第89話 期待

ソファを背もたれにして座る美香の真似をして地べたに座り、髪を撫でながら「なぁ、今日、泊っていい?」と聞くと、美香は慌てたように「え? だ、だめですよ」と答えていた。


「なんで? 帰りたくないんだけど…」と言いかけると、テーブルの上に置いてあった携帯が鳴り【大高】の文字が浮かび上がる。


思わず深くため息をつくと、美香は「大高って真由子ちゃんですか?」と聞いてきた。


「そ。 睡眠不足の原因」


「仕事の連絡ですか?」


「いや、編集教えろってさ。 毎晩毎晩、同じことしか言わないし、勘弁してくれって感じだよ」


そう言いながらため息をつくと、美香は「電源切ったらどうです?」と聞いてきた。


「兄貴からかかってくるかもしれないからさ」


「じゃあ、ミュートにしてここに置いておいてください。 光輝社長から着信があったら起こしますし、少し眠ったほうがいいですよ?」


「…それってさ、泊って良いってこと?」


「え? いや、あの、そう言う訳じゃなくて…」


美香は困ったようにしどろもどろになった後、切り出してきた。


「じゃあ、質問に答えてくれたら検討します」


「検討じゃだめ。 答えない。 それより検討してくれた?」


「検討ですか?」


「やり直すって話」


美香は真っ赤な顔をしてうつむいた後「本当に付き合ってたんですか?」と聞いてきた。


『本当のこと言うか? でも、本当のことを言ったら、なんでキスしたって話になるし、そうなったら、あの一件のことも話さなきゃいけなくなるよな… あの事を思い出させるくらいなら、言わないままでいたほうがいいだろうし… でも、本当のことを言ったほうが…』


黙ったまま迷っていると、美香は不貞腐れたように「また黙って… ずるいです…」と言いながら口を尖らせると、またしても携帯が光り【兄貴】の文字が浮かび上がる。


急いでベランダに移動し、電話に出ると、兄貴は仕事の話をし始めた。


電話を切った後、どっと疲れが押し寄せてきたんだけど、ソファの上に移動し、膝を抱えてテレビを見る美香の横顔を見ているだけで、疲れよりも安心感のほうが上回る。


美香の隣に座った後、自然と沈黙が訪れ、テレビから流れるニュースの音だけが耳に入ってきた。


すると美香が思い立ったように「ま、いっか!」と切り出してきた。


「なにが?」


「付き合ってたかどうかってことです。 付き合ってたとしても、付き合ってなかったとしても、社長が言いたくないってことは、いい思い出ではないって事ですよね? だったら、無理に聞き出すこともないかなって。 ね?」


そう言いながら笑いかけてくる美香が、あまりにも眩しく見えて、愛おしすぎて…


美香を強く抱きしめながら、唇を重ねていた。


貪りつくように唇を重ねていると、美香が俺の気持ちにこたえるように、首に腕を絡ませてくる。


抱き合いながら唇を重ねていると、美香は苦しそうに、悩ましく、色っぽい吐息を口から漏らし始めた。


『すげぇかわいい… もっと聞きたい…』


そっと美香の胸に手を当てると、美香はうつむきながら「嫌…」と声を出す。


慌てて手を離し「ごめん…」と言うと、美香はうつむいたまま、消えてしまいそうなほど小さな声で「…シャワー、浴びなきゃ嫌です」と告げてきた。


「浴びたら良い?」と聞くと、美香は小さく頷いていた。


「すぐ浴びてくるよ。 あ、俺の着替え、確か何枚か置きっぱなしにしてあったと思うんだけど、見てない?」


「クローゼットの奥にあった黒い衣装ケースですか? 開けてないんでわかんないですけど、廊下の収納に移動しました」


「サンキュ」と言いながら廊下に移動し、収納の扉を開けると、そこには俺の私物ばかりが、綺麗に収納されていた。


『このまま住めそうなんだけど… あ、この漫画、中学の時からケイスケに返してねぇや。 忘れてた』


そう思いながら浴室に移動し、期待に胸を弾ませていた。

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