02.初日の不運と幸運

「いいえ、結構です」

水奈は目を横に反らしながら応える。


「いや、そういうことじゃないんだよ? そんな冴えない男と遊ぶよりも俺たちと遊ぶほうが有益だってことを言いたいんだ。なんなら、一年生じゃ入れないような研究所に連れてってあげても良いんだよ?」

 水奈の拒絶に怯むことなく、しつこく誘ってくる男とその後ろでケラケラと笑う取り巻き三人の男たちによって、せっかくのハンバーガーは不味くなり、皿へと戻す水奈のその手のひらは震えている。決して怖いからなどではない。


 そこへ水奈と男たちの間にレオが割って入る。

「すみません先輩がた。俺たち今日来たばかりで明日入学式なんですよ。だからこの後はまっすぐ帰って早めに休ませてもらいたいので」

すみませんねーと頭を下げるレオ。


 しかし、

「お前一人で休んでていいよ? お前みたいなヘラヘラしたやつがなぜ合格したのか信じられないくらい、ここは世界最高の大学だ。初日こそ楽しむべきなんだよ。分かるか? そんな明日のことなんて心配する奴がここでやっていけるわけないんだよ?」


 水奈が椅子を鳴らし立ち上がる。だが、レオに肩を押されてすごい力で椅子に戻されてしまう。

「あのー、先輩。勘違いしてません? こいつね、男なんですよ」

 レオの真面目な物言いに、思わず男たちは笑ってしまう。

「さすが新一年生! 下手くそ」

「もう少しマシな嘘つけよー」

「そいつが男ならここのモンスターバーガー50個食ってやるわ!」

 取り巻きたちが嬉しそうに盛り上がる。


 レオは頭を抱え俯いてしまう。

「はあー」

 その態度が頭にきたのか、リーダー格の男がレオを突き飛ばした。

「なめてんの? なめてんだよね?」

 レオは何も言わない。ただ、男を睨みつけ、そして。


 ガシャンと激しく音が鳴る。レオは蹴っ飛ばされ、食べかけのハンバーガーが乗るテーブルにぶつかり、その身はケチャップだらけになってしまった。


「レオ!」

 水奈は彼に駆け寄り、そして四人をにらみつける。

 周囲には学生しかおらず、しかも見慣れた光景なのか呆れた顔をして傍観している。


 何が世界最高の大学だ。

 何が優秀な生徒たちだ。

 何が考古学者だ。

 これじゃ、変わらないじゃないか。


 水奈は、自分の力量も忘れ、犠牲を覚悟して再び立ち上がり、そして戦う覚悟を決め、拳を握ったその時だった。


「今日来たばかりの後輩に対して、ずいぶんな態度じゃないか」


 優しい声がして、その方向へ目を向けると、爽やかな印象の好青年が立っていた。安心感を与えるその物腰は水奈の怒りを抑えるには十分だったし、感情は既に驚きへと変化している。


「……ジョセフ。……おまえかよ」

 リーダー格の男は見るからに慌て始め、先ほどまでの愉快さを消し、突然の乱入者に怯む様子を見せる。

「二年生になって早速の先輩づらか、クリフ。新入生くんたちの初日のワクワクとここの美味しい食事が台無しだ」

 ジョセフはレオの手を取り助け起こすと、床に落ちてしまったハンバーガーを拾い始めた。

「これ以上やるなら、僕が相手になるけど、どうだい?」

 最後に倒れたテーブルを元に戻し、相手に最終確認を行う。

 柔らかな雰囲気を以てして場の空気を変えてゆく。


「やらないよ? やらないさ」

 やるわけないよなーと後ろの三人を促しながら、後ずさりをするクリフと呼ばれたリーダー格の男。

 お前とやり合いたいやつなんているかよ、と捨て台詞を吐き、四人は足早にこの店を去った。


 ジョセフはレオに歩み寄る。

「大丈夫? あいつらみたいに絡んでくる連中はここでは珍しいんだ。だから、みんながああだとは思わないでくれよ」

「それじゃあ、運が良かったってことですね」

 レオが見せた笑顔が意外だったものだからジョセフは呆気に取られるも、それを笑顔で返す。

「そのとおり。そして、僕もここに居たから、良いことは二回だ!」

 僕は、ジョセフ・ゴールド、ここの二年生だよ、とレオと自己紹介をし合う。


 そして今度は、水奈と握手を交わす。

「お久しぶりです! ジョセフさん」

 水奈は両手で力強い彼の手を握る。

「久しぶり。まさか君も考古学者を目指していたとは。いやー嬉しいなー」

「えっ、水奈、先輩と知り合いなのか!?」

「うん、フランスに行った時に偶然お会いして」

「寿美香くんは元気?」

「ええ、日本で元気にやっているみたいです」

「そうかそうか、それは良かった! ところでさ……」

 ジョセフさんは水奈の耳もとでささやく。

「例のブドウは見つけたのかい?」

 水奈はそれに対し、首をこくんと縦に振る。

「ははっ、そうか。また、詳しく聞かせてくれよ」

 ジョセフは、水奈にだけウインクをしてみせた。


「さて、明日は入学式だ。美味しいものを食べて今日は早めに寝ることだ。僕が注文をしておくから、君たちはここで座って待っててよ。食べ直しだ。じゃあ、また!」

 そう言うと、ジョセフはカウンターへと向かい、二人分の注文を済ませ、二階席へと戻っていった。どうやら彼も友達とここへ来ていたらしかった。


「かっこよかったよな」

「うん、そうだね」

 二人はほっこりしてハンバーガーを待つことにした。

 レオは見てくれよこれと言って、自分の洋服を指差す。ケチャップがところどこに染み付いてしまっていて、まるで抽象画が描かれているようだった。それでも水奈はあえて笑っておかしがり、レオもそれで満足だった。


 仕切り直したハンバーガーは更に美味しく感じられ、二人は先ほどの出来事を忘れてしまうくらい楽しんでいた。レオから故郷の話もとい自慢話を一通り聞き終わると、そろそろ帰らなくちゃとお会計をすることにした。

「ああ、それならジョセフが自分たちの会計と一緒に君たちの会計も済ましているよ」

 と、店員に言われ、二人はまたもやほっこりさせられてしまった。

「二回じゃなくて三回だったわ」

 やられたよと言ってレオは、はにかむ。


 お店を出た二人は、レオの提案で近くにある温泉に行くことに。日本以外にも温泉ってあるんだなとちょっと嬉しくなり歩いていると、スパと書かれた文字の横長の白い建物を発見。

 既に十時を過ぎていたが、中はけっこう賑わっている。入館料を払い、そして今度は水着を買うことになった。アメリカの温泉は、水着を着て男女が一緒に入るらしく、水奈にとってカルチャーショックを受けたものの、それでも楽しみではあった。初日の疲れを癒せると言うものである。

 早速、脱衣所で水着に着替える。

「ほんとに、男だったんだな……」

 レオがぼそりとつぶやくその顔は、なんだか残念そうに見える。

 水奈はそのリアクションに引きながら、彼を置いて先に大浴場へ向かう。


 脱衣所を出るとそこには、巨大なプールが広がっていた。プールサイドには、たくさんのビーチチェアが並べられ、入浴した人が思い思いに火照った体を冷ましている。ミルキーで青みがかっている温泉からは大量の湯気。立ったまま入浴するようで、知り合い同士が会話をしながら湯に浸かっている。こんなにも広くて開放的な露天風呂に入ったことがない水奈は、早く入りたくて仕方が無くなってきた。けれど、レオを待たなくてはと一旦、入口付近に戻ることにした。


 嘘だよねと水奈は思う。

 クリフたちが海パン姿でこちらにやって来たのだ。


「あっ!?」

 四人が一斉に叫ぶ。そして、なぜだろう。その後に続く言葉がなかなか出てこない。瞬時に目線を外した水奈は、恐る恐る四人の顔を見てみると、全員があっけに取られたような顔をしていた。


「……まじで男だった」

 ようやく捻り出したのはクリフのぽつりとしたもの。

 どうやら半裸となっている水奈の水着姿に、あまりにも衝撃を受けてしまったらしい。


 えっ、そっち?


「あははー」

でわでわ〜と、水奈は目前に迫っていた温泉に踵を返すと、四人を残し、そそくさとその場を立ち去る。


 慌てて脱衣所へと戻ってきた水奈は、レオと鉢合わせ。彼に事情を説明すると、仕方ない諦めようということになり、レオは残念そうに着替え始め、水奈といえば彼以上に落ち込んでいた。

 入場料は、水ならぬ温泉の泡となり消えた。


 二人は結局、寮の自室にあるお風呂に交代で入り、ようやく落ち着けたのだった。


「あいつら、おぼえてろよ。ハンバーガーと温泉の恨みはいつか晴らす」

 レオはベッドの上で寝転がりながら大学のマップを喜々として見ていた。これでも怒っているらしい。

「広い温泉に入りたかったな」

「明日は入学式だけだ。入れるさ」

「そうだね。楽しみは残しておくよ」


 そう、明日は入学式。


 水奈はベッドに入りながら、温泉に浸かっているのを想像して眠りへとついた。

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