第266話
蓋を開けてトレイを取り出し、予備のトレイに食器を並べて中に入れて蓋をする。あとは食洗器のスタートボタンを押すだけ。
いまは新品の食器だが、実際に料理で使った皿を二十枚、三十枚入れても三分あれば終わる。家庭用とは大きな違いだ。
摂氏八〇度のお湯で洗浄するので、出てきた皿はとても熱い。それを手に持った布巾の上で重ね、次々に拭いては入れ替えていく。
皿を拭き取る作業をしながらした話は、食材の仕入れについて。
これまで東京のホテルにいたのでこちらでは業者の知り合いが少ない。いや、系列のホテルに訊けば済むことなのだが、紹介される食品卸の規模が違いすぎて恐れ多い。
そこで、開店するまでの間に裏田君から業者に連絡をしてもらっていた。
まずは肉。実は牛や豚と鶏肉では流通経路が異なる。
牛は一頭ずつ売られる値段が違うため、豚は一つの生産者から出荷される数が少ないため、市場でセリをしてから屠殺場へ送られ、卸を経由して小売店へと流れる。
一方、鶏は大量飼育されているので、生産者から加工処理場を経由して直接小売店へと流れる。
この違いがあるので、関西では精肉店では牛と豚しか扱わない店があり、鶏肉専門の「かしわ屋」と呼ばれる店がある。日本古来の鶏の品種――
他に、裏田君から近江牛を扱う卸売店と、数種類の地鶏も取り扱う小売店に連絡を取ってくれているそうだ。
「魚はそこの商店街の中にある業務専門の魚屋で毎朝仕入れたらええと思います」
「先日、そこで魚を少し買ったから挨拶は済んでるよ」
「ほな、問題ありませんわ。野菜は京野菜も扱う卸業者、調味料とか扱う業者さんも声かけてます」
「悪いね、頼りっぱなしで」
「いえいえ、僕もええ勉強になりますから」
ただ連絡を取るだけじゃなく、開店日前日に行うレセプションへの招待もお願いしている。人脈のある裏田君がいて本当に助かる。
元々、店の仕入れは全部彼にお願いしようと思っていた。とはいえ、いきなり全部というのは厳しいだろう。
「厨房側の仕入れは裏田君に任せようと思っているんだが、いいかな?」
「え、いきなりですか?」
裏田君は手を止め、大きく目を瞠って俺の方へと向き直った。
本来なら面接の際の条件として話しておくべきことなんだろうが――色々と都合があってできなかったのだ。
「
「ま、まあ……前の店でもやってたことですし、別にかましまへんけど……」
「俺には店の会計、労務管理、給与計算とかの事務仕事があるからさ。税理士さんや社労士さんに頼むところもあるにしても、それ以外も全部ってなると流石に無理があるんだよ」
「なるほど、わかりました」
最初こそ驚いた顔をした裏田君だが、俺には違う業務があることを聞いて納得してくれた。
「ただ、責任者として最低限、業者との顔合わせはするから調整はよろしく頼むよ」
「ええ、大丈夫です」
「悪いね、本当はもう一人雇うつもりだったんだけど、二人になって想定していた役割分担が狂ってしまったからなあ……」
最初は調理、製菓、フロアをそれぞれ任せられるように三人雇うつもりでいたんだが、田中君がソムリエ資格も持っていたのでフロアも任せることにしたという経緯がある。
人数的にはテーブルとカウンターを合わせて四十席程度なので、厨房は俺も入れて三人は欲しい。だから普段は田中君にも厨房に入ってもらうことになる。フロア側は主にパートとアルバイトに任せる感じだな。
開店後の客の入りにも左右されるが、厨房にはあと一人必要かも知れない。
それもスイーツ系の人気次第だな。
「次で最後ですわ」
「思ったより早いな」
「そうですねえ」
時計を見ると皿洗いだけで一時間半ほど掛かっている。ただ、拭き取りが全然追いついていない。まだ三十分は掛かるだろう。
それが終わったら昼食ってことになるが、よく考えるとほとんどの食材はミミルの空間収納の中にある。あと一枚分のピザ生地、二人分のパスタ生地、残り少ないトマトソース。地上で買っておいた野菜や魚介類だ。
「昼飯、どうしようか」
「そうですねえ、冷蔵庫は……」
裏田君が冷蔵庫の扉を開く。
もちろん、ホルンラビ――ツノウサギの肉は残っていないし、見られて困るようなものも入っていない。
「何もあらへんなあ……」
裏田君が小さくつぶやく声が聞こえる。
薄切りベーコンはもうないし、卵が少しあるくらいだろう。あと、小麦粉の類だな。
「まだ何も発注してないからね。とりあえず、なんか買ってくるか……」
「ほな、僕が何か買うて来ますわ」
慣れた手付きでサロンを
完璧に体育会系のノリだよなあ……。
俺から一万円札を受け取り、裏田君は弾むように店を飛び出していった。
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