第38話 休憩
美香を屋上に案内し、ドアを開けて美香を外に誘導すると、美香は黙ったまま外に出て、大きく息を吸い込んでいた。
『ちょっと待ってて』と声をかけようと思ったけど、美香は景色を楽しむように遠くを眺めていたから、声をかけないまま、急いで2階に行き、ペットボトルの水を2本持って急いで階段を駆け上がった。
ドアを開けると、過去に遠くから見ていた美香の後ろ姿が、ダブって見えてくる。
黙ったままベンチに座り、昔よりも細くなってしまった後ろ姿を見ていると、美香は大きく深呼吸をしていた。
「こっち座りなよ」
そう声をかけ、ベンチの空いている場所を軽く手で叩くと、美香は俯きながらこちらへ歩み寄り、黙ったまま隣に座る。
「はい」と言いながら水を目の前に置くと、美香は申し訳なさそうに「あ、ありがとう…ございます…」と、消え去りそうなほど小さな声で言っていた。
『美香の声だ…』
そう思うと、自然と笑いがこみあげてしまう。
笑いをごまかすように、足を放り投げ、大きく伸びをした後、ベンチの背もたれに手を乗せると、美香の髪が風に揺れ、手に触れる。
わからないように、ずっと触れたかった髪に触れると、『怒られるんじゃないか?』という不安と緊張感に襲われた。
けど、美香は気が付かないのか、怒ることも、拒否することもなく、緑豊かな外の景色を眺めているだけだった。
しばらくの沈黙の後、抱いていた疑問を美香に聞いてみた。
「…前の会社でもあんな感じだった?」
「…はい」
「そりゃ体壊すわ」と言いながら軽く笑い、水を一口飲むと、美香が小さな声で切り出してくる。
「…どこまで聞いてるんですか?」
「ん? 血吐いて倒れて失業したって。 違う?」
「大体合ってます…」
「なんとなくわかるよ。 あの表情は異常だし、あんな顔で仕事をさせる上司がおかしい。 てか、退院した後って、こっちから通勤してたのか?」
「いえ… 今も向こうで一人暮らししてます」
「向こうって?」
「S区です。 隣県の…」
あまりにも遠い場所の地名を聞き、思わず大声をあげてしまった。
「ええ!? マジで!? ここまでかなり時間かかったろ? てっきり実家に戻ってると思ってたわ。 ホントごめん!」
「いえ…」
『S区ってことは、ここまで片道2時間半くらいかかるだろ? 毎日通勤ってきつくないか? 体調がいいならまだしも、体調悪いのに毎日2時間半は無理だろ… 今だって倒れそうになってるのに、どうすっかなぁ…』
しばらく黙って考えていると、美香が「…そろそろ戻ります」と小さな声で言ってきた。
「なぁ、ここ住むか?」
「は?」
「ここ、元々じいちゃんちで、今は2階が俺んちなんだけど、部屋余って…」
「結構です」
言葉を遮られてしまい「ですよねぇ…」と言いながら、笑ってごまかすことしかできなかった。
美香は迷いながらも「あ、あの… 必要でしたら、近く引越しま…」と言いかけ、今度は俺が「必要です。 早急に必要です」と言葉を遮る。
「引っ越し代は出すから、早急に引っ越してフルタイム出勤してください」と、はっきりと言い切り、美香の顔を見つめていた。
美香は迷うようにうつむいた後、「…前向きに検討します」と答えていた。
「前向きじゃなくて…」と言いかけた時、携帯が鳴り、【ユウゴ】の名前が表示される。
「ちょいごめん」と言った後、電話に出ると、ユウゴは「急ぎの案件できたから、早急にチェック頼むわぁ」とだけ言い、電話を切っていた。
美香に「休憩終了です」と言い、大きなため息をつくと、美香は「わかりました」とだけ言い、1階に向かっていた。
『電話ではあんなに笑ってたのに、今日は全然笑ってないな…』
そう思うと、どんどん寂しさが膨れ上がってしまい、ため息ばかりが零れ落ちた。
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