第130話

 客席へのカウンター内の機器設置作業が行われている間に、昨日買いに行ったキャンプ用品が届いた。

 受け取りのサインを済ませたところでミミルに箱ごと空間収納に仕舞ってもらった。

 ゴソゴソと中身を開いてその場で中身を確認していたら、「こっちは工事してるのに何やってるんだ?」などと業者の人達が不審に思いそうだ。

 ダンジョン第二層に入った時にでも中身を開けて確認することにした。


 カウンター内側の厨房機器も一時間ほどで設置作業が完了した。

 蛇口を捻って問題がないことを確認し、いろいろと説明を受ける。

 半日は冷蔵庫、冷凍庫は使わないでくださいだとか、最初の二四時間にできる氷は捨ててくださいだとか……。

 まだ開店前だから何も入れる予定は無いので聞き流しておいた。製氷機だけはタイミングをみて電源を投入しないといけないので、それだけは頭に入れておくことにしよう。


 業者を見送ると、時間はもう昼だ。

 結構ボリューミーな朝食を摂ったので腹が減ったと言うわけではないが、なんとなく食べなきゃいけないという気分になる。

 店で働いているときは昼食はランチタイム営業の後でしかできなかったが、しばらく厨房に立って仕事をしていないせいで感覚が変わっているのかも知れない。


 さて、ミミルを連れてダンジョンに籠もるための食料調達と行こう。肉は現地調達できそうなので、パンくらいしか考えていないが、出かけるついでにどこかで昼食を摂るのも悪くないな。


 ミミルに声を掛け、店を出て北へと向かう。

 荷物持ちとしてミミルを連れ出すのではなく、あくまでもミミルにこの街のことを知ってもらうためだ。まだまだミミルひとりで自由に街を歩かせるわけにはいかないが、いずれはそういう日も来るだろう。

 それに何よりもミミルが楽しそうなんだ。

 いまも目をキラキラと輝かせて視線を彼方此方に飛ばしている。


 たぶん、機械文明が発達していないエルムへイムと比べるとこの街の空気は汚れていることだろう。おいしい空気が吸いたければダンジョンに入るほうがいい。


 では、ミミルが楽しそうにしている理由は何なのか。

 未だ見ぬ機械文明の産物を図鑑ではなく自らの目で確かめることができるからだろうか。それとも、確かにこの地球上で生きている人たちの営みを見るのが楽しいのか。

 いずれにしても、それはミミルに訊ねてみるしかない。


 さて六角通りに到着して蛸薬師通に出ると、西へ。

 すぐに目的のパン屋へと到着する。


「これ、なに?」

「パン屋さん」

「ぱんやさん、ぱんやさん」


 正確にはパン屋なんだが、つい「さん」をつけてしまう。

 賢いミミルのことだから色々と覚えると気がつくと思うが、ちゃんと説明しておくほうがいいだろうな。


「パン 屋 さん」

「ぱん や さん?」

〈パンは商品、ヤは店という意味、サンは敬称だな〉

〈商品にヤをつければその店が判るということだな?〉


 うん、やはりミミルは賢くて聡い。


〈そのとおりだ〉

〈魚を売る店は、サカナヤ……で合ってるか?〉

〈おう、間違いないぞ〉


 ミミルはその小さな顔に嬉しそうな笑みを湛えるのだが、俺と目があった瞬間、何やら急に薄い胸を張って自信に満ち溢れた顔へと表情を変化させる。

 もっと褒めろということなんだろうか。いや、ただのドヤ顔ってやつだろうな。


〈服ならフクヤだし、肉ならニクヤ。これが基本だよ〉

〈よくわかったぞ。ありがとう〉


 商売という意味では例外もいくつかある。飲食店では「めし屋」という言葉があるが、バーやスナックなど酒を中心に出す店の場合は飲み物屋ではなく「飲み屋」だからな。

 まぁ、そういう例外については都度教えればいいだろう。


 パン屋の中に入ると、トレイ、トングを取って食事用のパンを選んで取っていく。

 だが、品数としては惣菜パンや菓子パンの数が圧倒的に多く、お目当てのバケット、バタール、ブール等の数を確保できなかった。

 それでも山盛りになったトレイを両手に持ってにレジ係の女性に差し出す。


「そちらのトレイもご一緒ですか?」

「――ぇ?」


 ふと背後のミミルに目を落とすと、俺の知らない間にトレイを持って、見様見真似でパンを取っていたようだ。

 しかも、中身は見事に甘い菓子パンばかりじゃないか。

 カレーパンは本能で避けたのだろうか……いや、そういう問題じゃない。


〈食べたいのか?〉

〈こんなに種類があるんだから、食べてみたくなるのも当然だろう?〉

〈その分、支払いが増えるんだが……〉

〈また砂金が取れれば大丈夫だ〉


 そりゃ取れれば換金できるだろうが、そんな素性の知れない砂金など買い取ってくれるところがあるのだろうか。

 まぁ、仕方がない。今回はパン屋でまとめ買いするが、次回からは自家製天然酵母で作ったパンを持ち込むのだから、こうした惣菜パン、菓子パンの類はなくなるからな。


「どうします?」

「一緒にしてください」


 不本意ではあるが、店の営業が始まればこうして買い物に来る機会も減ることだ。

 これくらいならちょっとした我儘だ、許してやるとしよう。

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