「デバッガーあれ」と神は言い〜ぽんこつ女神とバグまみれの異世界創世記〜
ぼんやりとしたななし
1.「デバッガーあれ」と神は言い 一日目
はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、闇が淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は闇を見て「何あれ?」と言われた。すると何があった。神はその何を見て、「いや、何この……何?????」と首を傾げられた。
神はなんかもう色々よく分からなくなって、外注で済ませる事にした。一日目の事である。
「……と、そういう訳なのです」
創世記に曰く、神は七日かけて世界を創造したという。
七日目は安息日であるからして厳密な作業時間は六日だろうとか、ロクに仕様も固めずに見切り発車で作ったから後々になって洪水で綺麗さっぱりロールバックする必要が出てきたのだとか、そういう御託は置いておくとして──概ねそのようになっている。
では、もし神が見切り発車の突貫工事で世界を創る事すら覚束ないようなぽんこつだったら。
もし一日目で開発業務がポシャったら。一体どういうことになるのか。
「いや……なのです、じゃあないんだよ。それが俺と一体なんの関わりがあるってんだ?」
その答えをまざまざと見せつけられて、青年は深い溜息を吐いた。もし顔があれば盛大なしかめっ面を浮かべていただろう。
しかし、この世界にはどうやら、神と、形さえ定かならぬ天と地と、まだ光が存在しないため、闇という定義すら与えられぬままの暗闇と、
あまりにも名状しがたき混沌の物体であるところの『何』以外のものは何一つとして存在しない。
『何』が存在しているのに『何一つとして存在しない』という言葉を用いるのは些か妙かもしれないが、
ともかく現にこの世界には青年の肉体は存在しておらず、ただ意識だけがふわふわと漂い、その場を俯瞰しているのだった。
「あなたが外注の人です。何やらそういうお仕事をなさっているようだったので、眠っている隙を見計らって、いい感じにちょちょいっと意識だけお呼びしました」
などと宣う神の姿は、不思議とこの全き暗闇の中にあっても浮き上がって見え、その輪郭はうっすらと光輝いている。
神は美少女だった。滑らかな白い肌といい、金糸を編んだような髪といい、南国の海のような碧眼といい、均整の取れた身体つきといい、目鼻立ちといい──何もかもが完璧な。
言語を絶するその美貌に、青年はほんの一瞬『なるほど、彼女がそう言うのならばそれは正しい事なのだろう』と思いかけた。
咄嗟に、ない首を左右にぶんぶん振って思考を断ち切る。顔の良さで誤魔化されてはならない。
「はあ……はあ!?いやいや、待って。待ってくれ。確かに俺はそういうモンの開発に関わってると言えなくもないけど……デバッガーだぞ?」
「はい?」
「俺、バグ取るのがお仕事。システム開発、もっと上の人がやる。オーケー?」
俺の身体は今どうなっているのか。というかやってる事が明らかに創世記のそれなんだから、そこは女神じゃなくて全知にして全能の父なる神ではないのか……等といった疑問は一旦置いておいて。
青年は、今押し付けられかかっている業務は己の担当外のものだと全力でアピールし、あわよくばこの問題を他所に丸投げできないかと試みた。
責任逃れである。彼の鋭い嗅覚が、この案件から漂うとてつもなく濃厚な地雷臭を検知したことに端を発する反応だった。
これは言わば、現代日本における社会人の哀しき習性──骨身に染み付いた『余計な面倒を抱え込みたくない』という事なかれ主義の産物であり、半ば条件反射に等しい。
「でも、何もしてないのにこんな事になったんです。これってバグなのでは?あなたの日頃担当する業務に近しい部分が……」
彼の内心を見透かしてか、神はストレス社会に生きる人の子を憐れむように柳眉を顰めつつ二の句を継ぐ。それにしても顔がいい。
対する青年はその言葉が何かのトラウマに触れてしまったのか、食い気味に
「『何もしてないのに壊れた』!?そんなワケねえだろ!不具合ってのは何かしたから起きるんだよ、ハードの劣化が原因でもなけりゃあな……!」
──と、デバッグとはあまり関係のない方面への怒りを露わにして吼えた。
『お客様は神様です』などと俗に言うが、今の彼にとっての現状は正しくそれだ。比喩でなく、神様がお客様なのである。
眼前の相手の言を信じるのであれば、相手はいとも容易くこちらの生命を奪いうる存在。
もし一度機嫌を損ねてしまえば、待つのは惨たらしい死だけかもしれない。それを思えば青年のこの反応は、真実、神をも恐れぬ所業と言える。
当然、神はその不敬な物言いに怒り狂って天罰を下す──かと思いきや、ぱちくりと目を瞬かせるだけだった。
いったい何がそんなに気に障ったのか。すこぶる整った顔面にきょとんとした表情を浮かべて、首を傾げながら青年の思考に触れてくる。
彼女が身じろぎすると、その身に纏うゆったりとした白い衣の裾が、ふわりと風を孕んで揺れた。
「……うわぁ。……あの、その。なんというか、ごめんなさい」
神は若干ヒいているように見えた。その突発的な怒りの影に、数多の労苦と突発的なトラブル対応。
そして図々しくも己を神と僭称して憚らない、理不尽なクレーマー達の存在を見て取ったのだ。
げに恐ろしきは情報過多にしてストレス過多なる現代社会。
人の子を創った暁には生めよ増やせよ地に満ちよと命ずるつもりではあったが、
実際に人間が遍く世界を満たせるほどに文明が発展するとこういう事になるのだなあ……と、彼女は腕組みしつつ、内心複雑そうな様子だ。
「いや、いいんだ。こっちこそ、当たるみたいになって申し訳ない」
「いえいえ、こちらこそお休みのところを突然お呼びだてして……」
「それで、結局どうするんだ?今のところ、仕様も開発環境も、何もかもが闇の中……って感じだが」
謝罪合戦もそこそこに、青年は再び話を切り出した。
オフの時に厄介そうな案件を持ち込まれてつい気が立っていたというのもあるが、相手を怒鳴りつけてしまったのは明らかに自分の非だ。
そこのところを大目に見てもらった手前、こちらからもなにか一つ譲歩しなければ面目が立たないし、
もし断るにしても、話を聞いたからにはもう遅い──なんて事は無いか、という気分だったのだ。
青年は神に対して、傲岸不遜で横柄で、気まぐれに人を殺しては星座に変えたり、
何かにつけて祟ったり天罰を下したりするような理不尽なイメージを抱いていた。
しかし、目の前の彼女は見たところ話の分かりそうな手合いだ。少なくともぱっと見はそう思える。
物腰は柔らかく、声は透き通って張りがあり、慈愛と活力に満ち溢れていて、何よりも顔がいい。
一度は誤魔化されないと固く心に誓っておきながら、彼はあっという間に美少女にほだされつつあった。
「お話を聞いていただけるんですか!?そういう事なら……ええ、ええ!仕様は一旦置いておいて、開発環境と報酬は可能な限り最高のものをご用意します!」
「報酬かあ。無賃で働かされるんじゃないんだな。こう、神に奉仕する喜び……的な感じでふわっと流されるかと思ってた」
「ええ、勿論です。不可能はそうそうありませんから、どーんと大船に乗った気持ちでいて下さい!最高にホワイトな環境をご用意しますよ……何せわたし、神ですからね。どんな事でも、お任せあれ!です!」
よく分からないが、報酬もきちんと出るらしい。神が創りうる『可能な限り最高の環境と報酬』というからには期待しても良さそうだ。
角が立たないよう話だけ聞いてお断りする予定だったが、とんとん拍子に話は進み、固く閉ざされた心が少しずつ開いてゆく。
この話、前向きに検討してみても良いかもしれない──そう思い始めていた矢先だった。
──不意に、嫌な予感が脳裏をよぎる。
それはシステムに生じるバグや不具合、諸々のトラブルと付き合い続けてきた人間特有の勘。
一見すると非論理的に見えるかもしれないが、時に、そうした直感、第六感というものは馬鹿にならない効果を発揮するものだ。
この時も、そうだった。
「ん?……お任せあれ?ちょっと待て、何か……」
そうして、神は「お任せあれ」と言われた。するとお任せがあった。一日目の事である。
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