第84話
朝の八時。
世間ではとっくに動き出している時間だろうが、夜遅くまで働く飲食関係の人間というのはどうしても朝が遅くなる。
それでも、この時間に目を覚まそうとするだけ俺はいい方だろう。
今日も九時になればピザ窯職人がやってくる予定だ。同じくらいの時間帯からエスプレッソマシンの搬入設置も予定されている。
激しく騒ぐ目覚まし時計の音で目覚めた俺は、いつものようにミミルを起こして顔を洗い、歯を磨く。
空いた手を使ってウッドデッキに植えたハーブ類に水をやるのを忘れない。
いま生えているのはスイートバジルにイタリアンパセリ、セージ、タイム、オレガノ、ローズマリー、ディル等々、西欧料理には欠かせないものばかりだ。
バジルは鉢で買ってきたものだが、摘芯するのにもいい時期になってきている。朝食後にでもやってしまうことにしよう。
ウッドデッキから戻ってくると、洗面台の前でミミルが歯を磨いていた。場所を替わってもらい、口を
ミミルはダンジョンの中などで起きている間は
ただ、ちゃんと起きてはいるので、このまま放置して朝食の準備にかかるとしよう。
部屋を出て階段を下り、厨房へと入る。
昨夜のパスタを作ったあとの道具類はすべて寝る前に洗っておいた。おかげで睡眠時間が四時間くらいしかなかったのは少し辛い。
パン用の天然酵母を育てているガラス瓶の様子を見て、順調であることを確認すると、また中身をかき混ぜておく。
続いて冷蔵庫を開ける。
昨日のトマトソースを煮込むのに使った香味野菜が残っている。他には、先日の買い出しで買ってきた食材たちだ。
「ううむ……」
毎日トーストとコーヒーというのは飽きてしまう。
先日買い込んだ食材もあるし、
足元からジャガイモを二つ、玉ねぎを一つ取り出す。
ペティナイフを握ると、共に皮を剥いていく。
他に具材を入れてもいいが、ミミルにとっては初めての経験だ。ベーシックな味をまず覚えてもらうとしよう。
玉ねぎは繊維に沿って薄切りに、ジャガイモは薄いイチョウ切りにしてボウルに入れ、塩とオリーブオイルを掛けて混ぜ合わせる。
次に、表面加工されたフライパンを火にかけ、ボウルの中身を入れて中火で炒めていく。
このような単純作業をしていると頭の中の雑念が消え、時間がゆったりと流れていく。戦場のように忙しい厨房もいいが、こんな時間を過ごす厨房も悪くない。
だが、ジャガイモが崩れるほど火が通ってくればそれも終わり。
別のボウルに卵を四つ割り入れ、卵のコシを切るように混ぜ合わせると、一気にフライパンへと流し込む。
あとは全体がふわりと固まるよう、じっくりと火を入れて両面を焼き上げる。
イタリアではフリッタータ、スペインではトルティージャ――スペイン風オムレツの出来上がりだ。
朝食にしては汁気が少ないので、スープを作ることにする。季節はこれから夏へ向かってどんどん暑くなるが、やはり朝は温かいものの方が嬉しい。
ニンニクを二片とって皮を剥き、スライスする。それをフライパンに入れたオリーブオイルにダイブさせ、弱火で
フライパンからニンニクの香りが漂い始めると、網で掬い上げて退避させる。このあとの工程で焦げないようにするためだ。
次に一センチの厚みにスライスしたバケットをフライパンに入れ、ニンニクの旨味が溶け出したオリーブオイルをたっぷり吸わせつつ、表面をきつね色に焼き上げていく。
バケットの両面が焼き上がれば、ひたひたになる量の水、生ハム、パプリカパウダー、塩を入れ、ニンニクを戻して煮る。
バケットがスープを吸ってとろりとしてきたら皿に
スペイン語ではソパ・デ・アホ。ニンニクのスープのできあがりだ。
給仕用のトレイにスープを並べ、右手にオムレツを持って二階へと向かった。
◇◆◇
二階ではソファに座ったミミルが図鑑を前に難しい顔をしていた。
どうやら、発電所のページを見ているようだ。電気の仕組みを知る上ではとても大切だとは思うが、辞書がないので言葉を理解することができていないだろう……。そこも何とかしないといけないな。
〈朝ごはん、できたぞ〉
この一言で、ミミルは俺が戻ってきたことに気づいたようで、こちらに顔を向けると、そこにパァッと花を咲かせる。
〈お腹がすいたぞ。朝食は何だ?〉
〈スペインという国で一般的な卵料理と、スープだよ〉
右手に持ったトルティージャをソファのセンターテーブルに置き、続いてトレイのスープをミミルの前に差し出す。
〈食欲を唆るいい匂いだ〉
〈ああ、温かいうちに食べてくれ〉
時計を見ると、八時五〇分。
ピザ窯業者が来るし、エスプレッソマシンの業者もやってくる。
急いで食べなきゃいけないぞ――。
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