10年目のアイラブユー

東 尭良

前編 木の上の少女

「わたしと一緒に帰れるカズ君はしあわせものだよねー」

「お前ね、確かにお前と一緒に下校するのは俺にとっては幸せな時間だけど、よくもまあそんな恥ずかしい事を堂々と言えるな」

「だって、カズ君がしあわせなのと同じくらい、わたしもしあわせなんだもん」

 俺の彼女……彼女なんだよな、一応……は、普段はどうしようもないくらい照れ屋で、人と話す時も声がひっくり返ったりするくらいの小心者だ。それが、俺と二人きりの時にはまるで人が変わったかのようによく喋る。

 二重人格なのかと疑いたくなることも多々あったが、よくよく観察してみると、俺と二人の時のテンションの高さは「頑張って」そうしているのが分かるようになってきた。言葉を口にするときの一瞬の逡巡とか、視線の泳ぎ具合とか、頬にさした朱色とか……。まあ、かわいい嘘というか、自分じゃない自分を演じているのかもしれない。

 もしかすると、普段の彼女の方が嘘で、こうして明るく俺に話しかけてくる彼女の方が本物なのかもしれないが、そんなことは別に問題じゃない。だって、おれはどっちの彼女もまとめて好きだからだ。

 俺の彼女の名は雛子という。名前の通り、ひな鳥のようなふわふわした印象の小柄な子だ。顔は……まあかわいい部類にはいるんじゃないかな。地味目だけど。でも、正直に言うと俺の理想のタイプとはかなりかけ離れている。どっちかというと、少しくらいスレた感じの女の子の方が、話もしやすいし、好みだった。そんな俺たちがなぜ付き合うようになったのか。それはほんの二週間ほど前のある日の放課後まで遡らねばならない。


 退屈な授業も終わり、ホームルームも終わった。俺は部活に精を出すようなタイプの生徒じゃない。当然、放課後になれば悪友と街に遊びに繰り出すか、さっさと帰ってやりかけのゲームの続きでもするのが俺にとっての日常だった。勉強だってそんなに出来るわけじゃないし、でも別に先生に目をつけられるような問題児でもない。

 その日もさっさと荷物をまとめると、昇降口へと向かいかけて、ふと窓の外を見た。


 なんか、ちっこい女子生徒が木の枝にしがみついていた。


 二人の視線が絡み合うと、その女子生徒はこまったような笑顔を浮かべた。なんだろう。もしかして降りられないのか?今いるのは二階で、枝の高さも大体窓と同じくらい。女の子が飛び降りるにはちょっと高すぎる。大体、この子はなんでこんな高い木の枝にしがみついてるんだ? その疑問は彼女の視線の先を追うことで氷解した。

 真っ黒な毛玉がぷるぷる震えている。いや、毛玉に見えたのは一匹の仔猫だった。なるほど。仔猫が降りられなくなってるのを見かねて救出に向かい、二重遭難した、っていうことか。

「がんばれよ」

 俺はその子の幸運を祈る言葉を残して立ち去ろうとした。立ち去る前に見た女子生徒の顔は、こまったような笑顔のままだったが、その両目には光る滴がたまり始めていた。

「……ええい! 降りる手段くらい用意してから登れよっ!」

 俺は昇降口に通じる階段を一段飛ばしで駆け下り、自分の下駄箱からはき慣れた革靴を取り出すと、乱暴に足を突っ込んだ。枝はしっかりしたものだったから、滑り落ちたりしなければ大丈夫なはずだ。俺はさっきの窓の下、そして件の樹の生えている地点へと走った。

 昇降口から校門へ向かうのとは逆方向にある樹の下には、誰も助けには来ていなかった。つまり、この俺が何とかこの子を無事に地上に降ろしてやらなければならないわけだ。

「大丈夫か? そこから動けるか?」

 枝の下から頭上の女子生徒に声をかける。ふわふわの髪の毛が風に揺れる。どうやら下を見るのが怖いらしく、女子生徒はこちらを向かずに

「だだだ、ダメですっ!動いたら落ちちゃいます。自由落下です! それに、まずこの猫ちゃんをおろさないと……」

 恐がりなのか大胆なのか分からない返事を返してきた。猫はいつの間にか女子生徒が両手で抱えていた。そういえば、さっきより枝の先端に近い所にしがみついているように見える。

「猫、受け止めてやるから! 下に落とせ!」

「だ、大丈夫でしょうか?」

「ちゃんと受け止めるから、早くしろ!」

「は、はい」

 俺は落下してくる仔猫を受け止めるべく、枝の下で身構える。

「大丈夫だよ、下でちゃんと受け止めてくれるからね」

 女子生徒は震える黒い毛玉に向かってささやくと、「落とします!」と合図してきた。

 猫って生き物は高いところから逆さに落とされてもくるりと向きをかえて着地するものだと思い込んでいたが、その黒い毛玉は落とされた時の姿勢のまま、万有引力の法則にしたがって俺の腕の中に落ちてきた。

「だ、大丈夫ですかっ? 猫ちゃん、怪我したりしてませんかっ?」

「大丈夫だよ。ちゃんと受け止めたから。さて、こら毛玉。お前は地面でじっとしてろ」

 少々荒っぽい救出のショックからか、猫はぶるぶると震えたまま逃げようともしない。猫の次は人間の女の子の番だ。

「よし、次はお前だ。ゆっくり、枝にぶら下がるんだ。落ちないように気をつけて!」

 女子生徒は俺に言われたとおり、ゆっくり慎重に、枝の上で身体を動かした。あ、スカートがめくれてぱんつが見えかけてる。注意した方がいいのかな。「えーと、パンツが見えそうだから気をつけろ!」

「え? ええええっ!?」

 女子生徒は慌てて両手でスカートを押さえた。当然枝にしがみついていた手は――。

「あ……、きゃぁぁぁぁぁぁっ!」

 いくら小柄な子だとはいえ、二階と同じ高さから落ちてくる人間をしっかり受け止めるなんて、漫画の主人公でもない限り無理だ。それでも俺は女子生徒を受け止めるべく両手を差し伸べた。次の瞬間、予想より遥かに大きな衝撃と共に、俺の記憶は途切れた。


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