第90話
辞書などの買い物も済ませた俺とミミルが戻ってきたのは一七時。
店の玄関を開けて、中に入ると最初にパン酵母が入ったガラス瓶の中を混ぜる。続いて、常温で一次発酵させているピザ生地の様子確認だ。
容器の中に入っているピザ生地はふっくらと膨らんでいて、作りかけの鏡餅を思い出させる。指で抑えるとむっちりとした触感に押し返してくる弾力を感じる。伸ばして焼くにはまだ少し膨らんで欲しいところだ。八時間寝かせる方がいいのであと二時間くらい足りていない。
〈どうして
ミミルが俺の行動を訝しげに見つめている。
〈硬さを見てるんだよ。石窯に火を入れて、厨房がかなり暑くなったから発酵が進んでるか心配していたんだ〉
〈ほう……私も
〈ああ、かまわんが。穴は開けないでくれよ〉
〈わかっている〉
ピザ生地を一つ両手に持って差し出すと、ミミルは
最初はツンッと軽く
〈指先で
ミミルの爪の中に生地が入ってしまうからな。
するとミミルは
「――チッ」
おい、ちょっと待て。
舌打ちとか……何が気に食わないというんだ?
〈あ、すまない。あるものを思い出したのでな……〉
〈そうか……もう気がすんだか?〉
〈うむ。しょーへいは今から料理か?〉
冷蔵庫の中に、ツノウサギの肉が残っている。
そんなに日持ちする肉でもないので、早めに使ってしまいたいと思っていたところだ。それに、ミミルの空間収納を使ってダンジョンに持ち込む料理もいくつか作っておきたい。
〈そうだな。ツノウサギの肉が残っているから、これを使って煮込みを作ろうか。他には……〉
冷蔵庫の中を確認すると、たいしたものが入っていない。
パンチェッタを作るための豚バラ肉。豚モモ肉は叩いてサルシッチャを仕込む。
あとは魚介類と鶏肉がいくらか入っている程度だ。
〈何種類かマリネを作っておくのが良さそうだな。イワシ、パプリカ、キノコ。他に肉が無いのが辛いな〉
〈この肉とかどうだ?〉
ミミルが作業台の上に空間収納から肉を取り出した。
ロース、ヒレの肉がついた牛の肉のように見えるのだが――実際は何の肉か判らないぞ。断面を見るとTボーンステーキのようなんだが……。
〈これは何の肉だい?〉
〈キュリクスという。見事な角が真っ直ぐに伸びた魔物だ。ダンジョン第二層にいるのを見ただろう?〉
〈ああ、あの周辺にいる魔物か〉
〈んむ。この肉は美味いぞ〉
ここで出したということは、料理しろということなのだろう。
それだけ俺の料理を気に入ってくれてる――ということにしておこう。
料理ができないから任されているだけだと何だか悲しいからな。
肉質はサシが少なく、赤身中心。
肉の締まり、色艶、肌理の細かさは素晴らしい。
脂身を指で触るとトロリと溶け出す。こちらも色艶に申し
是非、熟成肉にして食べたいところだが……設備がない。
〈そうだな、近いうちに焼いて食べよう〉
〈おお、楽しみだ〉
瞳を輝かせてとても嬉しそうにミミルが呟く。
今日はピザを焼く予定だがらな。しばらく空間収納で保存してもらえばいいだろう。
〈時間がかかるから、二階で待ってるかい?〉
ミミルが頷くので二階の自室まで行って鍵を開ける。
ミミルに合鍵を渡しておくほうが良さそうだ。
ミミルが勝手に出ていって戻れなくなると厄介だからな。
〈これ、自宅の鍵だ。無くさないようにしてくれよ〉
〈不便に思っていたところだ。ありがとう〉
鍵を受け取ると、ミミルはすぐに空間収納へと仕舞ったのだろう。目の前から鍵が消えた。
これで一緒にダンジョンにでかけたあとにミミルだけ家に戻るということができるようになる。
すぐに厨房に戻った俺は、ピザ生地の準備ができるまでの間にツノウサギの煮込みを作ることにする。
といっても、ピザ生地ができるまでにできることは知れている。
まずは「野菜のブロード」をつくる。
まぁ、流儀は人それぞれ……ニンニクやトマトなどを入れる人もいるが、俺の場合は基本の香味野菜だけだ。
玉ねぎと人参の皮を剥いて、ゴロゴロと大きめに切ってしまう。セロリも大振りに切ってしまう。あとは、切った香味野菜、たっぷりの水を注ぎ入れたら、塩、粒のままの黒胡椒、ローリエ、イタリアンパセリなどのハーブを鍋に入れて弱火に掛ける。
あとは灰汁を取りながら全体の量が三分の二になるまで煮込むだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます