第39話 感謝

屋上から1階に戻ると、あゆみの姿がなく「あれ? 篠崎は?」と聞いた。


するとケイスケが「体調不良です」と答え、「またか…」とだけ答えていた。


『あの親、どうしようもねぇなぁ…』


そんな風に思いながら自分のデスクにつくと、美香も隣に座り作業を始めていた。


作業を始めたは良いんだけど、時間が経つにつれ、美香はさっきのように顔だけを前のめりにし、怯えた表情をしながら眼だけを忙しなく動かし始める。


立ち上がったユウゴが、資料を取りに行こうとした時、美香の座っていた椅子のキャスターに躓き「悪ぃ」とだけ言っていた。


美香は何も気にしていないように、姿勢を正し、普通の表情に戻りつつも、作業を続けるばかり。


しばらくすると、また前のめりになり、怯えた表情に変わってきたから、つま先でキャスターを蹴ると、美香はまた姿勢を正し、普通の表情に戻って作業を続けていた。


何度もキャスターを蹴りながら、美香の姿勢を戻していると、あっという間に定時を迎える。


美香のおかげで作業は捗り、あれだけ大量にあったファイルも、粗方片付いていた。



ユウゴは時計を見た後、「んああああ」と声をあげながら大きく伸びをし、ヘッドフォンを外すと、美香に話しかけていた。


「美香ちゃん、もう終わる?」


「もう少しです」


美香はパソコンから視線を外さないまま、返事だけをし、ユウゴと二人で美香が作業をするモニターをじっと見ていた。


美香がエンコードを開始し、ふーっと大きく息を吐くと、ユウゴは美香の座っていた椅子の背もたれに手を伸ばし、美香の椅子を回転させ、自分と向き合うようにしていた。


ユウゴは感激したように「美香ちゃん! 飛び入り参加ありがとう!! 今日は泊りになるって思ってたから助かったよ!!」と言いながら、右手を差し出す。


美香は困った表情をしながら「…いえ」とだけ言っていたんだけど、ユウゴは強引に美香の右手を引っ張り、強引に握手をしていた。


『んのやろ…』


そう思いながら資料を整理していると、美香は手を引っ込めてすぐ「このまますいません…」と言いながら立ち上がった。


が、ユウゴは突然立ち上がり、「いやぁ本当に助かったよ!」と言いながら、両腕を目いっぱい広げ、近づこうとする。


慌てて立ち上がった後、美香の横を通り過ぎ、ガラ空きになっているユウゴのボディに、軽く拳を突き刺した。


ユウゴは「ぐふ」と言いながら腹を抱え、「セクハラだぞ。 副社長」と言うと、ユウゴは顔を歪めたまま「パワハラだぞ。 社長」と答える。


「強制握手もセクハラだぞ?」


「頭ポンポンだってセクハラだろ?」


「どさくさに紛れて抱き着こうとしてじゃねぇよ」


「お前だって上に連れ出してたじゃねぇかよ」


「息抜きくらいしたっていい…」と言いかけると、美香は荷物を持ち、さりげなく帰ろうとし始めていた。


「あ、待って。 送るよ」と言うと、ケイスケが「ありがとう!」と声を上げ、浩平に至っては「いつもの居酒屋まで!」と言い始める始末。


「お前らは勝手に帰れ」って言ったんだけど、ケイスケは面白がっているのか、全く引こうとせず、結局なぜかついてきたユウゴと5人で、車に乗り込んだ。

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