第十章 風刃と雷魔法

第91話

 ピザ生地が出来上がるまでの間に再度石窯に火を入れておき、別にいくつかの料理をつくっておいた。

 先ずは前菜だ。ミミルは肉ばかり食べているのでいくつか繊維質を摂れるものを用意したつもりだ。

 ひとつはパプリカのマリネ。焼いて皮を剥いたパプリカをニンニク、アンチョビと共にオリーブオイルに漬けたものだ。

 そしてキノコのマリネ。ニンニクと唐辛子をオリーブオイルでじっくりと煮て香りを出し、そこにキノコを入れて炒めてからオリーブオイルに漬けてある。キノコは舞茸、ぶなしめじ、ブラウンマッシュルーム、えのき茸の四種類だ。

 最後はイワシのマリネ。野菜やキノコじゃないのは俺が食べたいからだ。年齢的に肉よりも魚が好きな年頃なんだ。許して欲しい。


 なお、ツノウサギの肉は鍋の中でグツグツと音を立てている。地上では内臓や骨ごと煮込むものが多いのだが、ダンジョンの肉はなぜかそれらがないので仕方がない。今回は白ワインとトマトベースで煮込んでいる。


 買い物から戻ってきて二時間程度が経ち、時計は一九時を指しているが、まだウサギは煮込み始めたばかりだ。だが、時間的にそろそろ夕食にしておきたい。今日はウサギを食べられないが、煮込み料理は一晩寝かせた方が美味いから丁度いいだろう。


 暖めておいた石窯内の温度を赤外線温度計で確認する。

 波操作の加護で赤外線を可視化することはできるが、精密な温度表示までできるほどダンジョンで授かった加護は便利ではない。本気で体得しようとすればできるのかも知れないが、そのために何度も練習するくらいなら、赤外線温度計で計測するほうが気楽でいい。

 温度計で計る場所は炉床のみだ。今は摂氏四六〇度と表示されているので合格点だろう。

 なお、ナポリでは石窯でピッツアを焼く時の温度が厳格に定められている。炉床は摂氏四八五度、炉内温度は摂氏四三〇度。ピザを焼き上げるまでの時間が六〇~九〇秒だ。

 俺も基本的に踏襲するつもりではあるのだが、パスタや肉、魚料理をコンロやオーブンで作るんだから、ピザ窯につきっきりというわけにはいかないので仕方ない。


 充分膨らんだピザ生地を取り出し、麺打ち台の上で丸く伸ばしていく。

 ある程度の大きさに広がったら今度は指先でくるくると回し、遠心力で生地を均等に広げていく。


 正直なところ、ピザ回しの技は覚える必要はない。手指で伸ばせば充分だ。俺の場合、修行した店のスタッフ全員が覚えていたのだから仕方がない。何かあるたびにピザ回しで優劣をつけるとか言い出す仲間がいて止むなく覚えることにした。もちろん、本物の生地で練習などできないので、ピザ回し競技用のゴム生地を使っての練習だ。こんなのが競技になっているというのだから驚きだよな。

 だいたい、ピザ回しより生地が作れるほうが大切だ。生地を作れもしないのに回すのだけ上手になっても誰も褒めてくれないぞ。


 さて、俺が用意したピザ生地の大きさで、だいたい二四センチくらいに伸ばせば丁度いい厚みになる。

 伸ばした生地を麺打ち台に戻し、トマトソースを中央から円を描くように広げて塗る。次にモッツアレラチーズを千切って振りかけ、スウィートバジルの葉を千切って散らす。最後にオリーブオイルを回しかけたら、ピザピールの上に載せて釜の中へそっとピザを入れる。

 見る間に薪に近くや炉内で最も効率よく熱が上がる中央部分から焼け始めるので、ピザピールをたくみに使って炉内で回転させ、全体をむらなく焼いていく。

 時間にして、一分少々。

 焼きたての生地の上でグツグツと溶けたチーズが煮えているのが見える。ピッツァ・マルゲリータの完成だ。

 耳のところを千切って試食したいところだが、我慢する。

 なんだか嫌な予感がするんだ。


 次にもう一枚、生地を用意する。

 広げた生地にトマトソースを塗り、拍子木状に切ったハム、千切ったモッツアレラチーズ、ひと口大くちだいに切ったほうれん草を散らす。そして、生卵をひとつ――中央に落としてピザピールに載せ、石窯の中へと押し込む。ピッツア・ビスマルクだ。

 マルゲリータを焼いたときとほぼ同じ場所で焼き上げていく。ここで気をつけないといけないのは、ということ。

 出来たての石窯の癖を知り、慣れるために作るピッツアとしては最もいい選択だと思う。

 といっても一回で解るわけでもないのだが……。


 焼き上がったピッツア・マルゲリータ、ピッツア・ビスマルクを木製のパドルボードに載せ、ピザカッターで夫々それぞれ八等分に切り分ける。


「ううむ……」


 飲み物を冷蔵庫から取り出そうとしてふと気づいた。

 さすがにパドルボードを二つ持つと、二階に運び込むにも両手が塞がってしまう。部屋に入るのにも苦労しそうだ。

 だったら一階で二人並んで庭でも眺めながら食べるのもいいかも知れないな。

 とにかく、ミミルを呼んでくることにしよう。


 二階にある自宅の扉を開けると、ミミルは今日買ってきた辞書を片手に図鑑を読みふけっている。図鑑の漢字にはふりがなが振られているので、辞書の引き方は簡単に理解したようだ。彼女のいた世界にも辞書はあったのだろう。


〈料理ができたぞ。一階で食べようと思う〉


 俺の声を聞いたミミルではなく、彼女の腹の虫が小さく鳴いて返事をした。

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