71 代わってくれる?
「ねぇ!そこ代わってよ!」
怒気のこもった声の方を見ると、仏頂面をした女が立っていた。プラチナブロンドにブルーアイズの女だった。
「あなた、誰?」
「見てわからない?『私』は『あなた』よ!正確には70年後の『あなた』だけど…」
白いワンピースを着た女は腕を組んでこちらを睨んでいる。黒いワンピースを着た女は体だけをこっちに向けた。
「全くなんでこんなことになってんのかしら?」
「それはこっちが聞きたいわ。私だってこんな悪夢からさっさと目覚めたいのよ」
「なら、代わって
ミシェルは自分に近付こうとしたが、どうしてか足が動かない。同じ位置でじたばたするミシェルを過去の自分はじとっとした目で見ていた。
「それより、あなたさ…なんだか老けてない?」
自分の言葉に唖然とするミシェル。『自分』からの罵倒に爆笑した。
「あっはは!可笑しなことを!容姿は何も変わらないわよ」
「見た目のことじゃなくて、
「まぁ~、昔はいっぱい持ってたわね。ほとんど男に貢いで貰ったものだけど」
「服もコスメもダサすぎよ。香水を付けない『女』に未来はないわ」
「あら、ココ・シャネル気取り?」
自分自身からのダメ出しに何も言い返さないミシェル。過去の自分からすれば、今の自分は最も理解できない『女』であるからだ。
「そうね、『自分のため』に生きる女は綺麗になるけど、『他人のため』に生きる女は醜くなるのよ」
「なにそれ?女じゃなくなったってこと?」
「違うわ。『女』は立場が変わると身も心も変わるのよ。今の私は『母親』だからね」
「それが最も理解できない!なんなのあの『ワタル』って子は?」
「何って、息子よ?」
「『息子』とか『母親』とか家族ごっこをしてるって言うの?落ちたわね、あなた!どうりでみすぼらしい訳だわ」
70年前のミシェルは今のミシェルを見下した。高慢でひねた女だったことをミシェルは思い出す。
「はぁ…そういえばこんな性格だったわね、私って。自分の黒歴史と対面させるってなんの苦行?ユリーに心配される理由もわかるわ」
ミシェルの表情が曇る。70年後のもう一人の自分に聞きたい事があった。
「…あの手紙はなのなの?本当にユリーが書いたの?」
「ユリーの筆跡だったでしょ?」
「……じゃあ、私はユリーに置いてかれたの?なんで?…どうして?」
「詳しい事は手紙に書いてあった通りよ。
でもね、ユリーは大事な言葉は口に出さない人だから、あのひとがどれだけ自分を想っていたかなんて…貴女にはわからなかったのね」
「でも、置いてかれたんでしょう…」
「女は大事なものを『そば』に置くけど、男は『遠く』に置くものよ。
『私』はユリーにちゃんと愛されていたわ。私の事を叱ってくれる『ひと』なんて、後にも先にも彼だけだったもの」
ミシェルの足は歩き出す。俯く自分の肩に手を伸ばした。
「60年間ユリーを待ったわ。
でも、孤独じゃなかった。
これから先、素敵な人達と出会えるから心配しないで…」
ミシェルは自分の顔を見つめる。全く同じ容姿なのに、今を生きる『私』の表情はとても晴れやかで誇らしげだった。
「代わってくれる?」
「いいわ、でももうちょっと女を磨きなさいよ」
「わかったわ、香水はつけるようにする」
自分の髪を誰かが撫でている。頬に触れる感触で意識が覚醒していく。薄ぼんやりとした視界でブロンドの女性を見ていると、彼女は近付いて頬にキスをした。
亘は飛び起きていつも通り注意する。
「だから!そーゆーのはやめろって……」
いつものやり取りにはっとなる。
「ミシェル…記憶が戻ったのか?」
返答の代わりにミシェルは優しく微笑んだ。
ミシェルが作った朝食を向かい合わせで食べる。たった5日の事なのにかなり久しぶりな感覚になった。
「なぁ、ミシェル。ひとついいか?」
「な~に?」
「ユリーさんに、会いに行かなくていいのか?」
ミシェルには、この5日間の記憶は存在した。昨夜の騒動が亘を不安にさせているのだ。
「まだ、そこにいるかもしれないだろ?なら、もっと一緒にいたいって思わないのか?
ミシェルにとっては、大事な人だろう?」
「そうね…。できるなら…もっと一緒にいたいわ。
でも、今私がユリーに会いにいったら、きっとユリーを心配させちゃう。いまでも、ユリーに頼って生きているようじゃ…ダメなのよ」
ミシェルの表情は悲哀よりも
「それに私はもう『わたる』と夫婦になってるんだから、出戻りしちゃダメだよね?」
「誰が夫婦だよ!」
「え~?私は君とは言ってないよ~。『渉』のほうよ」
早とちりして罠にかかった。にたりと微笑む顔が憎ったらしい。
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