57 子供でいいんだよ

 ユリーの立ち去る足音も聞こえなくなった時、彼が何も持ってないことに気付いた。店に来たときはアタッシュケースを持っていたのに帰るときは手ぶらだった。家のどこかに忘れてしまったのかと、探しにリビングへ戻る。

 ガラス張りのサイドテーブルの下の段に置かれているケースを見つけ、急いで届けようと引き出してみると、手紙が上に置かれていることに気づく。


 それはユリーの字で書かれたミシェル宛の手紙だった。これが添えてあるということはユリーはわざとアタッシュケースを置いていったのだった。ミシェルは封筒の中の便箋びんせんを取り出す。


『ミシェルへ


お前にひとつ頼みたいことがある。ケースの中に入ってる宝石を然るべき時が来たら、ティアラと共にかの国の王室に返しておいてくれ』


 そこまで読んでミシェルはアタッシュケースの鍵を開ける。中には緩衝材かんしょうざいに包まれ、プラスチックケースに収められたサファイア12個と無数のダイヤモンドが入っていた。


『お前にこれを託すのには訳がある。俺はもう、長く持たないからだ』


 ミシェルの心は凍りついた。

 文字を読んでいた目は止まり、手が震えた。


『寿命というやつなのだろう。俺達にそんなものがあったなんて驚きだが、使用期限が来てしまったんだ。こればかりはどうしようもない』


 ミシェルは同種にも寿命があることは伊邪那美いざなみに聞いて知っていたが、ユリーの告白は唐突過ぎて、どう飲み込んでいいか分からない。


『ミシェル

"どうして連れていかなかったのか"と、お前は聞いたな。連れて行けるはずがない。これは俺の償いだ。


人間に言われるがまま殺戮さつりくを繰り返してきた俺の、せめてもの罪滅ぼしだからだ。たった一つの善行で全てが許されるとは思ってないが、それでも使命は果たし終えた。


お前と別れた後、ファミリーの追手に襲撃された時、お前は俺が喰い殺したと嘘を吐いた。あんな偽装ぎそうで奴等をだませたのか、ずっと不安だったが、どうやらファミリーはミシェルが生きているとは思わなかったようだな。


お前を守れりきれたことだけは誇りに思う。


ミシェル

最後にもう一度お前に会えて嬉しかった。

亘くんと仲良くな。可愛いのはわかるがあまり構ってやるな。本当に嫌われてしまうぞ。


もう、さよならだ…


お前の片翼  ユリエルより』


 ミシェルは手紙を畳みケースの上に置いた。ソファに体を沈めくうを見つめる。お風呂から上がった亘が呆けているミシェルに声を掛けた。


「ユリーさんは?」


「もう帰ったよ」


 ユリーとの惜別せきべつで落ち込んでるのかと思ったが、どうもそれだけのせいではないと亘は直感した。


「どうしたんだ?」


 問いかける亘を見ることもなく黙ったままのミシェル。ほっといたほうがいいのかと思った時、切り裂くように話始める。


「ユリーは、もうすぐ、消えてしまうの。だから、最後に私に会いに来たんだよ」


「え?」


「私達にも命の制限がある。それがいつになるかはわからないけど、消える瞬間は本人にはわかるんだよ」


 至って冷静に淡々と話すミシェル。脱け殻のような彼女の様子に亘は危惧きぐした。


「ミシェル。泣いてるのか」


「同種は泣かないよ。泣く演技ならできるけどね」


「でも、泣いてるんだろ?」


ようやくミシェルは亘を見る。無表情のまま上体を起こし、膝の上で手を組んだ。


「そうね。こんな時、涙が流せたら、どうしようもない気持ちも一緒に流せるのかな?」


「悲しいのか?」


「悲しいのか、苦しいのかわからない。ただ、悔しいのかもしれない。私は結局、ユリーに何も返せなかった。


ユリーに育ててもらって、守ってもらってたのに、何のお礼もしてない。


あの時、私を連れて行かなかったのだって、危険に巻き込みたくなかったからなのに、わたしは、ずっとユリーを恨んでた。


一人で行ってしまったこと。

何年も迎えに来てくれなかったことを…不満に思ってた。

ずっと、ユリーに守られてるとも知らずに。馬鹿だよね。


私は、本当に子供だった」


 ミシェルの声が震える。

 泣き声ともいえない噛み殺した声を出し、頭を抱える。小さく丸まったミシェルの背中を亘は撫でた。


「ミシェル

ユリーさん、言ってたよ。

ミシェルは変わったって。人を思いやれる子になって、本当に安心したって」


 ミシェルは天色あまいろの瞳を亘に向ける。溢れ落ちそうな眼を亘は見つめ返す。


「ユリーさんにとって、ミシェルは子供でいいんだよ。親の愛情に見返りなんて必要ないんだろ?」


 ミシェルは泣いた。

 崩れた顔で泣くミシェルの体を亘は抱き寄せ、彼女が落ち着くまで背中を擦っていた。






 国際中継で皇太子の結婚式が放送されている。オープンカーに乗り皇太子とその妃が国民に手を振っていた。

 いずれはその国の王妃となる女性の頭部にはその国の国宝であるティアラが輝いている。国に本当の伝統と誇りが戻ったことを確認して、ミシェルはテレビの電源を切った。



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