43 死んじゃだめだ!

 車が停止しレバーを下ろして、しばらくハンドルを小突く音が続いた。信号待ちではなくどこかに停車したのだ。波夷羅はいらはエンジンを切り、ドアを開けて車の外へ出る。どこかへ向かう足音が小さくなっていき、やがて聞こえなくなった。


 亘は目を開きゆっくりドアウインドウから外を覗き、波夷羅はいらの姿がないことを確認する。ポケットに隠していたチョコバーを取り出し口を使って袋を開け、口内に押し込む。


 逃げ出すために少しでも栄養を摂ろうとした。二度目に血を吸われから、ずっと眠り続けていたが、車の振動で目が覚めだんだんと意識もはっきりしてきた。

 車窓から見えた景色からショッピングモールの先に連れていかれたことは分かっている。今なら上手くすれば奴から逃げ出せるかもしれない。


 スナック菓子のほうも口に頬張ほおばる。もしものために取っておいて正解だった。いや、これは亘の習性だった。母親と暮らしていた頃、食べられない時のために自然と日保ちする食料を溜め込むことが癖になっていた。悪癖あくへきだが、今はその直感が役にたった。


 食べ終えると手の拘束具を無理矢理広げて片手をなんとか引き抜く。元々そこまできつく縛られてはなく、血を吸っていれば亘が動けないと奴が高をくくっていたのが幸いした。

 足の紐もほどき車のドアをゆっくり開け外に出る。静かにドアを閉めて、近くのコンテナの裏に隠れる。見える範囲に波夷羅はいらがいないことを確認し奥へ走っていった。


 だが、すぐにめまいで足を止めた。

 貧血から来る頭痛と吐き気も合わさりコンテナ壁面にもたれ掛かる。足も震え恐怖がこみ上げてくる。

 逃げ出したことに気づかれ、奴が追いかけてきたらどうする。


 見つかれば確実に殺される!


 死への恐怖で身がすくみ思考が黒く染まっていったが、亘は足を叩いて自分をふるい立たせる。



「動け、動けぇ!うごけぇ!」



 強い言葉で恐怖をねじ伏せる。

 今は何がなんでも生きなければならない。亘ははじめてあらがった。虐待されていた時も腹を刺された時も、自分のことなどどうなっても良かった。

 死んでも構わないと思った。

 けど今は違う!



「死んじゃだめだ!生きるんだ!」



 亘はふらつく足で走り出した。絶対に死ねない、そう思った。


 "俺が死んだらミシェルが悲しむ!"


 もし自分の遺体を見たら彼女は泣くだろう。涙なんか流せなくとも、あの美しい悪魔は泣いて悲しむ。そんな彼女の姿を想像するだけで亘の中に生への渇望かつぼうが沸き上がった。

 波夷羅はいらと鉢合わせしないよう回り込みながら、亘は車が来た方向を走った。





 車に戻った波夷羅はいらは目を丸くして驚いた。後部座席に亘がいないからだ。ドアを開けて座席を触るとまだ温度が残っていた。逃げ出してそう時間が経ってないことを確認し、波夷羅はいらは亘の後を追った。





 ケリーの誘導でシヴァは車を埠頭ふとうまで進ませる。連絡を取っていた本人と合流し、車を降りてコンテナの間を走った。途中で角で止まりその先にある車を指差す。


「あれでしょ。例の車、辺りに奴の姿はなかった」


 ナンバーを見て間違いなく盗まれた車だと確認する。ミシェルは周囲に人の気配がなかったので、車に駆け寄り二人も後に続く。後ろ側から車に近付いたが、ドアの開いた後部座席に3人は唖然あぜんとする。


「いない?」


「犯人も、亘も、乗ってないぞ。どこへ行ったんだ?」


 しばらく車内の様子を見てシヴァがある事を想像する。


「まさか!亘の死体を捨てるために海に来たんじゃ!」


 最悪の事態を想定するシヴァだったが、ミシェルの考えは違った。


「いいえ、違う。奴は死体の隠蔽いんぺいなんて面倒なことをするはずがない。仮に亘をすでに殺しているのなら、亡骸なきがらは隠れ家に置いてくるはず」


 ミシェルは車の中へ手を伸ばし紐とお菓子の袋を拾った。


「この紐、輪っかになったままだよ。恐らく亘の手足を縛っていたもの。もし、亘の遺体を捨てようとしたのなら、そのまま海へ投げ捨てればいい。わざわざ拘束を解く必要はない。それに…」


 ミシェルはチョコの菓子袋に目を落とす。


波夷羅はいらは無駄な食事は摂らないはず。ならこれは亘がもともと持っていたか、奴に与えられたもの。口を使って開けたから、袋に唾液だえきがついてる。それがまだ乾いてないってことは、これを食べたのはついさっきで、亘が自分で拘束をほどいた」


「自力で逃げ出しだってことか?」


「ええ、亘はまだ生きてる。

けど、奴の姿がないのは亘を追いかけたのかもしれない」


 ミシェルの推理に二人は舌を巻きつつ、亘の危機に緊張感が走る。


「あの子を探そう!奴よりも先に見つけなきゃ!」


 3人は三手に分かれて亘を探した。波夷羅はいらが亘を追った少し後のことだった。



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