第161話 妖精

熱が下がり、おかゆを食べた後、軽くシャワーを浴びて1階へ降りると、あゆみが事務所の掃除をしていた。


「もう大丈夫なん?」


そう声を掛けられ「ああ」とだけ返事をすると、あゆみは「あっそ」と言った後、鼻歌交じりで掃除を再開していた。


「機嫌いいな?」


「うん。 親友の妖精が家に泊まったからねぇ」


「家って… 親、大丈夫なん?」


「施設入れたし。 交番の前で殴られて、そのまま相談したら一発だったよ?」


「そっか…」とだけ言うと、雪絵が出勤してきたんだけど、雪絵は挨拶することもなく、一直線に休憩室へ。


『そういや専門の時、あいつの班っていつも揉め事起こしてたし、原因ってあいつだったんじゃね?』


そう思いながら応接室に行き、ファイルを見てみると、ほとんどの作業が完了されていた。


応接室に来たケイスケに「これどうした?」と聞くと、ケイスケは「言ったじゃん。 美香ちゃんが来てくれたって。 徹夜して作業してくれたんだよ。 今頃寝てるんじゃないかな? 今日有給もらってるって言ってたし」と言い、自分の作業を始めていた。


思わず笑みがこぼれてしまい「そっか」とだけ言った後、無性に寂しさが押し寄せてきた。


「今、どこに住んでるって?」


「実家って言ってたよ」


「じゃあ、実家で仕事してんの?」


「そこまでは聞いてないなぁ。 それより、モーションコミックなんだけどさぁ」


そのまま仕事の話をしていたんだけど、寂しさがどんどん膨れ上がり、押しつぶされそうになってしまった。


話を終えた後、デスクの引き出しを開けると、小さなウサギのゴム人形が置かれていた。


『これってあの時の…』


そう思うと同時に、シュウジの『おねえちゃん、あひるになっちゃったぁ』と泣き叫ぶ声を思い出し、ウサギのゴム人形を掌に乗せていた。


『早く人間に戻れよ』


そう思いながら、ウサギのゴム人形をパソコンの上に置いた後、作業を始めていた。



定時後も、作業を続けていると、雪絵がノックもせずに応接室に入り、ケイスケのデスクに書類をたたきつけた後、すぐに応接室を出ようとしていた。


思わず「待てよ」と声をかけると、雪絵は不機嫌そうに振り返り「は? 何?」と言うだけ。


「ノックもできないのか?」


「必要ある?」


「あるから言ってんだよ。 だいたい、書類を叩きつけるって社会人としてどうなんだよ?」


「はぁ? あんたに説教されたくないんだけど」


「俺は社長だぞ?」


「内緒にしてたくせに偉そうなこと言わないでくれる? 大体何なの? どいつもこいつも美香美香って… ホントむかつくんだけど」


突然出てきた『美香』の名前に、言葉を失ってしまった。



雪絵が『美香』の名前に嫌悪感を抱く気持ちは痛いくらいにわかる。


その名前を俺が言ったせいで、ああ言った結果になったことも、公私混同していることも分かっているんだけど、ケイスケに対してあんな態度を取ったことだけは許せなかった。



「文句あるなら俺に言えよ」


「金輪際、あたしの前で『美香』って言葉を出させないで。 マジむかつく」


「できなかったらどうすんだよ? 辞めるのか?」


「なんであたしが辞めなきゃいけないの? 辞めるのはあんたたちでしょ?」


「もしそうなったら潰れる事になるから、結局お前が辞めることには変わりない」


「叔父さんに言うから」


「言えよ。 それが原因で潰れたら、結果は同じだろ?」


はっきりとそう言い切ると、雪絵は八つ当たりをするように応接室のドアを乱暴に閉め、はっきりと足音を立てて事務所を後にしていた。



ケイスケはため息をついた後、書類を見て「妖精さん、何とかしてくれないかねぇ…」と呟き、作業を再開していた。

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