第257話

 頭を抱えていると、風呂を上がってきたミミルが事務所に入ってきた。

 さっきと違って、二階に上がってきてから魔力探知を使ったのだと思う。

 俺の音波探知は全方向に対して有効だが、魔力を水平に薄く伸ばしていく魔力探知では階が異なると使えなくなるので仕様がない。


「ふろ、でた」

「うん、少し収穫があったから後で説明するよ。俺も風呂に入ってきてもいいかな?」

「ん、いい」

「じゃあ、入ってくるかな……」


 事務所部屋のパソコンはつけたまま、自室に一旦戻る。当然、ミミルも一緒だ。


 玄関を開けて、居室へと入る。

 早速ミミルは飛び乗るようにソファへとダイブし、最も楽な姿勢で座れる場所をキープする。

 とはいえ、平仮名、片仮名のドリルを始めようとするならテーブルの前に移動するはずだ。戻ってきたときにはそこに座ることができると思う……。


 空間収納から何かを取り出しているミミルを横目にウォークインクローゼットに入り、替えの下着を取って部屋を出る。


 いまから風呂に入るのだから、俺としてはダンジョンに入るつもりはない。第二層攻略のためにダンジョン内で五日も過ごしたのだから、少し地上の生活を堪能したい。

 ミミルも風呂に入ったから同じような気持ち……だと思いたい。


 通り廊下を歩きながら考える。


「ミミルをどこの国の出身ってことにするかだよなあ……」


 見事に俺が住んでいたイタリアとスペインを外して、西欧の国々がゲルマン民族に関係していた。

 でもミミルはエルム――エルフであって、ルマン族ではない。便宜上、同じ言語を使っているに過ぎないから、西欧の国にこだわる必要はないのか……。


 脱衣場に入って溜まっていた洗濯物を入れる。

 洗濯機の中を見ると、ミミルの部屋着や靴下だけが入っていた。


 下着は手で洗って魔法で乾燥させたんだろう。

 年齢的に立派な大人だし、女性としての嗜みというやつだ。

 俺の下着と一緒に洗濯されるのが嫌というよりも、俺に下着を見られるのが嫌ということだな。気持ちはよくわかる。


 まあ、空を飛んでるときに丸見えなんだけれども……。


 賢者といわれるだけあってとてもミミルは賢いと思う。だが、どこか抜けてるところもある。

 まあ、それがあるから俺も付き合っていけるんだと思う。


 完璧主義者から何もかも完璧に熟すことを求められるのは辛い。互いにストレスが溜まっていつかはどちらかが爆発することになる。

 その点、ミミルは完璧主義者ではない――と思う。エルムは同じ職業を何百年も続けるのは苦痛だから転職を何度も繰り返すし、料理するにしても雑なものしか出ないという話だ。周囲がそういう状況だと、ミミルが自分自身に完璧を求めることがあっても、他人に求めるのは諦めていないとストレスで百年も生きられないだろう。


 脱いだ下着類を洗濯機に放り込み、洗剤を入れて蓋をしたら電源を入れて開始ボタンを押下する。

 このまま放っておけば、朝になったら全部乾いているはずだ。


 浴室に入って髪を洗い、身体を洗って浴槽に浸かる。

 久々に運転したせいか、この温かい湯がとても心地良い。


 マリアとの間の子が生まれていたら、見た目はミミルくらい。

 とはいえ、マリアとの間の子ということにするのは俺の心情的にちょっと無理だ。

 マリアとの関係を引きずっているわけではないが、生まれてこなかった命に対する冒涜のような気がして、後ろめたい。


 なかなかいいアイデアが思い浮かばず、湯船のお湯を両手で掬い、顔を乱暴に洗う。


 店のスタッフ達は俺の過去の恋愛経験など興味無いと思う。だが、ミミルが俺の子どもということにしようと思うとどうしても俺の過去の恋愛の話に到達してしまう。

 言い換えれば、誰も俺の過去の恋愛のことなど知らないんだから、適当にでっち上げてしまえば済むことだけれど……。


「そういう嘘は苦手なんだよなあ」


 いままでに女性相手に嘘を吐いてバレなかったことがない。そう言い切れる自信がある。特に、明後日以降になって出勤してくる田中君にパート、アルバイトの女子の目は間違いなく欺けない。

 それに、どんな理由にせよ、ミミル本人がその目的などを理解し、口裏を合わせてくれないとどうにもならない。


 ――ミミルに理由を説明して一緒に考えるかな。


 決めて立ち上がり、俺は最後に浴室を洗ってから風呂を出た。


 髪を乾かして服を着たらすぐに二階へと上る。ミミルは大人しく居室の方にいた。


「あがったぞ」

「……ん」


 やはりミミルは平仮名ドリルを開いて文字の練習だ。


 ――真面目だよなあ。


 エルムヘイムでは長命だけに一つの職業に固執せず、転職する者が多いということだったはず。他にも、毎日料理を作り続けるのに飽きるので味付けが雑になるとか……。

 だが、ミミルを見る限りはそんなことはないように感じる。


「ミミル、ちょっといいか?」

「――?」


 俺が声を掛けると、区切りの良さそうなところでミミルが手を止め、こちらへと視線を向ける。


「神社で聞いた声なんだが、やはり古い日本語のようなんだ。解読してみるから、もう一度教えてくれないか?」

「……ん、ミミル、てつだう」


 どうやらミミルは古い日本語にも興味があるようだ。

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