第235話
いつものようにミミルは小さな口で大きいパンに
フライパンで焼いたパンの表面は崩れるバリバリという音が聞こえ、すぐに咀嚼する音が店内に響く。
俺が「このハムとオリーブはパンに載せて食べるといいぞ」と言ったものだから、ハモン・セラーノをたっぷりと盛り上げている。よく溢さずに食べるものだと関心してしまう。
俺の方は、先にサラダに手をつけた。
ベビーリーフに含まれるルッコラのゴマのような香りや、ツナの香り、ひよこ豆の香りをマスタードドレッシングが包んで纏め上げている。
顎を動かし始めると、シャキシャキとした瑞々しさがある水菜の幼芽、サクッとしたロメインレタスの幼芽、ツナのホロリと崩れる感じに、ひよこ豆のホクリと崩れていく食感が加わって飽きることがない。
そして、苦味のあるルッコラの葉、円やかな旨味のあるケール、ツナの旨味に、大豆を濃くしたようなひよこ豆の味が噛むほどに広がっていく。
〈うんまい!〉
最初に齧ったひと口を漸く咀嚼し終えて飲み込んだのか、ミミルが声を上げる。
気に入ってもらえたのは嬉しいが、高級な生ハムをそれだけ重ねれば美味いに違いない。
残念なのは俺の分のハムがほとんど残っていないことだ。追加で買ってこなければ……。
〈野菜も食えよ〉
〈大きくなるためには必要なんだろう?〉
〈そのとおりだ〉
拗ねたような顔をするミミルだが、すぐに忘れたのか手に持ったパンにまた齧りついた。
俺も負けじとパン・コン・トマテ(Pan con tomate)へと手を伸ばし、まずは何もつけずに齧りつく。
バリバリッという軽いが硬さを感じさせる音がすると、ふわりとニンニクの香りが口の中に広がる。オリーブオイルのフルーティな香りとトマトの少し青臭い香りが追いかけるように広がり、塩味とトマト、ニンニクの旨味がジュッと舌の上に溢れ出てくる。
シンプルだけど、飽きのこない味だ。
〈そういえば、ダンジョンで話していた調理器具はどうするのだ?〉
〈あ、忘れてたよ〉
やはり低温調理器が欲しいと思ったのは第二層での二日目。いまから三日前のことだ。そのときは電気が必要なのでダンジョン内で使えないが、外に地上で調理すればいいという結論にしたんだったな。そして地上に戻ったらネット注文でもしようと思ったんだ。
〈ありがとうな〉
〈いや、それで美味い肉料理を作ってくれるのだろう?〉
〈まあ、そうだな〉
〈だったら、忘れられると困る。ちゃんと注文するんだぞ〉
お金を出すのも、作るのも俺なんだがな……。
コミュニケーションというのは七割が言葉以外の要素――身振り手振り、表情、姿勢、態度、語気、声音、抑揚、声の大きさ、前後の会話、その場の空気などによって成り立っている。
ミミルは筆頭王宮魔術師であり、賢者という稀有な職についたせいもあって態度や語気、抑揚などでどうしても偉そうに聞こえてしまう。
溜息をひとつ吐いて、スマホを操作する。
ネット通販サイトで先日デパートでみた機種と同じものを確認して、カートに入れて注文を済ませた。
明後日の午後の時間帯に到着するよう、時間帯指定しておいた。その時間なら店に誰かいるだろう。
ほんの数分で注文を済ませてテーブルを見ると、既にそこにハモン・セラーノが残っていない。
視線を上げてミミルへと向けると、二枚目のパン・コン・トマテに載せて齧りついているところだ。
〈お、俺のハムは……〉
〈ん?〉
絶望感を含んだ声音で俺が呟くと、俺の方へと目を向けたミミルと目が合った。
〝しょーへいの分があるなら、先に言えば残すに決まっているではないか〟
ダンジョン内の食事を地上で料理してからミミルの空間収納に入れるという話をした。そのとき、預けた食事をミミルが全部食べてしまうんじゃないかと心配していた俺に向かってミミルが言った言葉だ
ミミルは長く屋敷で使用人が一皿ずつ盛り付けて運んでくる料理を食べてきたのだから、それが身に染み付いている。だから、基本的にシェアして食べるという食べ方に慣れていない。
妹たちとダンジョンに入っても、一人一皿ずつ料理を盛り付けて食べていたのだろう。
こうなると、一つの皿にハモン・セラーノを盛り付けて出した自分を恨むしか無い。
逆に、ミミルが「これは自分の分だ」と認識するようにサラダを盛り付けて出したというのに、ハムはそうしなかった俺も悪い。
俺はガックリと肩を落とすと、席を立った。
確か、厨房には以前買ってきたパックに入ったベーコンが残っていたはずだ。
ただ、このままだとまずい。
冬場になれば鍋などで各自が取り分けて料理を食べる機会が増える。それまでに、日本の文化というものを教えておかないといけない。
別に畏まった席で誰かと会食するなどという機会はないと思うが、箸の使い方、日本料理の食べ方くらいは教えておく方が良さそうだ。
厨房の冷蔵庫を開くと、やはり朝食に使ったベーコンが残っていた。
それをサッとフライパンで炙り、皿に盛ってテーブル席へと戻った頃にはミミルは食事を終えていた。
【あとがき】
※ 第173話参照
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