第78話 点と線

『記憶がない… どこからどこまでの記憶がないんだ? やっぱり俺の責任?』


美香を抱きかかえたまま、そう考えていると、美香が「社長、もう大丈夫なんで、離していただけますか?」と切り出してきた。


美香の記憶がどこから欠けているのか知りたくて、ユウゴとケイスケに「ちょっと外してくれるか?」と言うと、二人は「ああ」と返事した後、休憩室を後にしていた。


美香は「社長?」と言いながら顔を上げてくると、手の震えが収まっていることに気が付いた。


それと同時に、部室のカーテンに隠れながらキスをしたことを鮮明に思い出し、力なく手を離した後、「薬、飲んだほうが良い」とだけ伝えた。


美香は鞄から薬を取り出し、水で流し込んだ後、自然と沈黙が訪れる。


「…何も覚えてないのか?」と聞くと、美香は「全部ではないです。 ただ、社長とその周りにいた人たちだけわからないです」と、言いにくそうに言うだけ。


「うちに来た時、誰が誰かわかった?」


「いえ… なんとなく見たことがあるような無いような感じでした」


「ユウゴと隣の席だったことは?」


「いえ… ユウゴさん自体、初対面だと思ってました」


「ケイスケと仲が良かったことは?」


「すいません… 記憶にないです…」


「…G組の山本杏里って覚えてる?」


「ごめんなさい… わかんないです…」


「F組の野村は?」


「すいません…」


「バスケ部のマネージャーしてたことは?」


「わからないです…」


その後も部活のことをを中心に質問をしていたけど、美香は『すいません』『ごめんなさい』『わからないです』と繰り返すばかり。


「部室で金髪の男に会ったことは?」と聞くと、美香は「わかんないです… すいません」と小声で言うだけだった。


『あの時のことも… キスしたことも全部無かったことになってる?』



「初めて電話した時、俺の事、覚えてた?」


「…すいません。 全く記憶になかったです…」


あんなに追い求めていたのに…


あんなに強く求めていたのに、自分の存在自体が無かった事にされていた事に、悔しさが一気に込み上げてきて、美香のことを強く抱きしめ、美香の唇に自分の唇を重ねた。


あの時と同じことをすれば、思い出すかもしれない。


あの時と同じことをすれば、思い出してくれるはず…


そう思いながら唇を重ね、ゆっくりと唇を離した後「2回目だって、覚えてない?」

と聞くと、美香は「…2回目?」と小さく呟くように聞き返すだけ。


『無かったことになってる… 俺、美香の記憶に存在してないんだ… だからずっと敬語だったし、あれだけ仲の良かったケイスケに対しても、やたら丁寧な口調だったんだ… だからみんな【さん付け】だったり、役職名でしか呼ばないんだ… あの時のことも、覚えてたのは俺だけで、俺の独りよがりだったんだ…』


そう思うと、点と線が綺麗につながり、全身の力が抜けるように感じた。


力なく腕をおろした後「…ごめん」とだけ言い、すぐに休憩室を後にし、事務所に入ると、ユウゴとケイスケは自分のデスクで缶ビールを飲み、ユウゴは俺に缶ビールを手渡してきた。


「美香、なんも覚えてなかった。 ケイスケのことも、ユウゴのことも、野村のことも、俺のことも… マネージャーしてたこと自体、覚えてなかったわ… ここに来た時、美香は全員と初対面だったんだよ」


ため息交じりにそういうと、ユウゴとケイスケは「そっか…」としか言わなかった。


缶ビールを半分ほど一気に飲み干した瞬間、ケイスケが『辛いことは全部忘れてるんだから、1からやり直せばいいだけ』と言っていたことを、ふと思い出した。


すると、ユウゴは不安そうに「で、大地はどうすんの? 個人的に」と切り出してきた。


「ん? 動くよ。 あの時の記憶がないんだったら、何も気にすることはないだろうし、できなかったことをやるよ。 記憶が戻ったら怒られるだろうけどな。 今度は後悔しねぇよ」


自分に言い聞かせるようにそう言いながら、缶ビールを握りしめていた。

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