第174話
第二層の太陽に該当する光源が空を茜色に染め、地平線の向こうへと徐々に沈んでいく。
その方向を西とするのが正しいのかはわからないが、便宜上はこちらを西と呼ぶのはどうなんだろう。
エルムヘイム共通言語では太陽が沈む方角は「西」と翻訳されているし、日本語で表すのに「西」と言ってはいけない理由はないだろう。
夕陽に照らされたテーブルの上、二つのコップに残った赤ワインを注ぐと一方をミミルへと差し出す。
〈これは?〉
〈チキュウのドルゥア酒だよ。料理に使って残ったから飲んでしまおうと言っただろ?〉
〈ふむ……〉
ミミルの目の前でコップに鼻を近づけて香りを嗅いでみせる。
ソムリエの勉強をしたわけじゃないから上手く表現できないが、熟したプラムやカシスのようなフルーティな香りが強いワインだ。
プラスティック製の色付きコップではジャンプやラルムを確認しづらいので諦めて、とにかく少量を口に含んで味を確認する。
料理用に開けたボトルなので時間が経っているのもあり、タンニンがまろやかになっているが、酸味や渋み、果実味などのバランスがいい。
〈飲む前に香りを嗅ぐのは儀式か何か?〉
〈繊細な酒だから、変な匂いがしないか最初に確認するんだよ〉
〈これは大丈夫なのか?〉
〈ああ、問題ないぞ〉
ミミルは
〈ドルゥア酒と言っていたが、具体的には何色の実だ?〉
〈赤黒いドルゥアの実を二種類使っているな〉
〈チキュウのドルゥア酒か……〉
はて、地球の葡萄は赤と白が基本だが、ドルゥアにはいろんな色があるんだろうか?
ミミルは両手で大事そうにコップを持ち、その中身を小さな口へと流し込む。
〈酒精がきついが、果実の風味や甘さも残っていて美味しい。が、もう少し甘い方が飲みやすいな〉
〈食事をするときに飲む酒だからな……仕方ないさ〉
〈そういうものなのか?〉
〈その煮込みと一緒に食べればわかるさ〉
〈ふむ……〉
俺の助言を聞いて、ミミルはルーヨ肉をスプーンに掬って口へと運ぶと、二口、三口とコップの中の赤ワインを飲む。
俺も同じことをしてみるが、この料理に使ったワインということもあって相性がいい気がする。
〈話は変わるが、しょーへいは魔力視はいつも使っているか?〉
〈いや、使ってないがどうかしたか?〉
〈魔法を使う際は魔力視を纏うようにするといい。自分から出る魔力の流れも見えるようになる〉
なるほど、魔力の流れをチェックしながら練習しろってことだろう。
今までは必要になったときしか魔力視は使っていなかったが、ほぼ常に発動するくらいの方が良さそうだ。
〈ありがとう、そうさせてもらうよ〉
〈あと、ラウンがいるかどうかはしょーへいの音波探知の方が有効だ。定期的に近くにいるか確認する方がいいぞ〉
〈そうか、わかった。気をつけるよ〉
波の無い池やプールの水面に異物が入れば波紋が発生する。
魔力探知は周辺一帯に魔力の膜を張って他の魔力に反応する波紋から魔物を検知する方法だ。上空への探知は難しい。
俺の音波探知は全方位に対して有効だから、ラウンのように空を飛ぶ鳥にも有効という。
俺はミミルの助言への礼を述べると軽く頭を下げ、音波探知を発動する。
やはりここは安全地帯のようで、特に魔物の反応はない。
植物型の魔物は反応を期待できないので、魔力視を使った状態で目視確認をするが、そちらも特に問題はないようだ。
空は夜の
LEDランタンの電源を入れると、星明かりの下、まるでスポットライトを浴びたように俺たちがいる場所だけが明るく照らされる。
足元には色とりどりの花が咲き誇っていて、陽の光を浴びたときとは違う美しさだ。
〈おかわりは無いのか?〉
〈料理の残りを出しただけだからもう残ってないぞ〉
〈そうか……〉
ミミルは眉尻を下げてとても残念そうな表情をすると、仕方ないとばかりに空間収納から何かを取り出す。
どうやら先ほど使ったチョコレートの残りを食べるようだ。
〈まだ食べるのか?〉
〈甘いものは別腹だ〉
地球人の女子がよく言うセリフだが、満腹時でもデザートを見れば胃袋に隙間を作ろうとする映像を見たことがある。
そういう意味では事実なので否定はしないのだが……。
〈エルムでも同じことを言うんだな〉
〈チキュウ人でも同じなのか?〉
〈ああ、そうらしいぞ。好きな食べ物を見ると胃袋に隙間ができるんだそうだ〉
ミミルは驚いたように目を瞠っている。
俺自身は腹いっぱい食べた後にデザートを入れる隙間ができたことがないので、甘いものは女性に限っての話なのだろうな。
〈ほ、本当に隙間ができるのか?〉
〈ああ、それよりも――それ、全部食うなよ〉
俺はミミルが手に持つチョコレートを指さして、食べきらないように念を押す。
全部食べてしまうとまた煮込みを作るときに入れる隠し味がなくなってしまうからね?
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