32 ものの善悪なんてわからなかった

「私が最初にいた国はフランスだった。

はじめは市民に紛れて暮らしてたんだけど、あの国では格差がはっきりしてたから、新米の同種には暮らし辛くて、嫌になってすぐにアメリカに移住したの」


 1920年代アメリカ。

 一次大戦後、世界最大の債権さいけん国になり社会は発展していった。多くの自動車が行き交い高層のビルが連立。暮らしの水準は高く、映画やラジオ・スポーツなど様々な娯楽が生まれ繁栄はんえいしていった時代。


「アメリカに行ってからは娼館しょうかんで働いてた。喰っていくには困らなかったし、私は見た目がいいから金持ちの上客がついてたな~。でもそのうち裏社会の幹部に気に入られちゃって、彼らに囲われるようになったの」


「裏社会?」


「いわゆる"マフィア"ってやつよ」


 "マフィア"という言葉に亘は固まった。

 日本で言うところの侠客、やくざという訳だ。1919年に始まった禁酒法きんしゅほうにより暴利ぼうりを貪ったギャング達。その末席にミシェルも加わっていた。


「最初は飼われてるだけだったんだけど、ある人に見初められて構成員の一人になった。まぁ、私達は弾に当たったぐらいじゃ死なないし、私は誘惑と暗殺が上手かったからね。駒としは重宝されてたんじゃないかな?」


 嬉々ききとして話しているが、とんでもないことを口走っている。いじめっ子や亘を脅すときに言い知れぬ威圧感があったのはこういう経緯があったからだろう。

 亘の顔は引きつった。


「あっはは!そんな顔しないでよ!

マフィアの構成員をやってたのなんてもう60年も前の話だよ。当時の私のことを知ってる奴はもういないだろうし、今さらマンシンガン持った男達が店に乗り込んでくるなんてことにはならないよ」


「そんなことになったら、俺はこの家を出ていくぞ」


 おちゃらけるミシェルに亘は険しい表情を向ける。ミシェルは明るい顔をすぐにほどき話を続ける。


「あの頃の私にはものの善悪なんてわからなかった。


人間なんて騙し合いの末に、愚かな方が落ちぶれるんだって本気で思っていた。


私が唯一信頼していたのは、私に目をかけてくれた同種のひと一人だけだった。

私にとっては親のような存在だったの」


 ミシェルに闘う術を教えてくれたのは自分よりも長く組織にいた同種だった。囲われてるだけだったミシェルに裏社会で認められるほどの力を与えた者だった。


「でもある時、ファミリーを裏切らなきゃならなくなって、私はそのままアメリカを出た。それ以来あの国へは戻ってない」


「どうして裏切ったんだ?」


「それは内緒。誰にも言わないって約束だから」


 "彼"に"ある物"を持って身を隠せと言われ、自分が会いに行くまでそれを護りきるように指示された。未だにその"約束"は果たされていない。



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