってか来ていない。
しかし、大学受験への不安からなのか、節目だから行かなければいけないという義務感からなのか、自分でも分かりはしないのだが、久々にこの場所に来た。
やはり大きな物事というものは、自分で思っている以上に影響がある。
車から降りて空を見上げた。
そこには澄み渡った空が、果てしなく広がっている。
父も車から降り「ちょっと買ってくる」と言って、売店へ歩いていった。
管理所で
入り口の近くにある蛇口で手桶に水を入れて、公園の中に入っていく。
その時、まるで心が透き通っていくような、とても心地よい風が吹いた。
額に手を当てて公園全体を見渡す。
山の上にあるということもあって、周りには建物もなく、とても見晴らしが良い。
地面には綺麗に整備された芝が生え揃っていて、横になって昼寝をしたくなるほどだ。
まぁ、そんなことはしてはいけないのだが。
「え〜と、三列目だったっけかな?」
数を数えながら公園の中へ入っていく。
珍しいことに、今日は人が一人もいない。
公園の隅の方には、真っ赤な
「あっ、これだ」
目当てのものを見つけ、立ち止まる。
『
線香台には燃え切った線香の灰、花瓶には枯れた花がさしたままになっていた。
花は枯れてからまだ日が経っていないように見える。
お盆に誰かきたのだろう。
墓石には、最近の強風で飛んできたであろう芝が、少々着いている。
「久しぶりだね……母さん……もう最後に来てから二年くらい経ったかな?」
墓を目の前にし、そう語りかけた。
当然、返事は返ってこない。
持っていた鞄を芝の上に置いて、中から雑巾を取り出す。柄杓で墓石に水をかけて、雑巾で丁寧に拭いていく。
そこに花を買った父がやってきた。
「俺こっちで拭いてるから、これ捨ててきて」
そう言って、父に線香台を渡す。
「りょ〜かい」
父は軽く返事をして、線香の灰を捨てに行った。
父とは決して仲が悪いわけではないのだが、よく言い合いをしている。
その内容といえば、勉強のことだ。
特に今年は受験期ということもあって、その頻度は増している。
ただ、ラッキーだったのが、父は単身赴任で他県に行っているということだ。
だから、お互いにそこまで激しくぶつかりあわないし、自分の性格上、大抵の感情は寝れば忘れられる。
それでも、久々に会って一緒に墓参りをするというのは、なかなかに気まずい。
そんなことを考えながら、墓石を拭き終えた。
花瓶の枯れた花を新しい花と取り替え、鞄から線香を出す。
いつもは風でなかなか火がつかないのだが、なぜか風がピタリと止んで一瞬で火がついた。
不思議に思いながらも、線香台にのせて墓に供える。
ここで父が戻ってきた。
「掃除、もう終わったのか?」
「まぁね、芝が多少ついてたくらいだから、そんなに時間はかからなかったよ」
「そうか」
そう言うと、父は腰を下ろして墓をじっと見る。
「もうあれから十三年か……割と早いもんだな」
「それだけ歳重ねたってことでしょ」
「嫌味か?」
父は不機嫌そうにこちらを見る。
その視線を無視して、鞄から灰色のねずみのぬいぐるみを取り出す。
本来、このぬいぐるみは母のものだった。
母の火葬の時に一緒に燃やすはずだったのだが、父が「これはお前が持っていていいよ」と、言ってくれたものだ。
その時から、母の形見として大事に持っている。
「じゃあ、祈るか」
父は手を合わせて目を閉じた。
その姿を見て、ぬいぐるみの手と自分の手、両方を合わせて自分も目を閉じた。
もう母の顔や声は、ほとんど記憶からなくなってしまっている。
あの日。
母が亡くなった日の四日前。
最後に母に言った言葉『行ってきます』そして母が言ってくれた言葉『いってらっしゃい』これだけは、今も鮮明に残っている。
――あれから十三年経ったんだ……俺も高校生になって、もう大学受験なんだよ? 最初はとっても辛かった……それを紛らわすために父さんに「早く新しいお母さん連れてきてよ!」なんてことも言ってしまった。それが言っちゃいけないことだってしばらくして気づいたよ。でも、なかなか二人に謝れなくて……謝るのが怖くて……勇気を出すのにだいぶ時間がかかっちゃった。今更かもしれないけど……ごめんなさい。言い訳になっちゃうかもだけど、それほど辛かったんだ。でもね……友達もいっぱいできたし、好きな人もできたんだ! ここまで、父さんだけじゃなくて、周りの人も支えてきてくれた……辛い時、楽しい時、一緒にいてくれた……生きる理由をくれたんだ。
「だから」
そう言った後に、少し深呼吸をして。
――怒ってくれて、笑ってくれて、抱きしめてくれて、愛してくれて、この世界に産んでくれて、その全ての意味を込めて。
『ありがとう』
心の中でそっと呟く。
その時、強い風が正面から、ビュゥッ! と吹いた。
その風に目を開けて、もう一度閉じる。そして、さっきよりも強く手を合わせる。
――もうすぐ俺は受験です。久々に来て都合が良い奴と思うかもしれないけど、どうか応援していて下さい……頑張ってきます。
父の方を見るとまだ祈っているようだったが、すぐに目を開く。
「じゃあ……行こっか」
父は立ち上がって、そう言った。
「そうだね」
自分は少し伸びをしながら返事をする。
道具を片付けて墓に背を向けた。
その時にまた、心地良い風が吹く。
その風は背中を、自分の心を前に押してくれていると感じた。
根拠はない。
ただそう思わずにはいられなかった。
その風で辺りの芝がザワザワと揺れる。
「いい風だな」
公園を出る直前で、墓の方に振り返る。
『行ってきます』
と、手を振った。
その時に。
『行ってらっしゃい』
そんな声が聞こえた気がした。
この広い空は、どこまでも青く、透き通っている。
十八年分の『ありがとう』 和道 進 @kazuoka
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