44 天使であり続けたいの

 亘は倉庫の壁に寄り掛かり体を休めていた。衰弱すいじゃくと疲労で歩くのも限界だった。どこかに隠れてやり過ごそうかとも考えたが、今休めば眠ってしまいそうだったので、確実に自分を保護してもらうまで足を止めてはいけないと思った。

 どこまで歩けばいいのかと不安に思っていると、電車が走る音が聞こえた。


 そちらの方向に歩いてみると、水路の向こう側に鉄道橋が見えた。今まで人がいる気配すらなかったが、駅まで行けば必ず人がいる。

 すると、水路沿いに橋が架かっているのが発見した。橋というよりは水路を行き来する通路のようで、建物に隣接してあった。関係者以外は入るなと書いてあったが、今は仕方ないと階段を上がろうとした時、誰かが駆け寄ってきた音がした。


 恐る恐る後ろを見てみると、こちらを振り向く波夷羅はいらと目が合ってしまう。


 戦慄せんりつが走り、亘は急いで階段を駆け上がるが、追い駆けてきた波夷羅はいらに捕まり壁に押さえ付けられる。


「放せ!はなせぇ!」


「くそガキ。まさか逃げ出すとはな。生かしておくのも面倒だな」


 波夷羅はいらは亘の首を強く締め、声が出せなくなる。爪を立てて必死に抵抗するも腕を引き離せそうにない。

 血を吸われて死ぬんだと思った瞬間、階段を駆け上がる足音がした。


 真っ先に駆けつけたのはケリーだった。


 波夷羅はいらに手を伸ばし掴もうとしたが、波夷羅のほうが身を引くのが早く掴みそこなう。


 手摺てすりまで下がった波夷羅はいらだったが、後ろからシヴァが手摺を越えて飛び込んでくる。木のパレットに積まれていた荷物を足場に階段上まで上がって来たのだった。

 そのまま波夷羅はいらの体をり飛ばし橋の方へ追いやる。シヴァが波夷羅はいらを亘から引き離し、ケリーが亘の前へ出てたてとなった。

 まんまと人質を奪われた波夷羅はいらは悔しさを抱えつつも思考を切り替える。


「やはり警察よりお前たちのほうが厄介だったな。俺はこのまま橋を渡って逃げるとする。そのガキを見捨てて俺を追いかける気ならそうすればいい」


 シヴァは波夷羅はいらが逃げ出す瞬間に取り押さえようとしたが止めた。もうその必要はないからだ。


「そうだな。俺達はお前を追いかける気はない。だが、後ろの奴はお前を逃がす気はないと思うぞ」


 波夷羅はいらの背後から手が這い出る。通路側から音もなく近づいたミシェルが彼の体を押さえ首筋に噛み付く。

 一瞬のことで反応が遅れ、抵抗するまもなく波夷羅の生気は抜き取られていく。肉体が消滅しょうめつする前に口を離し波夷羅はいらは地面に崩れ落ちる。


 ミシェルはうつ伏せになった彼の体を蹴って仰向けにしヒールで踏みつける。体の自由が効かなくなった波夷羅はいらを彼女は彫刻のような澄ました顔で見下ろす。まるで悪魔サタンを踏みつける大天使の微笑びしょうのようであった。


「やぁ、ようやく会えたね、殺人鬼。それとも同種殺しって呼んだほうがいいのかな?」


 分かりやすい嫌みを言うミシェルに対し、波夷羅はいらは返事をせず黙って睨み付ける。


「お前を悪いとは言わないよ。お前以上の悪事なら私は腐るほどやってきた。けど、お前のやり方は今の社会にそぐわない。だから、消えてもらうよ」


「人の社会を護るために、俺を消すのか」


「それだけじゃない。お前は私に刃を突き立てた。私からサミュエルを奪った。これはその報いだよ」


「復讐というわけか?下らないな。不確定な存在になぜ執着する。俺達にはそんな感情持ち合わせてないはずだ」


 ミシェルは足を上げてもう一度、波夷羅はいらを踏みつける。


「黙れよ、赤子が!

お前には分からないだろうね。永く生きれば生きるほど、同種にも情が生まれれてくる。怒りも悲しみも、愛情も友情も、私達の中に存在するのよ」


「そうやって人の真似をして、人になれると思っているのか?悪魔のくせに」


 ミシェルは足を退けて波夷羅はいらの真上に立つ。薄明はくめいに空が染まっていく。


「確かに私は醜くて汚ない悪魔だよ。けど、こんな私を天使だって言ってくれる人がいた。だから、その人のために私は天使であり続けたいの」


 ミシェルは波夷羅はいらの胸ぐらを掴み体を引っ張り上げ、喉元のどもとに噛み付く。波夷羅はいらは消滅しながらも、にやりと笑った。


「確かにお前は天使だな。天使の面をした悪魔だ」


 そう吐き捨て波夷羅はいらちりになっていく。海へと流れた灰は日の出の光に照され、輝くおびになって消えていく。



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