12.市長と冷めた紅茶

「やっと、見つけた」


 寿美香は息も切れ切れにその場でしゃがみ込んだ。が、すぐに立ち上がり水奈たちの方へずんずん歩いてくる。


「どうしてここが……」

「市役所の周りを一周して、そして外から水奈が最上階にいるの見えたから駆け上がってきたの」


 これで二人揃って侵入がばれてしまった。しかも現在地は最上階。最も悪い状況の中でも、水奈は嬉しがっていた。それだけ寿美香の助けは非常に心強く思うのだ。

「ありが」

「あんたってやつは!」

 寿美香は男性を素通りし、お礼を言おうとした水奈のえり首を掴み上げ、問いただす。

「さっきのは作戦よね? あたし完全に囮だったわよね?」

「うん、はい」

「なんであらかじめ言わないの?」

「作戦言ったら賛同してくれないと思って」

「あたしが囮役でもきっと文句は言わなかった。足にも自信あるしあたしが適役じゃない。断る理由がない」

「あのー、どっちかって言うと作戦の内容の方に問題が」

「なに?」


 えり首を掴む力がさらに強まり、水奈の足が地面から離れそうになる。

 水奈は首が締まる苦しさの中で、浮いちゃう浮いちゃう、と一人実況する。


「話すから手を、手を離してください」

 懇願の声を聞いた寿美香は手を離し、さあ言いなさいと水奈を促す。水奈もその態度にしぶしぶと従い、寿美香の耳元へ口を運ぶ。

「あのね、憲兵隊には」


「…………」


 水奈の作戦内容を聞いた寿美香は、下を向いて押し黙ったままだ。もしや怒ってるのでは、と水奈が顔を下から覗いた。


 またもや水奈の足が再び地面から浮きそうになる。

 やっぱり怒らせてしまったようだ。


「だから、だからあいつらあんなにしつこく追いかけてきたんだ。おかげで市役所の周りを一周しちゃったんだから! 疲れたんだから! 何よりあいつらの目が血走っててちょっと怖かったんだから! 水奈の馬鹿!」


寿美香は、不満を爆発させながら水奈の頭を上下に振り動かす。まともに息もできない。

「なんて作戦を思いついてんのよ、あんたは! 変態! 馬鹿! 変態!」

「ごめんね、ごめんね、でも舌噛んじゃう」


 水奈の苦しそうな顔を見て怒りが少しだけ和らいだ寿美香は、手を離し水奈を解放してやった。

「はあ、はあ、はあ。それよりも、後ろ」

呼吸が落ち着かない水奈だったが、寿美香に早く気づいてほしいので必死に彼女の後方を指さした。

 寿美香は言われるがまま後ろを振り返る。男性と目が合った。

「誰よ!」


 遅かった。


 水奈たちのやり取りを今まで黙って観察していた男性は、完全に置いてきぼりをくらっていた。ただ、二人をどうこうしようという気は無いらしく、困った表情で今まで突っ立っていただけだった。


 寿美香が来てくれたことで少し冷静になれた水奈は、男性のことを改めて認識しようと努める。


 髪型はオールバック。服装はいたって普通のチョイスだ。だからこそだろう、黒いバンドの腕時計に目がいってしまう。白い大きめの文字盤の中には金色の歯車が回っており、休むことなくこれまた金色の針が時を刻み続けている。文字盤の両端には小さなダイヤがさり気なく埋め込まれているのだが、その輝きは十分に強く、嫌でも目立っていた。素人目で見てもそれが高価なものであることは容易に見当がつく代物だった。

 また、背筋をピンと伸ばしながら立っている男性の姿は、どこか気品さえ漂わせるものがあった。


 見れば見るほど、この男性が市長に思えてきて仕方がない水奈。とりあえずここは寿美香に相談してみることにした。

「この人、もしかしたら市長かもしれないよ」

「うるっさい」


 どうやらまだ怒っているらしい。

 なんとかそれを手早くなだめた後、水奈は男性と会話してもらうよう寿美香に頼み込み、彼女もそれを承諾した。


 男性と二言三言話すと寿美香が勢い良く振り返った。


「ビンゴよ!」

 寿美香の表情が一気に明るくなった。寿美香の笑った顔を数日ぶりに見たような気がしてほっとした水奈は、彼女の横に並ぶ。

「予想が当たってよかったー」

「水奈やるわね!」


 寿美香は水奈の背中を叩き称え、市長との会話を続けた。


 太陽はすでに見えなくなっており、地平線に赤い色だけを残し沈んでいく。ガラスには三人の姿が映り始めた。


「だめだ」


 突然、寿美香は顔を横に降りながらそう言った。市長の表情もなんだかぱっとしない。決まりの悪い顔をしていた。

「どうしたの?」

「ブドウのことはどうしても話せないって言ってる。それと、早くこの町から出たほうがいいって心配してくれてる。なんなら車で近くの都市まで送るとまで。あの女とはえらい違いね」

「あはは」

「どうする?」

 市長が思った以上に良い人で寿美香も手が出せない。彼がブドウのことを知っているうえで隠していることは明白だ。ならば、ここは水奈の出番だった。


 引っ込み思案で、目立つ存在でもなく、臆病な水奈が、なぜアメリカの難関大学に推薦で合格できたのか。それは、水奈にはある能力が備わっているからだった。それもとびっきり特別なもの。


 そう。それは、人の心を読むことができる力。


 水奈は今から始める行為に集中するため一旦目を閉じる。それは余計な情報をシャットアウトするためでもある。続いて、自分の後頭部のやや上に意識を集中させる。そこにどんどん光が集まっていき、光の玉が出来上がるイメージ。その光を市長の頭の中へと移動させる感覚。いつもやっている動作となんら変わりはない。それら一連の動作はわずか十五秒ほどの間で行われた。


「あれ!」


 驚きの声は水奈の口から発せられたものだ。

「どうしたの? 突然黙っちゃったり、驚いたりして」

 寿美香は水奈の行動を不思議がるが、水奈はそれには応じず口を閉ざしている。


 こんなこと初めて。大学での面接以来使ってなかったから久しぶりだったけれど。さっきポーカーの時もおじさんたち相手には成功したのに。今まで失敗したことなんて無かったのに。なぜ? 身体が疲れてるから? ……それとも。

 水奈は市長の様子をちらりと見るが、特に反応は無い。


 その時、またもや階段の方から騒がしい音がした。今度は複数の足音だ。

 先ほど撒いた憲兵隊五人がやっとここまで追いついたのだった。全員が屋内にやって来てしまったら外の警備が手薄になってしまう。しかし、彼らは市役所内への侵入を二人も許してしまったのでそんな大事なことにまで気が回っていない。彼らの上司である幹部にこの後こっぴどく怒られるであろうこと、そして二人を捕まえ連行することでその怒りを少しでも静めること、この二点しか頭にはなかった。


 そんな慌ただしい彼らが二人を捕らえようと飛びかかるのを制してくれたのは、他でもない市長だった。彼らをなだめ、説得している。


 寿美香はすでに彼に対して多少なりとも信頼を感じているので会話に交ざることはなく、水奈と同じく大人しくしていた。


 話し合いはすぐに終わった。憲兵隊が水奈と寿美香のことを悔しそうな目で見つめてきた。二人を捕まえられなかった以外にも彼らには悔しい出来事が実はあって、それを知らないのはこの場で市長だけだった。二人は気まずくなり、目を逸らす。憲兵隊は淋しそうに丸まった背中を三人に見せながら、持ち場へと戻って行った。


 水奈は困惑していた。ブドウの在りかを知るための唯一の方法がなぜか今回は通用しない。これ以上打つ手がなくなってしまった。


「任せてなんて言ってごめん。市長から情報を引き出すことは無理そう」

 困惑しているのは寿美香も同じだ。今回の作戦は最初からすべて水奈に任せていたので、その本人から諦めの言葉が出てきたらどうしようもない。


「ここまで来れたのは水奈の頑張りでしょ? 方法はどうあれ、ね。あたしだけじゃ市長に会うどころか最上階までたどり着けたかどうか怪しいし。流れに身を任せる大人しい子なのかなーって思ってたから、あたしは見直したんだよ」

「寿美香」

 きつい言葉の中に優しさが見え隠れするその励まし方は、実に彼女らしかった。

「ここから出ましょう。もちろん諦めてなんかいないんだから!」


 市長にお礼を言い、そして一礼する寿美香。それに習い、慌てて水奈も一礼した。寿美香は水奈の手を取り歩き出す。

「ティーポットの中身、きっと冷めちゃってるよ。悪いことしたね」

なんてことをこそっと言った。


 二人は無言で階段を降りていく。行きと同じで帰りも階段を選んだ。来た道を戻る、それはまるで振り出しに戻るかのように。


 受付側から外に出る。受付には誰もいなかった。相変わらず憲兵隊が入り口を塞いでいたが、すんなりと通してくれた。きっと市長が話を通しておいたに違いない。先ほどの憲兵隊五人は幸いにも見当たらなかった。ただ、少し遠くの方で怒鳴り声が聞こえたのが少しだけ気になる二人だった。


 外はすでに真っ暗で街灯が灯っていた。人通りは少ない。

 暗いのでお互いの顔色はよく分からないが、二人とも疲弊の色は隠せない。


「今日はここまでかなー。あたしが泊まってるホテルに行こうか?」

「うんうん、ぜひぜひ」

 水奈の体力と精神力は限界に来ており、寿美香の提案には大賛成だった。

「明日は朝からまた調査開始ね。よろしく!」

「え~、そんな、朝弱いのに。…………。寿美香はさ、何でそこまで頑張れるの?」

 そんなこと当たり前じゃない、と言いたげな表情で

「あたしのやりたいことを一生懸命やってるだけよ」

と一言。寿美香は笑っていた。


 水奈は返す言葉が見つからない。だからぎこちない笑顔で返すしかなかった。


 夜の町を二人は歩き始めた。

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